意味の与え主
文字数 5,840文字
結論から言うと、アリーは殺され、アリーを殺した日輪連盟の殺し屋はトビィに殺された。
「俺、獲物を横取りされるの嫌いなんですよね」
これは本当に偶然の出来事だが、悲運の少女暗殺者アリーがタターリス本部に戻る途中で入り込んだのは、日輪連盟が新しく入植した王領の暗殺組織が最近根城と決めた地区で、その地区で連盟の殺し屋を手にかけたトビィは結果として蜂の巣をつついたことになった。だがそんなことはお構いなし。彼らは兄弟揃って同じ興奮に取り憑かれていた。奴らを殺すか自分が死ぬかという、魅力に満ちた恐怖。興奮が去った後の虚無の予感。
「二階に気をつけろ」
トビィは赤目を失ったが、まだアズを失ってはいなかった。
「わかってるよ」
アズは二階に狙撃手が潜む廃屋の扉を蹴り開けようとしたが、その前に扉は内側から開いた。結果として扉を開けた殺し屋の胸に蹴りをお見舞いすることとなった。
路地や戸口から飛び出してきた殺し屋を三人殺したところで、連盟の殺し屋はそう大したことはないとトビィは評価した。コブレンの地形に不慣れだからかもしれないし、相手が二人しかいないことを把握していないからかもしれない。長旅の疲れのせいかもしれない。
だが、仲間内で密集すれば二階の狙撃手が役立たずになることさえ忘れてしまうとは。
結局、廃屋の二階にいた射手は、死体となって弩もろとも鋪道に落下した。
「はいはーい、日輪連盟の殺し屋さんたちこんばんはー」
四つ辻で、血まみれのトビィが月牙を肩に担いで挨拶すると、四方を取り囲む殺し屋たちは警戒して間合いをとった。
「今日は南西領で一番ヤバい暗殺組織、コブレン自警団を覚えてもらいにきました〜」
その間にも、アズは圧雪で滑りやすくなった道路へ別の集団を追い込んでいく。その悲鳴と人の倒れる音を背後に、トビィは踵を軸にして、踊るように斬り込んだ。
と見せかけて、くるりと半回転して背後から斬りかかってきた男の剣を叩き落とす。もう一回転。続く一撃で二人の喉を切り裂いた。
「君たち弱いね。ちょっと情けないんじゃない? 親の顔を見てみたいよ」
「ふざけるな!」
殺し屋たちは密集してトビィを袋叩きにしようと襲いかかったが、トビィは月牙の柄を回転させ、柄の反対に取り付けた分銅で真正面にいた槍使いの頭をかち割った。そうして正面を突破した。
トビィを仕留め損ねた二人の剣士が相討ちするのを、振り返って見た。
挑発。
「はい、親の顔不可避〜!」
戦うトビィの声と殺戮の物音は、別の殺し屋たちを追い込むアズの耳にも聞こえていた。実際のところ、彼らはアズの敵ではなかった。
彼らは砂漠から来た。あるいはステップから来た。彼らは標高の高いコブレンに慣れていなかった。複雑な地形に、曲がりくねった街路に慣れていなかった。鉱山街の道路の滑りやすさに慣れていなかった。慣れるには数世代が必要だろう。地球人風の――コブレン自警団の殺し屋はこの手の教養も叩き込まれている――言いかたをすれば、彼らは岩の上に撒かれた種だ。芽を出すことはない。仮に芽を出しても、すぐに枯れる。数世代も待つ必要などないのだ。
鋲のついた靴で圧雪の上を歩き、転んだ殺し屋の一人にとどめを刺すとき、アズの頭に浮かんだのは不思議と両親のことだった。
夢かもしれなかった。現実であるならば、母は銀色の髪をしていた。父は見事な赤毛。三つか四つになるまで、アズは海辺、それか湖畔に住んでいた。両親は互いの体に腕を回し、寄り添いあって水平線に沈む夕陽を見つめている。愛の記憶――。
「クソが!」
「お行儀悪いですねぇ」残り三人。「一生に一度の命日ぐらい、口を慎んではいかかです?」
ま、俺の命日は二回あるみたいだけど。
残り二人。
トビィの喉からは、あの、ヒュウヒュウという風の音が鳴り始めていた。肺を傷つけられて以来つきまとう風の音が。
甘いんですよ、あなた方。トビィは戦斧を振り下ろしながら考えた。星獣兵器がやられた時点で、次は自分たちの番だってわかっていなきゃいけなかったのに!
喉から風の音がしていなければ、実際に口に出すつもりだった。まあいいや。みんな俺の敗者復活戦に華を添えてくれてありがとー!
