下準備
文字数 4,276文字
「北ルナリアの副市長には会えたの?」
アズ、トビィ、レミ、そして帰ってきたばかりのアエリエとテスがアズの部屋に集まっていた。床には赤目が寝そべり、窓枠には昼星がとまって嘴で翼の手入れをしている。一番弟子の部屋は広い。大人五人と動物が集まってもくつろげる余裕があった。フーケ師の一番弟子のミスリルはというと、団長グザリエ・フーケと七人の武術師範にこってり絞られているところだ。
かわいそうに。
とテスは思ったが、レミがアエリエに顔をしかめて返事をしたので注意をそちらに向けた。
「副市長? えっ。ゴミ野郎だった」
「もうちょっと具体的にお願いできるかしら」
「私、今度あいつに会ったら殺しちゃうかも!」
「俺もー!」
と、満面の笑顔のトビィ。レミが窓辺で腕組みをして立っているのに対し、トビィは我が物顔でアズのベッドに座っている。アズは書き物机で頬杖をつき、アエリエから聞かされた不可思議な旅について思いを
レミが腕を解きかける。
「えっ、止めないの? 普通
「止めないよ。俺もムカついてるし」
「でもさあ」
「いいんじゃない? ゴミ野郎だし」
するとレミもトビィと同じく開放的な笑顔になって、
「いっかぁ!」
部屋に二人の笑い声がこだました。
「アズ」二人に構うのを諦めて、アエリエはトビィの双子の弟と目を合わせた。「今度はあなたたちが何を体験したのか聞かせて欲しいの」
それで、アズは頬杖をつくのをやめた。
※
あの日、副市長に案内されて入った部屋には、副市長の言葉通り先客がいた。
思いもしない人であった。
褐色の肌。
すらりとした長身。
短い金髪に、大きな金の耳飾りがよく似合っていた。
明るい水色の目。
体の線が浮き出る、しかしそれでいて品のいい絹の服。
若い女だった。十八歳だったと知るのは後になってからである。部屋の真ん中まで進み出たアズたちに、女は机を迂回して歩み寄った。
そして、明るい目の印象の通りに溌剌とした挨拶をくれた。
「はじめまして。
それがあまりに気さくなので、冗談かとさえ思った。
「どうぞ、跪くような挨拶はおよしになってください。私、長ったらしいばかりで中身の伴わぬ儀礼にはうんざりしておりますの」
少し身を引いたアズに、卓につくよう手振りで促した。跪くような挨拶の仕方などアズは心得ていない。するとしても、それは礼拝所で、この天球およびその創り主、または創り主の預言者に対して行うものであり、貴人に対して行うそれは、これまで必要となる機会すらなかったのであった。
ともかく、アズたちは礼儀をもってエーリカに名乗り、許しを得て着席した。
「今回私が参りましたのは、あなた方もご覧になった、世にも珍しい品物についてでございますの」
エーリカが口火を切った。アズは平常心を保った。
「月のように見えるもののことですね」
「あれは、ただの飾り物ではございませんの」
高貴な身分の人間が普段どういう話し方をするのか、アズはよく知らないが、エーリカの話し方は芝居がかって聞こえた。
「あれがどういうものかはわかっておりませんが、言語生命体や星獣に対し、よからぬ影響を及ぼす可能性があるものです。リジェク神官団はその威信をかけて行方を追跡し、私も南西領の公女の職務としてそれを
「左様でございましたか」
アズはエーリカの目を見ながら頷いた。
「しかしながら、公女殿下、自警団は『それ』を所持していた旅人をすぐさま追放いたしました。保護した翌々日の朝のことです。二人の所持品が盗品ではないかと恐れたためです」
「追放」副市長ジェレナク・トアンが口を挟む。「近隣の神官団に通報しようという発想はございませんでしたかな? リジェクや、シオネビュラなど」
「通常、我々はコブレンを出ての活動は行なっておりませんので」
「コブレンの治安維持に関して、あなた方は
並ならぬ努力
をされていらっしゃる。ご苦労様でございます」その声はひたすら「何を疑っておられるのかは存じませんが、コブレンの入城管理局への問い合わせはお済みでしょうか。お済みでないなら、副市長殿は話を聞く相手を間違えていらっしゃる」
「月のように見えるものを」エーリカの柔らかい声。「よく探していただきたいの。よぉく、街の隅々まで、探していただきたいの。これはコブレンの街を熟知したあなた方にしかお出来にならないことですわ」
ソレリア民兵団の星獣の件をエーリカが知らないはずはあるまい。
「はい、公女殿下」
「コブレン市民の安全に寄与するのは、あなた方の大切な務めですわね」
「もちろんでございます」
「それで」
エーリカが、次の一言を発しようと唇を動かした瞬間、胸にわだかまっていた悪い予感が、鋭い光を伴って結実するのを感じ取った。
