市街戦/コブレンの戦い(3)
文字数 2,883文字
アズ、トビィと赤目、そしてレミは、
東の空では夜闇が和らぎつつあった。惑星アースフィアを覆う天球儀も、白色光を放つのをやめ、透き通って空と同化しようとしている。
先頭に立つアズは、背後、坂の下で行われる戦の音と恐怖の声に耳をすませていた。恐怖も不安もなく、戦いの前の緊張もなく、無心で、何も考えていなかった。民家の戸板を打ち破られる音を聞くまでは。
アズとレミは即座に、トビィはゆっくり背後を振り向いた。赤目だけが前方と左右を警戒し続けた。
星獣に突破され、月環同盟軍の兵士たちは持ち場を放棄したようだ。星獣による破壊の物音が聞こえ続けた。押し入られた家から人影が二つ飛び出した。一般市民だが、たちまち弩によって無慈悲に倒された。
レミの手が腰の長剣に伸びる。だがアズは躊躇っていた。
目的地に急がなければ……。
迷いを破ったのは、トビィの軽やかな声だった。
「アズ。ものはついでだよ」
軽やかでも、真剣な色があった。トビィが武器の長い柄を握り直す。柄に取り付けられた月牙と
「兵士が問題だ」アズは坂の下の光景から目をそらさずに答えた。「数が多すぎる」
蹴散らすべき敵兵を失った星獣は、柔らかい体に吸着した死骸を振り回して弾き飛ばし、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、と道を迷走している。雪雲に滲む赤い朝日が、のたうつ星獣の素性をついぞ明からしめた。
繭から引っ張り出されたかのような、変態の途中の芋虫だ。出来損ないの小さな翅がついている。
「月環同盟軍の兵士がもっと頑張ってくれてたらなあ」
「私が兵士だったら、カーラーンなんかのために命かけたくはないかも」
レミの機嫌の悪い声。
「あの星獣、動きは早いけど頑丈ではなさそうだよね。袋小路に追い込んで動きを止めようよ」
コブレンの道という道を知り尽くした自警団だ。そのやり方なら大いに
「それで行こう」
蹴散らされたカーラーンの兵士たちは、本能的に暗がりを求めてあらゆる裏道に散り散りになっていた。星獣にとってはさぞ追いにくいはずだが、それでも敵を求めて細い迷路に入り込んでいく。
屋根伝いに先回りしたレミが、家一軒の距離を隔てて星獣の目の前に飛び降りた。膝を曲げて着地するやいなや、拾った連弩を歌うサンザシ模様に向けて連射する。星獣は本物の芋虫のように体を収縮させた。
体を縮め、また伸ばし、星獣は猛然とレミに向かってくる。レミが後退しながら矢を撃ち尽くすと、ちょうど背中が突き当たりの壁に当たった。
星獣の真上で鎧戸が開け放たれた。直後、キャビネットが落下して、酸で満たされた体を
門の内側で民家を回り込み、裏手の通用口を開けたところで赤目と合流する。尻尾を振って招く犬について走ればトビィと合流できた。人がすれ違うのが精一杯の狭い通路の向こう、細い十字路の角に人影が見えた。雪雲が割れ、朝日が差したのだ。
二人の暗殺者と大型犬は、音もなく走った。距離が十分縮まると、赤目が立ち止まり、けたたましく吠えたてた。
十字路に差し込む影が動いた。
影の主がレミたちのいる
武装した男だ。
レミがその懐に飛び込んで、左手で男の腕を掴み、引き寄せた。引き寄せる勢いを利用して、右手で抜いたダガーを男の喉に突き立てた。男は
「おい、なんだなんだ!」
十字路の先は井戸のある広場で、そこから同じ武装の男たちがレミを見ていた。胸当てに日輪連盟の紋章がある。従軍商人たちだ。レミは血まみれの手で剣を抜く。商人たちがレミとトビィに弩を向けると、商人たちの背後にアズがひらりと舞い降りて、背中を向けている敵から殺戮を始めた。
騒動となり、
飛び道具を持っている敵を赤目が襲い、腕に牙を突き立てる。レミは路地を駆け抜けると、片手剣を振りかざし、相手が応戦の構えを見せるや左手で懐の鎖を取り出して顔を打った。たまらずよろける相手を斬り殺している間に、トビィがレミの背中をかばって立ち、フレイルの一撃でレミを襲う刃を振り払った。戦斧が一人の頭をかち割り、月牙が別の一人の首を裂いた。
ものの数秒で、広場に立っている敵は一人もいなくなった。
「まだいるぞ。気をつけろ」
赤目が敵の来る方向を見て吠えた。三人は広場に散る。呼子を聞きつけて路地から広場に飛び出してきた最初の一人の首を、トビィが月牙で引っ掛けて、引き倒しながら切り裂いた。
「ねえアズ!」
一人ずつしか通れない狭い道へと飛び込むアズに、トビィは呼びかけた。
「さっきやけに影がはっきり見えるなあって思ったら、もう夜が明けてたんだねぇ!」
「お前今気がついたのか……」
路地を抜け、右に折れ曲がり、もとの坂道へ。
アズの
弩を持つ敵は四人のうち二人。一人は赤目が無力化し、もう一人、弩を構える男へと、レミが鎖を投げつけた。鎖は男の手を打ちすえ、先端の
「あははっ」鎖で弩を壊された男は、トビィの斧で命を壊された。「新しい一日だ。嬉しいねえ!」
「何が嬉しいんだ?」
「アズ、今日は十七日だよ」
剣を振りかざす最後の商人は、自分が最後の一人だとまだ気づいていないようだった。アズの背中めがけて振り下ろされたその剣を、レミの剣を受け止めた。
「ねぇ、おじさん」
最後に、トビィの月牙の内側に湾曲する刃が、商人の首を横から捕まえた。
「俺たち、今日誕生日なんだよね」
首に受ける刃の冷たさ、そして孤独。刃の冷たさから己を救い出してくれる仲間がいない、仲間の声も聞こえない、その孤独の中で、長い旅を続けてきた商人は、最後に暗殺者の冷酷な笑みを見た。
「祝ってよ」
月牙が商人の首に深く食い込んだ。