「俺、最近自己紹介に目覚めたんですよね」
最後の一人は逃げようとした。
「はい! あなたを殺す男の名は!」
背中に斬りつける。
「ト・ビ・ア・ス」一音ごとに背中を切り刻み、「オーサー!」最後に月牙で首を掻き切った。
※
子供の頃のトビィがどんなだったかアズは覚えている。とにかく面倒見がよかった。アズが鍛錬に集中できたのはひとえにそのお陰だった。年少の弟子たちが、何かあればアズではなくトビィを頼るからだった。
トビィが俺を序列一位にしてくれたのだとアズは思っていた。いつもミスリルと二位争いをしていたトビィ。トビィが序列一位であってもおかしくはなかった。
ひとまず休憩だ。
座り込む路地裏で、アズの隣ではトビィがまだ喉を鳴らしている。
今この終末を、母はどこで迎えているのだろうか。海岸または湖畔の家にまだ住んでいるだろうか。その砂浜で砂遊びをしていた二人の息子の幻影を見ているのだろうか。今も、世界のどこかで悲しい目をして夫と二人の息子の帰りを待っているのだろうか。
兄弟二人きりになった後、トビィはよく笑う子供になった。無理をしていたのだと、今ならわかる。自警団の大人たちの中に積極的に交わりに行き、隅でじっと見つめているアズの手を引っ張ってはこう紹介したものだ。「この子ね、アズっていうの。ぼくの弟」トビィはどうすれば大人にかわいがってもらえるかよくわかっている子供だった。アズはそうではなかった。
アズはよく『家出』をした。そうすれば自警団の大人たちは必死になって探してくれた。探してもらえる、探されるだけの値打ちが自分にはある、それだけで満足だった。満足のあとには罪悪感が残った。
トビィは家出はしなかったが、代わりに虫を虐殺した。誰にも気付かれていないと思っていたのだろう。十歳になるかならないかの頃、トビィが畜舎の裏でうずくまって何かに熱中しているのをアズはたまたま見かけた。気配を殺して近付くと――いつもニコニコ笑顔のトビィは真顔で、怖いくらい真顔で――翅のない蝶の脚を無心にもいでいた。
「トビィ」
身を寄せ合う兄は、喉から音をさせたまま返事をした。
「どうしたの?」
「無理をさせてすまない」
「なに、急に」
一緒に生まれてきたはずなのに、トビィはアズより先に大人になったのだ。笑顔で自分の心を殺し、アズの心を守ってきた。
「無理なんてしてないよ」
二人は雪で手と顔をそそいでいたが、十分ではなかった。頭のてっぺんから爪先まで血まみれで、遠くで誰かが爆竹を鳴らしていて、広場で歌と踊りをやめさせられた市民たちが、別の歌を始めた。口笛と手拍子、足拍子。賢明なるコブレン市民の処世術、『理不尽なら手を叩こう』だ。
「レミはどうしてるかな」
「心配か?」
「心配っていうか、うん、まあ」
トビィは微笑んで誤魔化した。
「レミもさ、いい意味で子供のままだよね」
「どういう意味で?」
「敵をどこまでも追いかけ回す。俺たちには必須の資質だ」
「どうしてそんなことを?」
「昔を思い出してたんだ」
アズは感心した。こんなときに昔を思い出してしまうところまで俺たちは似ているのか。
「レミ、よく鴨こと木の枝でぶって追いかけ回して泣かせてたじゃん?」
「あいつそんなことしてたのか……」
「悪い子だったよ、レミ鴨は」
「レミも鴨なのか……」
二人は話をやめた。誰かが来る。
一人だ。
殺戮の痕跡を追ってやって来た人物は、乳香の匂いがした。
「いるのだろう」
「姿を見せろ。刃を抜きはしない。断じて」男は立ち止まる。「話をしよう。預言者キシャと預言の守護者タターリスの名にかけて、私は一人だ」
それでトビィが、ついでアズが立ち上がり、相手の眼前に姿を晒した。
天球儀の光に淡く浮かび上がる男の姿にトビィが笑い声を放った。
「見て、超大物がじきじきにお出ましだよ」
コブレンの暗殺組織の元締め、タターリスの指導者ジェノス。コブレン自警団が最終的に抹殺すべき男。黒衣に身を纏い、剃り上げた頭に刺青をほどこしている。腰には両手剣。だが、それを抜く意志がないことを示すように、両手に鎖を巻きつけて、振り香炉をぶら下げていた。白い煙が寒気にあたって舗道に垂れていく。乳香の匂いの
「俺たち大物になったなあ。びっくりして目玉が飛び散るかと思ったよ」
「飛び散るのか……」
トビィの喉からは、まだあの音がしていた。
「肺をやられたか」
ジェノスが尋ね、トビィが答える。
「君を討つまでは
「私は貴様とレベルの低い言い争いをしに来たのではない」ジェノスは背後にちらりと目をやった。「日輪連盟の殺し屋どもは、我らが根こそぎにする計画を立てていた。それを台無しにした貴様らは、何を望んでいる?」
今度はアズが答えた。
「お前たちを連盟の殺し屋もろとも根こそぎにすることだ」
ジェノスは何か言い返そうとしばし頭を巡らせていたが、結局、自嘲気味の笑みをこぼした。
