来客
文字数 1,581文字
これは、領地と領地の戦争でなかった。都市と都市とが切り結び、隣人同士が憎みあう。同盟及び条約が次々と結ばれまたは破棄され、その混乱は今や大陸全土に拡大していた。
戦域は、大陸全土。
どこもかしこも己を守るだけで精一杯であり、救援の見込みはなく、救援を出す余裕もない。それでいて、戦域が広範囲に及ぶがゆえに兵力の補充も比較的容易であり、従って散発的な戦闘はあれど決定的勝利ないし敗北には結びつかず、戦争の落とし所は見えなかった。
南西領の南の端、タルジェン島という僻地も動乱から逃れることはできなかった。海の神官団が統べる本島東部の造船所は、空が白み始める前から稼働を始めるのが常となっていた。指揮を執るのはシオネビュラの造船技師ハイラル・モラン。彼は痩身で、浅黒い肌の、一見したところ冴えない五十間際の男だった。顎を覆う長い髭は灰色で、寡黙だが、必要があって口を開くときには、
その風采から受ける印象に反して、彼は生粋の技師であった。シオネビュラにおいては、しばしば技術職の将官の地位を一時的に与えられた経歴がある。とはいえ、今タルジェン島では戦に備えて新しい船を設計する時間はない。
彼の務めは、タルジェン島の島民たちの一日も早い疎開に向けた、より無駄のない修繕及び造船作業の監督である。
日々造船所から上げられる数字は正位神官将シンクルスを満足させるものであった。そうであろうことを、シオネビュラ神官団三位神官将ニコシア・コールディーも予想していたに違いない。
「技師はよく働いているようで」
それが、小規模な艦隊を率いてタルジェン島に上陸したニコシアの最初の挨拶であった。本島で一番大きな港は大輪の花で飾られ、ニコシアとその部下たちの姿を一目見ようと、物見高い人々が押し寄せていた。裾が
近すぎる。
ニコシアはそつない儀礼上の微笑。シンクルスはというと、顔が引きつりそうになるのと、後ずさって距離をとりたくなるのを堪えて同じ微笑を保っていた。
「この度は、遠路はるばる……」
「とんでもないことです。我々の大切な同盟相手のこと。
お貸しした
モラン主席技師の仕事ぶりについて確認させていただきたく」生ぬるい笑みを浮かべたまま言葉を継げずにいるシンクルスに、ニコシアは諭すようにゆっくりと続けた。
「もしもお許しいただけるのでしたら、後ほど技師の現場を拝見したく存じます。ご案内いただけますでしょうか。ヨリスタルジェニカに協力するよう、彼を説得する
シンクルスは青空の下、喉の渇きを覚えながらニコシアの次の言葉を待った。
「そうする前に、ご存知の通り彼はソラート神官団に囚われの身となりましたゆえ。代わりに正位神官将ともあろうお方が直々に
説得
されたとのこと、お手間をとらせてしまい心苦しい限りでございます」「とんでもないことでございます、コールディー三位神官将殿。モラン主席技師のもとには喜んでご案内差し上げましょう」
「私の厚かましい申し出を受け入れてくださることに心から感謝いたします。挨拶が遅れました」
ニコシアが手を差し出す。距離が近すぎてほとんど互いの手が相手の体に触れそうだった。シンクルスが握手のために手を差し出すと、ニコシアは完璧に柔和な微笑のまま、握り潰さんばかりの力で握手した。
その力の強さから、『今度ナメた真似をしたら殺す』というニコシアの真意を、シンクルスは読み取ったのであった。