攻城戦/レライヤ城砦の戦い
文字数 4,396文字
レライヤ城砦を目前とした狭小な戦場に、月環同盟軍全軍が押しかけていた。兵站・輸送部隊は後方で円陣を組み、その左側面をモーム大佐の予備部隊が守る。
日が沈み切ると同時に月環同盟左翼が日輪連盟騎兵部隊の急襲を受けた。予備の弓兵隊がこれを撃退すると、次は右翼が攻撃を受け始めた。
頭上には天球儀が輝き、雪雲の切れ目には赤い星雲が絹を広げたように展開されていた。城砦には篝火が焚かれ、歩廊に居並ぶ連盟の弓兵たちが影のように蠢いていた。
しばらくは様子見の攻撃が続いたが、月環同盟に後退の意思がないと見るや、全面衝突が始まった。
同盟は守りの薄い陣地右翼に集中攻撃を受けた。その背後は森で、戦況が悪化すれば森に逃げ込んで騎兵の追撃を防ぐことができるが、その場合背後で円陣を組む非戦闘部隊が蹂躙され、同盟の部隊正面は背後を取られることになる。
右翼を指揮するのはミナルタ市を始めとする同盟諸都市の軍勢で、それにはシオネビュラ民兵団、グロリアナのソレリア民兵団も含まれていた。
その右翼部隊がじりじりと森へ押され始めたとき、状況が動いた。
正面のシオネビュラ神官団と交戦していた日輪連盟部隊が、劣勢となった月環同盟の右翼側に流れると、連盟の正面と左翼の間に
動いたのは、シルヴェリア率いる南部ルナリア独立騎兵大隊。シルヴェリアは大胆にもこの間隙を正面から突破して、連盟軍正面の背後に回り込むと、これを攻撃し始めた。
主力部隊が挟撃にあい劣勢と知ると、日輪連盟左翼部隊は後退を始める。
これらの流れは、最初の戦闘から一時間程度の出来事だった。まだ同盟の攻城兵器の出番ではなかったが、日輪連盟軍の星獣兵器の出番が来たようだ。
レグロがその兆候を掴めたのは、僅か一部隊の騎兵に急襲された日輪連盟軍が長槍部隊を立て直そうとせず、後退する自軍左翼部隊の流れに合流して城塞の門へと押し寄せ始めたからだった。連盟の前線が後退し、重歩兵部隊が前に出て撤退を支援。
連盟軍の背後でレライヤ城塞の鉄格子の門が上がっていく。
門の中の闇で、悲鳴が上がった。誰かが押し潰されたのだ。
星獣兵器のお出ましだ。
※
日輪連盟の兵士は、己の軍の兵器から逃げ惑っている。シルヴェリアの目にはそう映った。
レライヤ城塞の攻防に投入された星獣兵器は、コブレンでの実戦で性能を証明されたものだった。まず、象牙の歌を打ち鳴らす、蛙脚の象――兵士たちの多くは無学であり、象という生き物を図録ですら見たことのないものがほとんどだ。よって左右に散開した日輪連盟の重歩兵の間から姿を現したそれは、既存の生き物の組み合わせではなく、全く未知の生物と兵士たちは認識しただろう。これはよくない。未知は恐怖を増幅させる。
シルヴェリアは騎兵隊を素早く後退させ、自軍左翼後方の予備部隊にできる限り近い位置に戻ろうとしていた。そうしながらも、自らはいよいよ危険が迫るまで星獣兵器の姿を目視で確認し続けた。
いかにも星獣兵器は、亡きカーラーンの報告にあった通りのものだった。象と体と蛙の脚を組み合わせたもの、四枚の赤い刃の翅を持つ蝶、一角獣。
