残り十一人
文字数 4,716文字
星獣奏の
完全無欠の創世を。
夕日が毒のように、心に忍び込みます。
花は顔を背け、都市は砕け、
道は歪み、家は呻き、
人は死者のように、暗闇に逃れます。
自ら人の群れの中に生まれ落ちた神。
その獣性の犠牲となることで、
もはや冒涜のしようがない、あなたの神の物語。
(断片)
風の吹く国。星獣飼いの青年は、彼方の丘に問いかけた。
「我らが創造主、
倒れ伏し祈った。太陽は威圧の内に沈み去った。星たちが上り来て、頭上で音を立てた。風が、丘から戻ってきた。風は声を連れてきた。
「
彼は落胆し、家に帰っていった。
家では彼の妻と子供たちが、暗闇の中で、星獣の誕生を喜び祝う歌を歌っていた。何をしているのかと問いただすと、「夢を見たのだ」と妻は答えた。
翌朝、星獣飼いが目を覚ますと、彼の妻と子供たちは皆息絶えていた。
※
リアンセへと繰り出された剣の一撃は、呆気なくフルーレで弾かれた。剣は標的セレスタ・ペレの手から離れて砂地に落ちた。その刃を踏みつけて、リアンセは遠くへ滑らせた。
セレスタ・ペレは水色の髪の、痩せた女だった。彼女はよろめいた勢いで背後の壁にぶつかった。前方にはリアンセ。右手は行き止まり。左手には道が伸びていたが、彼女は体勢を立て直せず、膝をついた。
「落ち着いてちょうだい」
同年代の女の喉にフルーレを突きつける。丸腰にされたセレスタは、せわしなく深呼吸をしていたが、意外と冷静で、リアンセを見上げる目にはわずかな恐怖と不快感と、駆け引きの隙を伺おうとする
つい最近、これとよく似た目を別の人から向けられた。
「私はただ、あなたがグロリアナで何を見たのか聞いているだけなの」
思い出した。カルナデル・ロックハート大尉だ。彼がシンクルスから重要な話を何も聞いておらず、シンクルスと奇妙な聖遺物についての関わりも何も知らず、カルナデル自身の家族とシンクルスとの間には何の関係もないことを確かめたその後だ。
シオネビュラ出身の陸軍大尉は、万一シンクルスを
『お前はどうやってオレの家族についてまで情報を仕入れたんだ?』
セレスタの目を見返しながら、リアンセは今ここにいないカルナデルに、心の中で答えた。
――シオネビュラ神官団に、タルジェン島で消えた三人の客、ミスリル達の情報を売ったのよ。
「あなたは何を知っているの?」
気丈にも、セレスタはリアンセを睨みつけた。リアンセは目をそらさず、しばし思案を巡らせてから、言葉少なに
「ある種の聖遺物に関わりあった人間は消える」
セレスタの
ゼラ・セレテスが指揮した浚渫工事以降、グロリアナの町民が消え、ミスリルたちが消え、シンクルスとロザリアが、神官団もろとも消えた。
だがミスリルとアエリエは見つかった。テスも無事だという。
「でも、本当の意味で消失したのでないのなら、見つけ出さなきゃいけないわ。あなたは他の連中とは違う。私たちが狩って回っている連中とはね。悪いことはしていない――」ここで、フルーレを更に喉へと近付けた。「リジェク神官団の
視線の先のセレスタは、体を強張らせて震えを止めようとしていた。リアンセは今度は口調を和らげて、答えやすい質問から入った。
「……優秀だけどいまいちパッとしない、それどころか浮いた存在だったあなたを……」
ミスリルはもう一人の標的を倒しただろうか?
