緑の鳥の心
文字数 1,922文字
ミスリルたちが話題にするテスはというと、その頃、都でリーン・イマエダ上級大尉と共に検問を密かに破壊していた。リーンはヨリスの元部下で、クーデターが起きるまでは強攻大隊の一個中隊を率いていた。一区画離れたところでは、同じく元強攻大隊のクラウス・リッカード中尉がギターラをかき鳴らしていた。
歌という娯楽があるところには、人が集まる……もうすぐ戦場になるような場所でも。テスとリーンが検問の兵士を縛り上げて無力化している間、女性たちはクラウスに向かって黄色い声をあげていた。クラウスが歌い始めると、熱心に耳を傾ける。
「おら、どけ!」
そこへ、太鼓その他の打楽器を肩から吊り下げた若者の一団が乱入してきた。クラウスが歌を止め、ギターラをかき鳴らす指を止めると、女性たちは一斉に不満の声を上げた。その人の群れをかき分けて、若者たちはクラウスの前に立ちはだかる。
「お前か? 近頃ここらを荒らし回ってるってのは?」
「荒らし回ってる? 俺はただ自分の歌を歌ってるだけだぜ?」
「それを荒らし回ってるっていうんだよ、ここは俺たちのシマだ!」
クラウスはここぞとばかりに前髪をかき揚げ、決め台詞。
「音楽に場所の分け隔てが必要かい?」
女性たちが歓声とともに拍手をしだした。
「ああ、どうやらまた女性ファンを増やしちまったみてぇだ。俺も罪深い男だぜ」
若者たちのリーダーは顔を真っ赤にして吼えた!
「ふざけるな! 俺たちはお前みたいなチャラいのと違って真剣に自分の音楽と向き合ってるんだよ!」
勝負しろ、と彼は突きつけた。
「お前の音楽と俺らの音楽、どっちが優れているか白黒はっきりつけようじゃねえか!」
打楽器が打ち鳴らされる、歌が始まり、やんやの喝采。検問に向かおうとする日輪連盟の荷車は、この群衆によって、大幅な迂回を要求されることとなる。
※
テスとリーンは息を弾ませて都の長い坂道を駆け上がっていた。先導するのは都の地理に詳しいリーン。その後を追いながら、テスは、これは本当に俺のするべきことなのかと考えていた。
俺は、なすべきことをしているのか?
夢を見た。長い白昼夢だった。淡い光の中で、トビィが何かを探している。
『北ルナリアのお土産なんだよ。テスにぴったりだと思って。羽根なんだ。白いオウムで、人間みたいに歌ってさ――』
石畳の凹凸を靴越しに感じながら、テスはただ走る。今目の前のやるべきことといえば、それしかない。
『あ、見つけた! ほら。これ』
夢の中、トビィが差し出した羽根は血にまみれていた。トビィも血まみれだった。トビィは謝るのだ。
『ごめん、汚しちゃった――』
「こっちだ」
リーンの声に顔を上げる。短い黒髪の女性士官は、テスがついてくるのを確かめながら木立の並ぶ公園に駆け込んだ。
低木に身を潜める。
餌をついばんでいた小鳥たちが、一斉に舞い上がった。カラ類だ、とテスは思った。
テスはできるだけ太い木の幹に背中をつける。
「何をしている、こっちに!」
低木の陰から呼ぶリーンに、テスはいつものゆっくりした喋りかたで応じた。
「お前は伏せていろ」
首から下げた鳥笛を、服の中から引っ張り出す。唇に当て、軽快に吹き鳴らした。
ヤマガラの歌を。
カラ類は好奇心が強く、人馴れしやすい。これは賭けだ。まずは異性を呼ぶオスの歌。ついで餌を見つけた興奮の声。
鳥。
テスは鳥になる。テスはヤマガラになる。そのうちに、一羽、二羽と木の枝に舞い降りてきて、数羽がテスの足許に近付いてきた。
そうでありながら、テスの心の冷たく固い部分は、テス自身のままだった。テスの心の目は、トビィを、汚れた羽根を差し出す血まみれのトビィを見つめていた。
本当は、アズがトビィを連れて旅に出るはずだったのだ。
(小鳥たちが寄ってくる)
本当は、自分がコブレンに残るはずだった。
(小鳥たちがくる。めいめい囀る)
つまり本当は、自分がコブレンで死ぬはずだったのだ。
(小鳥は歌い踊ることを知っている。鳥の歌。寄ってくる小鳥たち。それが一斉に舞い上がる)
テスは鳥笛を吹き鳴らすのをぴたりをやめた。
小鳥たちが飛び立ったのは、日輪連盟の兵士たちがテスたちを探しにやって来たからだった。
「ここにはいなさそうだな」
よく探しもせずに、兵士の一人が言った。もう一人が尋ねる。
「なんでわかるんだよ?」
「考えてみろよ。ここに逃げ込んだなら、こんなに小鳥が集まってるはずがないだろ?」
気配を消し、微動だにせず固まっているテスの横で、兵士は「なるほどなぁ」と呟きながら背を見せた。去っていく。
――もしアズもトビアスも死んだなら。
テスは行き場のない怒りのままに思った。
――信仰なんて捨ててやる。