説得
文字数 2,371文字
十七歳の新総督アランドは完全に頭に血が上っていた。煮えたぎる怒りに悶えんばかりだった。彼は自分の軍隊の、無残に射抜かれた兵士の遺体が居並ぶ光景を目にしたばかりだった。
アランドの周囲はまだ日常の光景に取り巻かれていた。庭師たちは総督府の庭で星獣祭に向けた飾り付けの仕上げに取り掛かっていたし、有象無象の貴族たちがエーリカに
結局、普段から不満の多い人は非常時にも不満そうで、普段から幸せそうな人は非常時にもなんだかんだ幸せを見つけるのだろう。たとえ世界が滅ぶとて。
「私は私の都を傷つけなければならないことが残念だ」
バルコニーから戻ったアランドの一言を、年子の姉エーリカは落ち着いて受け止めた。その上で警告した。
「もしもゼフェルの後継たちの拠点に軍を差し向ければ、アランド、あなたの経歴に消えない汚点が残るでしょう」
「私は総督です、姉上」アランドは開かれた窓に向けていた視線をエーリカに戻した。「都を守るために、他に何ができると?」
「ゼフェルの後継たちは死をも恐れぬ報復を仕掛けるでしょう。平和のために皆殺しにされることこそ彼らの誉れ。怒りに我を失っての襲撃は彼らの思う壺です」
煙の臭いが風に乗って運ばれてきた。
「アランド、保安局本部を視察訪問したときのことを覚えておいでですか?」
立ち上る煙はエーリカの位置からバルコニーの向こうに確かめることができた。今まさに戦闘が行われている保安局本部がある方角だ。
「私と、あなたと、カーラーンが一緒でしたわね。あなたが七つのときです。地球人統治時代の建物の堅牢さに、心から驚いたものです」
「いかに堅牢な建物であろうとも、私の軍隊はそれに突入する。そうだ」
アランドの声が跳ね上がる。
「外周に火をつけて、賊どもを蒸し焼きにしてしまえ」
「そのような行いは歴史が許しません」
「姉上は私を止めるばかりだ。どうしていいか教えてはくださらぬ」
アランドはお飾りの総督として祭り上げられた。重要な決定は母パンネラと、その息がかかった官僚や将官たち、日輪連盟の要人たちが下してきた。アランドの仕事はそれらに頷くだけだった。それが今になって、喫緊かつ重要な決断を迫られている。
エーリカは提言した。
「停戦するのです、アランド」
これに、アランドは思考を止めて沈黙した。エーリカが畳み掛ける。
「早ければ早いほど良いでしょう。時間をかければ、ここ最近の天の巡行について不安を抱える民衆が反乱に便乗するリスクが増加します。アランド? アランド、聞いていますか?」
「はい、姉上」
「ゼフェルの後継たちは、狂信者たちは、死にたいのです」
エーリカは一歩、弟へと歩み寄った。
「なればこそ彼らを死なせてはなりません。むしろこちらから、彼らに機会を与えるのです。星獣祭の期間中は、一切の戦闘を放棄すると。応じなければ、そのときは仕方ありません……ですが、もしも応じたのちにそれを
「そのときは、姉上、私をお止めにはなりませんか?」
「私たちの思い出の保安局庁」
エーリカはアランドに歩み寄り、思い切って抱擁した。
「それを血と炎で汚す決断を遅らせてくださるならば」
「お願いがあります、姉上」
アランドはエーリカを拒まなかった。
「停戦協議に関して、私の名を出さないでいただきたいのです。よろしいでしょうか」
「結構」
エーリカは励ますように、アランドの背中を叩いた。
執務室を出て赤絨毯の廊下を進み、奥の階段にたどり着いたエーリカは、そこでちょうど階段を上がってくる男と鉢合わせた。
トリエスタ伯。
婚礼のために泊まり込んでいる、エーリカの歳の離れすぎた婚約者だった。
エーリカは体を強張らせたが、顔は愛想よく微笑んだ。
「ご機嫌よう、ユンエー」
ユンエー・オローは、
「あら、いけませんわ。このような場所で」
「よろしければ、その勿体なきお言葉遣いを私に向けるのをおやめください。私共は間もなく結ばれる仲ではありませんか」
「そうですわね、あなた。手を離してくださるのなら」
オローはエーリカから腕を解くと、声を潜めて尋ねた。
「閣下はいつ星獣兵器を投入するんだ? エーリカ」
「星獣兵器を投入ですって? その必要はありませんわ」
「私はそれを見たかった」
当てつけがましく顔をしかめるオローを、エーリカは首を振ってたしなめた。
「いけませんわ。星獣兵器は都に迫る月環同盟を迎え撃つために用いるもの。ここで保安局に投入すれば、どこにいるやもわからぬ同盟の鼠に手の内を明かすことになります。そのうえ私たちは星獣兵器の制御について全てを知っているわけではないのです」
「星獣技師たちを拷問しないのか? 何のために監獄に投じている」
「拷問などしたら、連盟は今後技師たちを組織内部に引き止めておくことはできなくなるでしょう」
エーリカは
「そのようなことをまでもなく、必要となれば彼らを荒れ狂う星獣兵器の前に投げ出せば良いのです。さすれば御する方法など自然と知れることでしょう」
「なんという誉れ!」
突如としてオローは破顔した。
「君のような聡明な女性を妻に迎える私は、世界一の幸せものだ!」
叫ぶや、エーリカの顎に手をかける。
そして有無を言わさず口づけした。