市街戦/コブレンの戦い(5)
文字数 1,966文字
アズたちはまだ、東の通りの終端にたどり着いていなかった。星獣に立ち向かい得る彼らを制圧しようと、別の星獣が差し向けられ、商人たちが彼らを探していたからだった。
象牙の歌がアズを追いかけ回していた。その歌は、変色した体を異様な感覚で苛み、疼かせ、熱を帯びさせた。アズは顔に出さず、黙って耐えていた。この感覚が何を意味するかなど、生き延びてから考えればいいのだ。
路地を縫い、屋根や物陰を走り、三人は包囲を脱しようとしていた。後ろのほうでは象の星獣が苛立ち、手当たり次第に物を蹴り壊したり、踏み潰したりしている。
自警団員たちが『猫の通り道』と呼ぶ、果樹園の中の潅木の茂みや柵の破れを伏せてくぐっていたアズは、大人が通るのがやっとの道へと茂みから抜け出たところで振り向いた。あとから出てこようとしたトビィとレミが、道を塞がれ、伏せたまま詰まった。
「どうしたの?」
トビィが尋ねる。アズは道を譲りながら答えた。
「あの辺りの路上にはまだ人が残っていたはずだ」
「急ごう」兄弟は頷いた。「急げば、それだけ早く取り残された人たちの逃げ道ができるよ」
気にしても仕方がないことだった。トビィの言う通り、路上にいた人々がどこに逃げても、東の通りの突き当たりが塞がれていては同じことなのだから。
それまでの誘導は、自警団の他の部門がしてくれるはずだ……手が回る限りは。
顔を上げたアズは、細い道の先に現れた人影を見て息を呑んだ。路上から追い散らされた人々だ。第二城壁外の家から着の身着のまま避難して、今また星獣の猛威からかろうじて逃げ出した一団が、導き手もなく、静寂と安全を求めてさまよっているのだ。
彼らが通り過ぎてから、アズは動き出した。細い道を抜け、表通りに出る直前の角で耳をすませた。弩の巻上げ機を操作する音が、近からず遠からずの距離から聞こえてくる。
それとは別に、慌てふためく足音が近付いてきた。足音からひとつ確実にわかるのは、その足音の主は、戦闘訓練を受けた人間ではないということ。
最も可能性が高いのは、群れからはぐれた避難民の一人。それが、アズたちのいるほうへ、ひいては弩に矢をつがえてアズたちを待ち構える兵士のいるほうへ、迫ってくる。
トビィが、アズを押しのけて動いた。月牙を右手に持ち替え、利き手である左手にはダガーを握りしめていた。アズには止める間もなかった。トビィが表通りに飛び出すと、足音がぴたりと止まった。
トビィは全神経を研ぎ澄ます。
聴覚、視覚、皮膚感覚。とりわけ第六感を。
気配へと体を向ける。
異変を察知した射手が、街灯の土台から、
胸にダガーを受けた射手を、レミの剣が襲った。
「いたぞ!」
誰かが
「こっちへ」トビィは少女の手を取った。「大丈夫。怖くないからね」
もう一度表通りを渡る。
アズは通りの右手に切り込み、駆けつけた商人と戦っている。レミはアズと一緒だ。
赤目は――。
赤目がひどく吠えた。
危機を告げ知らせているのだ。
そういう吠え方をするときは、赤目が近くの敵に駆けつけても間に合わないとき。
直感に導かれ、顔を左に向ける。
ぴたりとこちらに狙いをつけた弩が見えた。
その矢が放たれるのを、弩の矢が一秒を十分の一にしてさらに十分の一にしてさらに十分の一にした時間ずつ、自分と要救助者とに近付いてくるのを、すなわち見えるはずがない軌道を、トビィは見た。
この軌道は。
要救助者に当たる。
少女を突き飛ばした。
体の位置を入れ替える。
少女は頭と背中をレンガの壁に打ちつけ、声を上げた。トビィが少女をかばって両腕を壁につくのと、左の脇、背中に近い位置に激しい衝撃を受けるのが、同時だった。
よろめいた。
熱い。
急速に体内に侵入した異物が、その鋭い切っ先から深く体を傷つけていた。
呻きがもれそうになる。
歯を食いしばった。
硬直していた少女が、怯えながら目を開けた。薄着の少女の伏せた目が、トビィの脇腹に深く刺さる矢、その傷口の衣服を汚し、徐々に広がっていく血のしみを見た。
その意味を理解し、少女は顔を上げる。
身代わりとなり、かばってくれた自警団の青年は。
笑っていた。
この程度のことは何でもない、いつものことだ、平気だ、と言わんばかりに笑いかけ、しっかりした口調で話したのだった。
「ね? 全然怖くないでしょ?」