ずっと、こうなるのではないかと恐れていたことだった。
その通りのことをエーリカは口にした。
「もしも私たちの軍隊がコブレン市内で『それ』を捜索することになった際には、自警団の皆様方にもご協力をいただきたいの」
しばらく、誰も何も言わなかった。ここまでアズに主導権を渡してきたトビィも、レミも。
エーリカは微笑みながらアズを見つめている。アズは、すぐには返事をしなかった。
「我々と仰いますのは、南西領陸軍のことでしょうか。それともリジェク神官団でしょうか」
「そのときには、きっと日輪連盟軍と呼ばれていることでしょうね」
唾をのむアズに、エーリカは畳み掛ける。
「リジェク市および北ルナリア市が月環同盟を脱退し、王領の都を盟主とする日輪連盟に加わったことをあなた方はご存知でしょうか?」
「はい」
コブレンは月環同盟に加盟している。そして、南西領の都も。
都は陥落するのだ。
アズは理解した。
シオンの戦いも、都の反乱も、このときはまだ起きていなかった。だが、そういったことは必ず起き、都は日輪連盟の手に落ちるのだと、アズは理解した。
「ですが、公女殿下、我々自警団はあくまで反社会組織から市民を守るために組織されております。特定の勢力に加担するということはございません」
「私は、不穏なものがコブレンにないか探すのをどうか妨げないで欲しい、と申しておりますの」
「我々は現行の南西領の法に従って行動しております。あなた方がそれを行うときにどのような法が有効であるか予測がつきかねますため、拙速な回答は控えさせていただきたく存じます」
それを聞き、エーリカは唇を左右対称に吊り上げたが、目は笑っていなかった。
「ふぅん」
※
以上が、北ルナリアで行われた話し合いの主な内容だった。
「実際に都は連盟の手に落ちた。反乱で都を追われた陸軍の部隊がトレブレン地方に集結しているが、トレブレン−コブレン大道路は事実上日輪連盟の支配下にあり、コブレンは包囲されつつある」
近隣の町や村に日輪連盟の隊商が食い込んできている状況は、アエリエも見てきた通りだ。明らかにそれはコブレン包囲の下準備だ。
「連盟はコブレンを支配下に置くために、俺たちに手引きさせたがっている」
「手引きじゃ済まないわ。『月』の件を口実に、当分使える手駒にしようくらいのことは考えてるはずよ」
使い終わったら言いがかりをつけて全員処刑するところまで含めてだ。
「わかった」
スツールの上でテスが呟き、全員の目を集めた。レミが聞き返す。
「何が?」
「どうして薬物を流通させるのに一般市民を使ったか」
ある種の薬物をばら撒いて支配地域を根腐れさせるというのは珍しい手口ではない。コブレンにはそれを引き受けるであろう組織が実際にある。
アズは頷いた。
「
「関わり合った連中を特定するのはそこまで難しそうじゃないけど。薬の取引値はどうなってるの?」
「かなり値崩れが起きている。暴落と言ってもいい」
アズの返事をレミが引き継いだ。
「反対に値上がりしてるのが硝石、褐炭、鉄。あと木材、岩塩、穀物全般。『タターリス』がじわじわ打撃を受けている」
『タターリス』はコブレンの暗殺組織の元締めだ。
「その辺りの値上がりは戦争になればいつものことね。代わりに本業の受注が増えてるんじゃないの?」
「増えてないから打撃を受けてるんだ。殺しの相場も驚くほど値崩れしてる。タターリスが手出しをできないところからの介入がある」
「殺し屋まで連盟が
「冗談じゃなくそうみたい」
「騎兵の関係は?」テスが尋ねる。「
トビィが爽やかに答えた。
「馬具業界の闇取引に顔を突っ込んでる連中なら
いた
ね」過去形だ。「今は壊滅してもうないよ。薬物取引専門の『三つ首蛇』が乗っ取った」『三つ首蛇』、こちらは北ルナリアでアズたちが戦った、星獣らしきものを取引していた組織だ。
部屋の戸がノックもなしに開いて、ミスリルが顔を見せた。
「アエリエ、テス、ちょっと来てくれ」心なしかげっそりしている。「一緒に証言してほしいんだ。マナが十一歳のときの俺の娘じゃないって。っていうか、部屋暗いな」
言われて初めて気がついた。南向きの部屋の窓の向こうには、紫色に暮れる空と天球儀の光があるだけで、茜の残光はもう見えない。
テスがスツールから立ち上がった。
「私もすぐに行くわ」
アエリエが頷く。
「明かりつけろよ。じゃあな」
「鴨!」閉じかけた戸がまた開き、テスが廊下から顔を見せて、呼びかけたトビィを向いた。「言うの忘れてた。後で俺の部屋においでよ。いいものあげる」
「ああ、うん」
気のない返事をし、戸を閉める。
「今日はここまでにしよう。アエリエも休んだほうがいい」
アズが締めくくった。
「連中は俺たちが必ず止めてみせる」