市街戦/コブレンの戦い(4)
文字数 3,285文字
あまりにも趣味が悪かった。
胴体の先は
星獣はものを食べられない。それでも飢えは感じるのだろうか。周辺に、細かくちぎれ、すり潰された肉片が飛び散っていた。二つの複眼は、多種多様、色とりどりの模様で構成され、目まぐるしく変転しながら渦を描いていた。
屍肉漁りに夢中に見えたそれは、意外にもクララの存在に気づいており、前触れなく口吻を伸ばしてきた。素早く路地に逃げ込むんだクララは、そこに転がる敗れた者たちの亡骸を見た。
腰の留め具を外し、鞭状の長剣を抜き払う。大きく振りかぶりながらもう一度星獣の正面に飛び出した。回転を加えると、長剣はしなりながら口吻を切り落とした。
もう一度脇道へ退避。
怒り狂った星獣が模様で歌い始めた。死者を投げ捨てる音。自らを奮い立たせるべく爪で石畳を鳴らしている。その背面に回り込みながらクララは吐き捨てた。
「設計者出てこい」
塗料があればいいのに、と思った。動く模様を塗りつぶしてしまえば直視できる表面積が増える。巻き上げ機つきの弩を拾い上げた。兵士たちはこの場所に、群れで来て、死んだ。クララは一人で来た。一人でも戦わなければならない。
矢をつがえ、弩の
クララには経験上知っていることがあった。
強い者が勝つのではない。恐れぬ者が勝つのだ。
褐炭道路終端の十字路を塞ぐ蝶は、舞い降りたはいいものの、飛び上がれぬようであった。狭すぎるのだ。クララは位置を変えながら、矢を撃ち尽くした。窓から。屋根の上から。背後から。側面から。高威力の矢が翅に突き立つと、ガラスが割れるような音がした。星獣が身震いすると、その矢もあらかた落ちた。
弩を投げ捨てると、ウルミをかざして星獣の翅の間に落下する。滑る体を転落しながら武器を振り下ろした。
路上に落下。
受け身を取る。
背後に赤い色彩が落下し、砕けた。翅を一枚、付け根から切り落としたのだ。飛び跳ねるように起きて近くの窓枠を掴み、鎧戸をはねのけて家の中に転がり込む。蠍の尾が窓の中に入り込んできたが、朝の光を遮っただけで、クララには当たらなかった。
正面玄関からその家を出たクララは、思わぬ人物と出会った。
エーデリア・ハラムだった。
クララ同様、エーデリアも僅かに驚いたような顔を見せた。だが今は、互いに獲物同士ではない。何も言わずに玄関口を出たクララは、道の先に、翅を震わせてのし歩く星獣の姿に注目した。
星獣へと、地を蹴り走る。エーデリアもついて来た。
二人はただ、生気のない朝の光の中、武器で星獣を打ち据えては離れた。星獣は、傷つきはするものの、壊れる気配を見せない。やがて剥がれ落ちた翅のところに戻ると、うずくまり、刃物の脚で翅を持ち上げ、付け根を背中に当てた。
そして人間の言葉で歌い出した。
「あんたも逃げる算段か」
頬を紅潮させ、汗まみれになりながらクララはエーデリアを睨んだ。
「生きてなきゃ意味がないでしょう」エーデリアも息を切らしながら応じる。「私は死なないよ。散々殺して来たけれど、自分が死ぬのは御免被りたいわね」
同感だった。クララはため息をつき、二人を無視して道にうずくまったままの星獣に目を向けた。
「……歌流民の歌か」
そう察して呟くと、エーデリアが悪態をつく。
「知ってんのかよ」
「馬鹿め!」クララもまた強い調子で吐き捨てた。「見ろ、ド低脳。翅がくっついていくだろうが。歌で自己修復してんだよ」
目を剥くエーデリアを尻目に、クララは長剣をかざし、星獣に踊りかかった。
