海賊
文字数 2,755文字
港町ミナルタでは、出航までの数日間をひたすら読書に費やした。初めて海を見た興奮は、その数日間に失われ、船は陸で目にしたときに予想した通りひどく揺れ、ミスリルはわけもなく憂鬱になっていった。
乗船前から、タルジェン島に『月』を持っていくようメイファに暗示させられたのではないかという気がずっとしていた。あのシオネビュラの二位神官将補は、『月』に関して、人や星獣の多いところにあるべきものではないと言った。コブレン自警団の立場として、消去法でタルジェン島ヨリスタルジェニカ神官団に『月』を託すしかないと判断するところまでわかっていたのではないか。
もちろんただの深読みだ。考え始めるとキリがない。
星獣がからむあの一件。ソレリア神官団は面目を丸潰しにされたが、それによってあの時点で『月』がコブレンにあったことを彼らは理解した。だから自警団に書状を送って来たのではないか。第一、自警団に北ルナリアからの書状が届くのが早すぎる。結果を予想してグロリアナで待機していたとしか思えない。アズたちはそれを理解した上で、自分たちの代わりに北ルナリアに行ってくれたのではないか。『月』をタルジェン島まで持っていくのは、別に彼らでもよかったのだから。
ミナルタの商館の乗船受付所で出会ったトリエスタの民兵のことも気になる。リージェスとリレーネを探し回っているというトリエスタの民兵たちは、あの時点では自分たちを探していたのではないか。より正確には、あの時点で『月』がミナルタにあると嗅ぎつけていたのではないか。そういえばコブレンでトリエスタの民兵を手にかけた犯人もわかっていない……。
今考えても仕方がないことだが、ミスリルは、一度気になると止まらなくなるたちだった。目を甲板の手すりから海へ向ける。漕ぎ手たちの櫂を
ミスリルはため息をつき、頭を軽く振った。
「何をそんなに悩んでるの?」
共に海風に吹かれるリアンセが少しだけ眉を寄せて尋ねた。ミスリルたちの旅の目的をこれまでそれとなく聞かれたが、ミスリルははぐらかし続けていた。手すりに両腕を乗せ、背中を丸めたままリアンセに顔を向けた。
「まあ、俺、こういうデカい船って初めてだから……」
「船酔い?」
そういうことにしておくほうがよさそうだった。
「今は大丈夫。タルジェン島ってどんなところなんだ?」
「何もない、ただの島よ。オリーブとか、柑橘類の畑が崖沿いに延々続いてて、崖下の真っ青な海を、帆を張った船が行き交うの。観光に来る人も少ない。静かなところよ」
「産業は農業か漁業だけなのか? 神官領なんだろ?」
「そこの神官将は交易に力を入れているわね。新しい産業を導入したとしても、農地や工場ができたら、売り込みに来た商人たちは本土からの職人や技術者を送り込む。戦争が終わるたびに大量の失業者が出るから、その人たちを土地代の安い僻地で使う。口うるさい現地の人を雇うより安上がりだし、職を保証し治安の維持に貢献しているとかで体面もいい」
「それじゃ、誘致した側は全然儲からないじゃないか」
「そういうことをわかっているから、ヨリスタルジェニカの神官将は新しい産業の導入に消極的なの。それより識字率の改善と子供や若者の教育に力を入れているわ。いずれその子たちが本土で商売や技術を学んで、地元で新しいことを始めてくれたほうがいい結果に繋がるって」
ミスリルは手すりにもたれかかるのをやめ、背筋を伸ばした。
「タルジェン島の正位神官将はどういう人なんだ?」
「シンクルス・ライトアロー。まだ若い。あなたや私と同じくらいよ」
「へえ」
正位神官将の地位ならば、少くとも四十は過ぎているとミスリルは思っていた。
「それはすごいな。ライトアローって、あの盟約御三家の?」
かつて地球人が囲いの大陸に暮らしていたときから続く三つの名家。千年の昔に大陸から地球人が去る祭、神の意志の遂行者としての権力を授けられ、以降神官の独立を守り、文明退化を推し進めてきた。矢の家、弓の家、射手の家。そのうち射手の家ことウィングボウ家は八百年前に滅亡し、矢の家ことライトアロー家はアーチャー家の奸計によって西方領で失脚させられた。
「王家転覆を企てた嫌疑をかけられたんだっけ?」
「それは十年近くも前に潔白を証明されてるわ。法廷に立ったアーチャー家のハルジェニクという男が土壇場で自分の家を裏切ったの。その証言でシンクルス・ライトアローは投獄からわずか十分後に釈放されて、両親はすぐに保護されて今も生きている。ライトアロー家からも大量の離反者が出たけれど、当主はすぐに家の再興に着手して、直系の嫡男をタルジェン島に送り込んだのよ」
「南西領をライトアロー家再興の足掛かりにしようっていう算段か?」
「ええ。それを二つ返事で許したのが今の南西領総督シグレイ・ダーシェルナキ」
その地の神官将は総督と良好な関係を保っている、と、レミか誰かが言っていたことを思い出した。
「アーチャー家の嫡男ハルジェニクは家を追われ、今どこにいるのかはわからない。以降西方領ではお家騒動のごたごたがずっと続いてる」
「リタは物知りだな」
「有名な話よ、これくらい」
船が大きく揺れた。甲板が傾き、海面が実際以上に自分のもとに迫ってきた気がして、ミスリルは身構えた。よろめいたリアンセが手すりに手をついた。漕ぎ手たちが
ハンカチと一緒に、小さな茶色いものが一緒に出てきて、甲板にぽろぽろこぼれた。ミスリルの目が自然と吸い寄せられる。
そのとき頭をよぎったのは、床に転がる
「お前、なんで
再びの揺れ。リアンセが屈み、甲板に転がる胡桃の殻を拾い始める。
「知らないの? 星獣祭で配られた胡桃は、殻を持ち歩くと幸運のお守りになるの。それよりあれを見て」
笛と太鼓が一層騒がしくなっていた。弩を手にした海の男たちが甲板に押し寄せてくる。
戦闘の配置につくのだ。
リアンセが指で示す先。
島影とは明らかに違う黒い影が、こちらに向かって来る。
「ソラート神官団の艦隊よ」