「何がおかしい?」
「我らの争いなど、所詮はコップの中の嵐だ」
「
「我らタターリスがコップの中の頂点に立ち、均衡を取り戻す。それで嵐は収まる。それが気に入らぬというのなら、今度こそ皆殺しの憂き目に遭うがいい、コブレン自警団よ」
「野心家だね」
「野心も実力のうちだ」
「俺たちの第一の掟は市民の保護だ」アズが吐き捨てた。「野心など」
「で、超大物で敬虔だけど野心家のジェノスおじさんは俺たちに何の用?」
ジェノスが口を開く直前、トビィは不意に、自分がコブレンの全ての要素を気に入っていたことを自覚した。大物の殺し屋、有象無象の殺し屋、毒殺者、辻斬り、盗人、殺し屋専門に武具を卸す鍛冶屋、トビィに残虐さを発揮する口実をくれる全ての者たち。残虐さを発揮したあと、トビィは人を困惑させるほど愛情深くなる。俺は殺すか死ぬかするのだ、その恐怖と興奮を乗り越えたあとに。で、結局どちらが本当の自分の姿なのだ? どちらもだ。人間は多面的なものだ。同じようにコブレンにもいくつもの顔がある。人々が笑いあい暮らしている平穏な顔も持ち合わせている。
「俺はこの街が好きでね」トビィは言った。「本心だよ。君たちも含めて愛してる」
何を言うんだと言う目をアズが寄越したが、トビィは頓着しなかった。
「でも、この街の他の要素を圧迫するほど君たちが膨張するなら、見逃せないね」
「地球人の裁定――」
ジェノスが言いかけたときだった。
突如、明るさが増した。
トビィは物悲しい気分になった。自分が世界を愛しているようには、世界は自分を愛してはいない。それがわかった。それでも愛している内は幸せだ。生きている間、一秒でも長く幸せな状態でいること、他に何ができる?
だから、広場や表通りから、レミも同じく耳にした歓声に似た悲鳴が聞こえてきても、トビィはどこか幸せで満ち足りた気分を保っていた。
月が、今や天球儀に触れ合わんほどアースフィアに迫っていた。真昼のように明るいのは、月の光の仕業だった。
星空は今や月の底辺の円弧と天球儀の網目に僅かに見えるだけで、その僅かな暗闇の隙間にジェノスが高笑いを放った。
「見よ、裁きのときは来たり! 次はどのような不思議な
「聞きたくない」アズが水を差した。「自分だけは救われると思っている人間は醜い」
「『言葉は人を喰い、人は言葉を喰う』」
ジェノスは構わず続けた。
「タターリス・エルドバードの『予言』にある預言者キシャの言葉だ――『喰らうということは、対象を消滅させることにあらず。対象を著しく変化させ、
「確かに変質した。それは認めるよ」月の光の中で、仕方なくトビィは頷いた。「でも、この変質が何を意味するか、君にわかる?」
「意味は我々が身勝手に理解したり付与するものではない」ジェノスは思いもよらぬことを尋ねた。「紙幣というものを知っているか? 地球人統治時代に用いられた金銭だ」
「何それ、知らない」
トビィは残念に思った。こういう話題が得意なのはミスリルだ。ここにはいない。
「地球人が我らを統治した善き時代、言語生命体は一デニーデルの買い物をするのに、一枚のデニーデル紙幣を用いていたのだよ。紙幣、紙切れだ」
「その紙切れに一デニーデルの値打ちがあるの? どんな高級な紙?」
「紙切れは紙切れだ」
ジェノスは教えた。世話好きの年長者が若者を諭す口調だった。愛情さえ感じられた。この男にもいろいろな顔があるらしい。
「だが、その紙切れに一デニーデル分の値打ちを保証する存在があった。地球人の統治機構だ。我々は紙幣のようなものだ。我々自体は紙切れ同然の存在だが、意味を付与してくれる上位存在がいる。もっとも、お前たちは地球人を好まぬようだが」
「嫌いすぎて好きになってきたよ」
「我らは意味を知ることになる。自分たちの
トビィは興味なさそうに肩をすくめた。
「自分たちの在る意味を知るのと、月と天球儀が激突するの、どっちが先だと思う?」
「『予言』にそれに関する記述はない」
「地球人が言語生命体に意味を付与するというのなら」アズは頭上を指差した。「その前に、天球儀を破壊したい。あれは言語生命体をアースフィアに閉じ込める鳥籠だ。あれこそが無意味だ。あれさえぶち壊しにできるなら、地球人から付与される意味などいらない」
広場では狂騒が起きている。
「俺は地球人が上位存在だとは認めない」
ジェノスは静かに首を振った。
「鳥籠をなくした飼い鳥は、満足な飛翔もできず、過酷な自然環境と外敵にさらされて滅びていく」
「そうは思わないよ」トビィは言った。「人間がそうであるように、意味が多面的であるのなら、他の道があるはず」
軍が出動したようだ。人々を追いかけまわす怒鳴り声が響き渡る。
二人と一人の暗殺者は、じっと互いの顔を見合った。
話は終わりだ。
三人は合図もなく路地に散った。群衆が押し寄せてくる前に。