非戦のエーリカ
文字数 2,073文字
「聖なる物語の語り部たちが実際に何を言いたかったかなどわかるはずもなく」
理不尽だとしか言いようのない聖なる物語など掃いて捨てるほどある。
「人は時流や個人の状況にあわせ、そこに書かれた言葉を持ち上げたり無視したりする。つまり話の内容を頭から信じ込むのではなく、内容の解釈を変えていくことこそが人間の能力であり真摯な信仰の態度であるとセレスタは考えたのですわね」
借り上げた会議所の一室で、ララセルはエーリカの話を聞きながら、火箸を使って暖炉の中から温めた石を掻き出そうとしていた。
「それによって神の教えを都合よく歪めていると批判を浴びることは免れ得ぬとしても――」
誰かが窓を叩いた。五百年前の技術で造られた立派なガラスの窓である。エーリカは黒檀のテーブルを離れ、絨毯のように厚いカーテンを払った。五階の窓の外にはオウムの星獣、
エーリカが窓を開けると、雪混じりの強風が吹き込んで、ララセルは首を
『エーリカめ、私は貴様など姉とは思わぬ!』
灯尾はカーラーンの声で言った。
『私はかねてより貴様にうんざりしていた。一軍を率いるだと? 慣れないことをするより、
「おや、まあ」
エーリカは口の下に手を当てて笑った。
「行方の知れぬ長子や身動きの取れぬ総督に代わり、各都市を巡察するのも我が務め。慣れぬことをしていることは私自身よくわかっておりますが殺すぞ……」
「いきなり本音すぎませんか」
ララセルは暖炉から出した石を、床に広げた帯で包んだ。包んだ石を持ち上げようとし、
「あつ! あつあつぁつぁつあつぁあつぁっ!」
「灯尾や、カーラーンにこう伝えなさい」
灯尾の半透明の瞬膜の向こうで、模様が動き始めた。
「おお、カーラーン。私はお前がどれほど長子シルヴェリア愛していたかを失念しておりました。シルヴェリアはいたいけなお前を特別に
かわいがり
、幼いお前はどんな目に遭おうとも彼女の後をついて回った……」カーラーンの部下がいるところで彼の恥ずかしい過去をぶちまけるつもりかとララセルは気が気ではなかった。もう一度石を拾い上げおうとし、
「だあつぁっ!」
「いかにもあなたは私の勧告を無視して先に進むこともできます。ですが、後ろに控えているのがこのエーリカであることの意味をよく考えてみることです。あなたが雪の森林を踏破してでもミナルタに行くということは、そこにシルヴェリアがいるのでしょう」
銀の水差しに指を当てて冷やしながら、ララセルはエーリカの
「ミナルタ市へはシオネビュラをはじめとする月環同盟加盟諸都市が働きかけを続けておりますが、現時点では未だ立場を明言していないことをお忘れなく。
そしてカーラーンに付き従う非戦闘員たちよ!
お聞きなさい、従軍の鍛冶職人、パン職人、靴職人、馬具職人、
私はあなたがたを追い回し、
灯尾が飛び去ると、やっと窓が閉まった。窓辺で振り向いたエーリカは、ララセルが右手を軍服の左の袖に、左手を右の袖に突っ込んで暖炉の前にいるのを見、
「あなたそんなに寒い?」
ララセルはくしゃみで答え、窓の向こうで鳥が歌った。既に失われた言語による、地球人の拝歌もしくは捧歌。
「カーラーンは返事を寄越さないかもしれませんが、いずれにしろ、もう一度日輪連盟軍に探りを入れてくださる? コブレンを
「承知しました、エーリカ様」
第二公女の侍従長の立場を利用しても、日輪連盟軍から得られる情報は少ない。命令を
エーリカはカーラーンの動向を知り、いち早く動いた。カーラーンはエーリカの勧告に従うだろう。彼は身軽になり、もう一度行方をくらます。日輪連盟軍の偵察部隊はカーラーンを見失う代わりに彼の非戦闘部隊を見つけ出す。
そのときには、エーリカはコブレンを発っているはずだ。
ララセルは何故エーリカがそんなことをしたかわかっていた。カーラーンをシルヴェリアの手に委ね、今後は関与しないつもりでいるのだろう。
この誤解されやすい第二公女は、戦争が嫌いなのだ。