第一陣はその三体だった。
「あら、たったの三体だなんて」
逃亡したレナに代わって南部ルナリア独立騎兵大隊の副官を務めるフェンが、シルヴェリアの隣で
「私たちが何の対策もしてこなかったと思っているのかしら」
日輪連盟の軽装部隊は、我先にと城塞の落とし戸の向こうに撤退する。重歩兵が城門を守り、両翼を騎兵が支援する。
最前列には星獣。
「フェンや、慢心するでないぞ」馬上のシルヴェリアは、冷酷で好奇心に満ちた笑みを浮かべた。「これは賭け、博打じゃ」
戦場にあるまじき沈黙。
月環同盟軍は怯むことなくシオネビュラ神官団を前衛正面に置き、強行突破の布陣。他の部隊も開戦前とほぼ同様に展開していた。そこに、鈴打ち鳴らす象牙の歌が、場違いに小さく流れている。
城塞の歩廊から、突撃の喇叭が鳴り響いた。
月環同盟軍もまた、一斉に旗を振り上げまたは振り下ろした。それらの信号旗の意味するところはこうだ。
『右翼部隊、森に後退し散開せよ。正面部隊は陣形を維持し左翼に寄れ。非戦闘部隊及び予備隊は持ち場を固持せよ』
これによって後方の非戦闘部隊は無防備となる。
指揮官が人間であれば、これは罠だとすぐにわかったはずだ。だが星獣兵器は
まずは赤い蝶の星獣が、背中を向けて森へ逃げ込む右翼部隊に襲いかかった。逃げ遅れた兵士たちがその背中から切り刻まれる。ある者は一撃で命を落とし、ある者は血を流しながら大地に倒れ込んだ。
血の匂いと悲鳴に引きずられるように、他の二体の星獣が右翼に首を向ける。
指揮部隊のレグロが信号を発した。
『工兵隊、攻城戦を開始せよ』
シオネビュラの星雲旗が翻り、喇叭が高らかに悲鳴を裂く。ねじりばね式のバリスタが十台、投石機が十二台、最後に二台の攻城塔が、車輪で大地を掘り返しながら前進を開始する。月環同盟の左翼で主力部隊が対人戦闘を開始したとき、三体の星獣兵器は同盟の右翼へと、その背後の森へと誘導されていた。
星獣兵器を意に介さず、攻城兵器が前進する。それらは城塞の歩廊に立つ弓兵たちの射程に入る直前で前進をやめた。
投石機のスプーン状のアームに岩石が載せられる。巻き上げ機を使ってロープをねじり、負荷をかけた状態で待機。全てのバリスタもまた弦が引かれ、城塞の歩廊にいる兵士たちに狙いが定められた。
城塞の落とし戸がもう一度開かれ始める。状況を把握した指揮官が、追加の星獣兵器を投入しようとしているのだ。
城門前を守る重歩兵の戦列が割れる。そのときを待ちわびていた工兵部隊の指揮官が叫んだ。
「撃て!」
投石機の解放されたアームが勢いよく立ち上がり、岩石が空を切った。城塞に激突し、土埃が舞い上がる。剥がれ落ちた石片が真下の重歩兵たちに降り注ぎ、隊列が乱れて新たに投入される星獣の進路を塞いだ。さらに彼らにとって悲惨なことに、バリスタの直撃を受けた城塞の上の仲間たちが何人も、頭上から落ちてきた。
「進め、進め!」
月環同盟の指揮官たちが、騎兵が、歩兵が、降り注ぐ弓矢にも構わず勢いづいて叫ぶ。進撃せよ!
