無よりも有
文字数 2,615文字
リージェスとリレーネ、それにミスリルとリアンセを加えた四人は、月環同盟軍が解放したあとの村々を、進軍を追うように歩いた。護衛が絶えずぴったりとつき、四人が過ごす宿の入り口にも二人一組の兵士が見張りに立っていた。
ここに要人がいますよと
月環同盟軍が山肌に広がる都の裾野にたどり着いたとき、月の欠片を埋めた場所へとシルヴェリアを案内する役を、リージェスは負っていた。
「掘り返したところで何が起きるかはわからないがな」
リージェスは不機嫌そうに、鳥の塩焼きとサラダを挟んだパンを食べ終えて言った。皿の上で手をはたき、パン屑を落とす。
「やってみなければわかりませんわ」
リレーネは言うが、ミスリルはその言葉を信じなかった。
月の一部は人の体を得て、マナになった。マナがいない限り、他の欠片が揃ったところで月は復元できない。
逆に言えば、マナがいる場所に月の欠片が集まれば復元の可能性は十分にある。そのときマナはどうなる?
「時間の無駄だと思うけどな」
ミスリルは恐れから口走った。今この場にマナがいてほしいのか、いてほしくないのか、自分でもわからない。現状、マナはいない。
「どうしてそう言い切れる?」
リージェスの目つきは鋭く、突っかかるような口調だ。
「あんたたちがコブレンからはるばる都まで持ち運ぶ間、月は復元されなかったんだろ? それが今になってどうして復元されるんだ?」
「だから、やってみなければわからないとリレーネは言っている」
「で、もし復元されたら?」
「同じことを何度も言わせるな。何が起きるのかわからないのは俺もお前も同じなんだぞ。偉そうに、いつも自分が正しいみたいな態度とりやがって」
自分らしくない態度をとっていることはミスリル自身わかっていた。取り返しのつかない事態になることを恐れている、それゆえだ。
「正しい?」ミスリルはむきになって言い返した。「そんなわけないだろう。正しいことなんて俺が知りたいね。なんなら教えてくれてもいいんだぞ」
宿の一室に険悪な空気が流れる。窓から陽が差し、汚れた皿に窓枠の陰影を描く。飛ぶ鳥の影が淡い光の中を横切った。
リアンセが深くため息をついた。
「私たち、どうしたらうまく付き合えるのかしらね」
リージェスのせいではない。ミスリルはわかっていた。マナという心理的弱点を克服できない限り、リージェスとうまく付き合うことはできないだろう。間接的にであれ、リージェスこそはミスリルにマナを与えた張本人であり、事の次第によってはこれからマナを奪うことになるかもしれないのだ。誰が望んだわけでもなく。
ミスリルもリアンセ同様、うんざりしていた。
「……言いすぎた」
リレーネがゆっくり首を振る。
「いいえ、ミスリルさん。リージェスさんが攻撃的になるのは、私たちに後ろめたいことがあるからですわ」
「リレーネ、言うな」
体の向きを変えたリージェスの目を、リレーネはじっと見つめた。
「何も言うな」
「おいおい、そこまで言っておいて『言うな』はないだろう」と、ミスリル。「なんだよ、後ろめたいことって」
髪を掻きむしるリージェスの隣で、リレーネは思い切った様子で告げた。
「私たちは、ミスリルさん、あなたのご友人であるマリステス・オーサーさんと行動を共にしていました」
「……は?」
と言ったきり、ミスリルは固まった。
「シルヴェリア殿下に口止めされていたのです。これまで黙っておりましたこと、大変申し訳なく思いますわ」
「いやいや」顔の前で手を振る「なんでテスがあんたたちと?」
「マリステスさんは、コブレン自警団からあなたたちを追うようにとのご命令を受けておられました。そして、あなたは私たちを探すであろうと推測された上で、マリステスさんもまた私たちを探されたのです」
「それで、見つけたと?」リアンセは心底感心した様子だ。「やるわね」
「テスは今どこにいるんだ?」
「都に。月を埋めた地点で、掘り返しを安全に進められるよう動いておられると聞きますわ」
「言っちまったな」リージェスは捨て鉢な様子で開き直った。「もうどうなっても知らないぞ」
「何もするかよ。俺も一緒に月を埋めた場所に行く。それだけだ」
「私たちがうまく打ち解けられないのは、リアンセさん、ミスリルさん、きっと恐れているからですわ」
「何を?」
「先ほどお話しした通り、何が起きるかわからない、ということを」
「そりゃそうさ」
「もし月が復元されましたら、何が明らしめられるかわかりません」
リレーネの目に影が落ちる。
「私が恐れておりますのは、きっと、神である地球人からの評価です。言語生命体はもういらないと、その意志を運んできたのが月ではないか、ずっとそう恐れておりました」
「俺は地球人が神だなんて思わないね。地球人からの評価も知ったことじゃない」
「ですが、大部分の言語生命体にとってはそうではありません」
「どう評価されようが、世界も命もあるほうがいい」
ミスリルの言に、リージェスが問う。
「どうしてあるほうがいいんだ?」
水を差したというよりは、確認したがっているふうだった。
「そりゃ、ないよりあるほうがいいだろう。自分も他人も生きてるほうがいい」
「殺し屋がよく言ったものだ」
「あんたのお手々はそんなにきれいなのか? 護衛武官」
リージェスが反射的に歯を食いしばり、かぶりを振るのをミスリルは冷ややかに見つめた。俺だって好きこのんで人を殺してると思うなよ。
「俺が、無よりも有のほうがいいと思うのは、俺が人間だからさ。死ぬのが恐いから。俺だって恐い。あんたと一緒だ」
でも、と続ける。
「神は人間じゃない。万能の神が死を恐れるとは思えない。神が生きとし生けるものを作ったのだとしたら、何か死の恐怖以外に理由があるんだ。無より有が善しとされる理由が」
「というわけで」リアンセがまとめに入った。「地球人が神でないならば、地球人からの評価を恐れる必要はなし。これで月の掘り起こしに対する恐怖は和らいだかしら」
ミスリルの恐怖は和らぐはずがない。
リレーネは優柔不断な態度で答えあぐねていたが、リージェスが代わりに答えた。
「俺の答えは変わらない。月を掘り起こし、何が起きるか見る」
「そう」
リアンセは頷いた。
「それまでの間、私たち、もう少し仲良くやりましょうね」