「歌え! コイツの歌を打ち消すんだよ!」
だが、エーデリアは姿を消した。
攻撃の気配を察知し、クララもまた小道に身を隠した。蠍の尾が街路を一撃する。屋根に上ったら、エーデリアの居場所がわかった。
星獣の後ろで、露天掘り場へと続く木の門の閂を開けようとしているところだった。男二人がかりでようやく開け閉めできる閂だ。クララはエーデリアの背後に舞い降りて、襟首を掴んだ。
低い声で脅す。
「歌えつってんだよ、ボケナス」
エーデリアの細い体を振り回す。
「……ミラ」
抵抗される前に、そのまま後ろを向き、飛び
「首を洗って待ってなさい」
よろめくエーデリアの体を、蠍の尾が貫通した。
エーデリアは悲鳴もあげなかった。
大穴の空いた体を仰け反らせ、袖口から伸びる指をぴんと伸ばしていた。口は細長く開かれ、眼球は、眼底の圧力で押し出されていた。
星獣は動きを止めた。翅の修復に戻るのだ。クララは歩み寄り、まだ命のあるエーデリアを欺いた。
「大丈夫。ちょっと刺さってるだけだ。致命傷じゃないよ」
その一言が力を与えたのか、エーデリアは浅く頷く。
「歌うんだ。せめてその努力をしな。星獣を制御できればこの忌々しいデカブツを引っこ抜かせてやれるさ」
蠍の尾の先端は、エーデリアの背中から突き出て門に届いていた。とても助かるまい。クララは息を吸う。歌い出す。伝染性の死者の歌。死の苦痛、迫る冥府の闇の歌。
驚いたことに、エーデリアも共に歌おうとした。開いた口からこぼれる血は、口の動きに合わせて体や舗道に撒き散らされる。
クララは声を張り上げる。
ついぞ体の修復を止めて振り向いた星獣の眼球は、歌声を張り上げるクララではなく、声にならない歌声のエーデリアを向いているようだった――複眼なのでよくわからないが。
死にゆく者の死の苦痛の歌。それは何より真実の歌。恋する者の恋の歌よりも。若者たちの青春の歌よりも。海の男たちの鯨の歌よりも。墓守の慰霊の歌よりも。
星獣の自律の歌、ありやなしの自我を確かめる歌よりも。
ずっと真実だった。
意識を失わせないために、クララはエーデリアの腕に触れ、つねった。
視界に入る蠍の尾の模様が
尾は
全ての模様が溶けていく。
星獣は残された模様で歌おうとし、異音を発した。抵抗は功を奏し、顕鎖の進行を押しとどめた。
星獣は歌う。
クララも歌う。
エーデリアも歌う。
蠍の尾がちぎれ落ち、最初にエーデリアの歌が
次に止んだのはクララの歌だった。
クララには何が起こったかわからなかった。衝撃を受けただけだった。
わかったのは、数秒意識を失ったあと。
星獣が、修復途中の
巨大な刃はクララの体の前面に直撃し、とりわけ左の肩口を深く裂いた。クララに見えたのは、その翅の赤さだけ。背中から近くの家の壁に叩きつけられ、ずり落ちながら、致命傷を受けたことだけ理解した。
口を開けた。
開いた肩から血と力が急速に漏れていく。
声が出ない。
必要なかった。
星獣の最後の一撃は、星獣自身の力を使い果たさせ、自我を崩壊させた。その体が黒に覆われ、砂のように崩れ落ちるのを、雪雲越しの朝日の中で見た。
雪が降り始めた。
静けさの中で、右手で左の肩を押さえるクララは、その感触が幻覚であり、つまり右手は冷たい舗道に垂れたまま肩に触れてなどいないことにふと気がついた。もう動かないのだ。
ひどく眠く、疲れていた。眠気のままに目を閉じた。微かに息を吸い込んで、唇に雪の冷たさを求めたとき、死とは実際どういうものなのか、クララは初めて知った。