だが月環同盟陣地左翼の攻勢に反して、右翼は惨憺たる有り様を見せていた。
今や星獣兵器を一手に引き受けることとなった諸都市連合部隊は、背中を見せて逃亡することで星獣たちの闘争本能をこれ以上なく刺激していた。
次々と友軍が逃げ込む森の手前で、ソレリア民兵団が立ちはだかり、ただ一部隊、奮戦していた。
「逃げる者は容赦しない!」
若きグロリアナ領主ゼラ・セレテスは、剣を振り上げて兵士たちに呼びかけた。
「味方の後退を援護せよ! 一兵卒たりとも見捨ててはならない! 我らがグロリアナの栄誉のために!」
家族に対する一生分の恩給を約束された田舎町の兵士たちが、領主に呼応する。
「グロリアナに栄光あれ!」
その恩給が何を意味するのか、兵士たちはほとんど何も考えていなかった。あるのは恍惚とした昂揚、動物的な一体感、履き違えられた運命論。自らの領主によって、『英雄的で悲劇的な』死に付き合わされるのだと考えた者はいない。
赤い蝶の星獣が、自ら盾となったグソレリア民兵団の隊列に突っ込んできた。剣の翅に切り裂かれ、血飛沫が上がる。
「怯むな!」ゼラの檄を受けて、槍を持った兵士たちが星獣に殺到する。「コブレンの戦いにて証明されている! それらは強力であるが不死身ではない! 突っ込め!」
それでもソレリア民兵団の隊列は見る間に薄くなっていく。
「領主様をお守りしろ!」
兵士たちは誰に言われたでもなく、ゼラを中心に方陣を組んだ。その方陣に星獣が殺到し、一角獣の角が、象の鼻が、蝶の翅が、押し潰し、刺し貫き、切り裂く。森の廃墟で奇病に侵された領民を匿っていた民兵たちが、斬り刻まれた。旧ミナルタでゼラに従順に付き従っていた兵士たちが踏み潰された。
「戦え、戦え!」
最後に、ゼラ自らが剣を振りかぶり、星獣兵器に突っ込んでいく。
「グロリアナに栄光あれ!」
そのゼラも、赤い蝶の星獣に首筋を撫でられ、地に崩れ落ちた。赤々とした血を、ゼラと彼の部下たち血を、大地が貪欲に飲み干していく。
そして星獣が森の餌場に殺到する、そのときだった。
歌が始まった。
命からがら森に逃げ込んだ最後の部隊の耳にもまた、その歌詞のない歌が届いた。耳慣れぬ旋律と、不快な抑揚。森に散開した兵士たちは、森の中を進んでくる松明、歌う兵士、松明に照らし出される旗を目撃した。
先頭に立つのは、白馬にまたがった瑠璃色の髪の若者。白い詰襟の、神官団の戦闘服。階級は正位神官将。槍を手に若者を守る兵士たちもまた歌っている。
その、鯨と虹の旗は。
「ヨリスタルジェニカ神官団だと?」
誰かが叫んだ。
「馬鹿な! タルジェン沖で姿を消したはずだぞ!」
それを耳にするや、馬上の神官将シンクルス・ライトアローは歌を止め、声を張り上げた。
「皆の者、歌え!」
海の神官団は、森の中を歌いながら前進していた。
「我らに
その命令の意味するところを理解した者はいなかった。だが兵士たちは、命令を受けるとそれに従い始めた。
ヨリスタルジェニカ神官団に続いて、シオネビュラ市防衛に残されていたはずのシオネビュラ神官団の予備部隊が現れた。ヨリスタルジェニカと同じく歌っている。誰か器用な兵士が、いち早く奇妙で不愉快な旋律を覚え、口ずさみ始めた。
そうすれば、暗い森に散ってどうすればいいかわからない他の兵士たちも、自然とするべきことを見つけた。歌うのだ。
自ら最前線に立ち、森を抜けたシンクルスは、眼前に巨大な赤い蝶が落ち、もがいているのを見た。今や森全体が歌っていた。投石の轟音と、騎兵と騎兵が、歩兵と歩兵が切り結ぶ戦場の騒音の中で、象の星獣は溶けて形を失い始め、一角獣の星獣は、その角を起点に体を硬化させつつあった。
どの星獣も、少しずつ粉になってかけらを大地に撒き散らしていく。
その危機的状況を、城塞に立つ日輪連盟の指揮官は目撃し、理解したはずだ。
これが星獣の弱点だ、月環同盟は掴んでいる、と。
上げられた落とし戸の中に、連盟の兵士が引き上げていく。まず散兵が、次に騎兵が、最後に重歩兵が。城塞の上では弓兵たちが姿を消していた。
せめてもの時間稼ぎにと、城塞に火が放たれた。見捨てられて戦意を失い、捕虜となる重歩兵たちの後ろで、石造りの城塞の窓という窓から赤々と火が噴き出す。その後ろでは、都に至る山道を、率先して逃された星獣たちが燐光を放ちながら遠ざかっていく。
それら全ての戦いの様相を、天球儀の輝きが見下ろしていた。