俗物
文字数 2,574文字
修道院長アウェアクは、院の財産を隠すことが保身につながると考えているようだ。
「トリエスタ伯の怒りを買ったのよ。彼はシオネビュラの神官将を捕らえようとして失敗しただけじゃなく、南トレブレンの指揮官が月環同盟軍に寝返るんじゃないかと進言した」
その進言がトリエスタ伯を怒らせた。連絡が行き違いになってアウェアクは知らなかったが、既に事実その通りになった後だったからだ。結果として修道院長は痛くもない腹を探られることになった。
「で、なんでそんなときに財産を分散させる?」
「金を集めて持っているほうが危険だと考えたんじゃないかしら。その金で何をするつもりかと言いがかりをつけられるかもしれない。どっちにしろ同じだと思うけど」
「ちょこちょこ動き回ってれば、取るに足らない小心者だと思ってもらえるってか?」
「私たちはその男の人となりを知らないわ。危険を招く。決めつけないで」
二人は一昼夜、平原を歩いた。一度農家で屋根を借り、スープの残りをわけてもらい、夜明けにその家を出て、今は昼を過ぎている。今日も天気は快晴だが、空の向こうの黄ばんだ色みが日没の到来を予感させていた。
もともと起伏の多い土地だが、歩くうちに、明らかに上りが多くなってきていた。そろそろ見上げる斜面の上に町が見えてきてもいいはずだ、と期待して一つの斜面を上りきれば、本当に遠くに教会堂の尖塔が見えた。それが町で一番大きな建物なのだ。平たい建物が、吹きさらしの大地で塔を取り囲んでいた。郊外には刈り入れの済んだ畑が延々と横たわる。だが、畑と町の間には、一筋の川が流れていた。
「あれが目的地に違いないけど、ちょっと道間違えたわね」
「橋がないな」
「ええ。町の正面に行きたかったんだけど、回り込んでる時間がないわ」
「急ぐのか?」
「
「なるほど」
斜めになった日光を浴び、金と黒の二色に光る川に向かって二人は斜面を下っていった。
「でもお前、このまま歩いて渡るつもりか? 俺は別にいいんだけどさ」
「あら、平気よ。浅瀬を渡ればいいわ」
「どこが浅瀬かわかるのか?」
「水の淀んでいるところと、流れているところをよく見てちょうだい。筋ができているのが見えるはずよ。そこが渡りやすいところ」
へえ、とミスリルが感心するので、意外な思いを込めた目でリアンセはミスリルを見つめた。
「知らなかったの? あなた、なんだかこういうことには詳しそうな感じがするのに」
「俺たちは狭い室内や市街地での戦闘に特化してるからな。城壁の中には自然の川は流れてないし」
川のほとりに着くと、まずリアンセが、ついでミスリルが川底の滑る石の上を歩き始めた。透明度が高く冷たい水は、たちまち足の感覚を奪った。それでも転ぶことなく対岸に上がると、二人は服を絞った。家々はすぐそこにあり、農夫が一人道を歩いていたが、二人には胡散臭そうな目を向けるだけですぐ家に入っていった。
「で、どこで着替えるんだ? ずぶ濡れのままじゃ目立つだろ?」
「公衆浴場を探しましょ。聖所に入る前には垢を落とすべきよ」
町の人々は、よそ者を遠慮なくじろじろ見たが、誰も話しかけてこなかった。排他的な町のようだ。家々には、住む人の心の荒廃の証があった。鉢植えに枯れたまま放置された花。塗装が剥げたままの壁。砂が溜まるがままのポーチ。悪臭を放つ閉め切られた納屋。砂にしゃがみ込んで無言で
とにかく体を清め、茜の空と淡く光を放ち始めた天球儀の下で、二人は教会堂に向かった。
ギセルモード・アウェアクは、わざわざ暗殺しなくても、放っておけばそのうち死にそうな老人であった。会衆席のベンチは七割がた埋まっていた。ミスリルとリアンセは、一番後方の、左の隅に腰をかけた。
はじめに修道院長アウェアクが会衆に紹介され、賛美歌、朗読、説教と続く。
この説教が、かれこれ四十五分は続いていた。しかも、よく聞くと、長くて十分で済む話を言い回しを変えて延々繰り返しているのである。こんな具合だった。
「みなさん、私たちは罪深い。大変罪深い。ですが地球人たちは私たちを憐れみ裁きを遅らせてくださいました。私たちに時間と機会を与えてくださいました。みなさん、私たちはこのままでいいのでしょうか。みなさん、私たちは隣人を愛しておりますでしょうか。私たちは日々を柔和に過ごしておりますでしょうか」
ミスリルは眠くなってきた。うつらうつらし始めると、リアンセが肘で脇腹をつついてきた。目を開けて姿勢を正し、彼女にしか聞こえない程度の声で言ってみた。
「なあ、アレ本当に殺しとかなきゃいけないほどの男か?」
話ぶりから、奴は無能だとミスリルは結論づけていた。
「いいから黙ってて」
当然ながら、長い説教が終わる頃にはすっかり夜になっていた。大部分の会衆が去っても、リアンセは一人残った。敬虔なふりをして、内陣に向かって手を組み、頭を下げて、礼拝の片付けが終わるのを待った。
そのうち、祭服を脱いだアウェアクが内陣の
アウェアクは鍵束を手に、果たしてこんな美人の身内か知り合いがいただろうかと考え込むように立ち尽くした。
「ギセルモード・アウェアク先生ですね、クロムウェル神学予備校の」
呼びかけながら、リアンセは側廊を通って小走りで彼に近寄った。アウェアクは、目やにのついた目で瞬くと、浅く頷いた。
「そうだが、あなたは誰かね」
「失礼しました。あなたの教え子セレスタ・ペレの妹でアルマと申します。クロムウェル神学校を去られる際のパーティーにお招きいただき、そこでお姿をお見かけしておりました」
「へえ」
確かにこの女、薄汚れた格好だが育ちは良さそうだとアウェアクは考えた。
「それで、今日はどうしたのかね?」
「先生に、姉のことで助けていただきたいのです」
アウェアクは、美しい女性の客人を前に考えるふりをした。
長い間を開けて答えた。
「戸締りをするから、待っていなさい。奥に私が泊まる部屋がある。ゆっくり聞かせてもらいましょう」