「どこで働くかも決まらないまま卒業した後、リジェクに紹介したのは誰?」
気がかりだった。
「アウェアク先生よ。予備校時代から
ミスリルはコブレンにまつわる流言で心を乱されていないか。
それが気がかりなのだ。
「彼があなたを紹介した理由は?」
「学内で浮く原因になった論文よ。笑えるでしょ」
「笑えないから解説してくれない? あなたは何を――」
「お姉ちゃん!」
若い女、もしくは少女の叫び声。
邪魔が入った。
セレスタの横手に伸びる道の先の少女に、少女が立ち尽くしていた。彼女がセレスタの妹ならば、その名はリアンセがアウェアクの前で
「あっちに行ってなさい!」
セレスタの叫び声は泣きそうに聞こえた。だが長髪を二つ結びにした娘は駆けてきた。驚いたことに、膝をついてセレスタとフルーレの切っ先の間に体を割り込ませ、姉の首を両腕で抱いたのだ。
「やめて。お願い。お姉ちゃんが何をしたの? どうしてお姉ちゃんに剣を向けるの?」
声で人が集まってくる気配はない。今日は楽団が来ている。だがいつまでもこのままではいられない。
「落ち着いてほしいわね。彼女には聞きたいことがあるだけなの。セレスタ・ペレ。妹さんのために答えて。リジェクが欲しがったあなたの素敵な考えは何?」
「天球儀新解釈論」
「はい?」
「私たちの頭上に天球儀が光り輝く、その意味付けを
セレスタは早口だ。リアンセは敢えて遮らなかった。
「一般に天球儀の意義は、惑星アースフィアを宇宙的な環境から守る盾であると同時に、私たちから空飛ぶ技術を永劫に取り上げるための鳥籠。だけどこれは方便であり、一つの惑星をまるごと閉じ込める構造物を宇宙空間に作り上げる地球人の技術の誇示、つまり明らかな示威」
「あなた優等生ね」
呆れ半分、だが残り半分は流れるような弁舌に対する敬意を込めて言った。アルマはセレスタの首に腕を回したまま、首を捩り、怯えた顔でフルーレを見ていた。
「で、新解釈って?」
「豊潤な歌語りの世界で意味を脚色しようとも、あらゆる宗教的象徴と同じく天球儀もまた形骸化し……」
リアンセが溜め息をつくと、セレスタは敏感に反応して切り上げた。
「……結論から言うわ。私は天球儀の意味が存在しないと言ったんじゃない。
天球儀そのものが存在しない可能性がある
って言ったのよ」右腕が痺れて痛い。剣を下ろしたかった。
「何ですって?」
リアンセたちの頭上では、この文明における唯一の白色光の光源である
「天球儀だけじゃない」馬鹿にされたと思ったのか、セレスタが言葉を継いだ。「
「では私たちの上に輝くあれは何? セイレーンが存在しないなら、私たち言語生命体を千年この大陸に押しとどめ得た力は何だって言うの?」
胸に浮かぶロザリアの面影を振り払い、「いえ」口を開くセレスタを遮った。
「それはどうでもいいの。問題は、あなたの今後の身の振り方」
「やめて」
何かを予感して、アルマが訴えかける。リアンセは無視した。
「あなたはリジェクが生み出したものを知っているわね。特別な星獣を」
セレスタの顔つきの変化で、酒場の流言にはある程度の真実味があるらしいことをリアンセは悟った。
「それで、どう?」
「どう、って……」
「あなたはまだリジェクに協力するの? 彼らの開発したものがどんな惨禍をもたらしても、それを肯定すると言うの?」
「お姉ちゃん、逃げて」アルマは自らを盾としたまま、姉の両肩に手を移した。「お願いだから」
「リジェクからは逃げられないの」
「ねえ!」
「もう抜けられないわ! 続けるしかないの!」
アルマの顔の横を、フルーレが通った。切っ先はついぞ柔らかい肉の中に沈んだ。アルマは何も理解できず、ただ硬直し、目だけをフルーレの刀身に沿って動かした。
「セレスタ、あなたは悪い人間じゃなかった」
そして、フルーレの切っ先が姉の喉に吸い込まれて消えている
「残念だわ」
あと、十一人。
リアンセが仕事を遂行している間、アエリエもまた、自分のすべきと思うことをしていた。雇い主の目を盗んで酒場を抜け出し、裏手に回ったのだ。井戸端で、コブレンから連れてこられた女がしゃがんで泣いていた。女は眼前に立つアエリエの気配に緊張していたが、アエリエが屈むと、やっと顔を上げた。
「大丈夫?」
優しく声をかけながら、女の頬に手を当てた。親指で涙を拭ってやった。
「さっきは言わされていたのね」
沈黙が訪れた。だが、女は天籃石の街灯を頼りにアエリエの顔を見極めながら、しっかりした口調で断言した。
「あなた自警団の人だわ」
「えっ?」
「コブレン自警団の人よ。見たことある」
「私はこの店の用心棒なの。人違いじゃないかしら」
「まさか。あなたみたいな美人を見間違えるはずないわ。自警団の人なんでしょ?」
アエリエは迷った末、認め、頷いた。
「どうか内緒にしていてね。事情があってコブレンを離れていたの。戦いがあったと聞くわ。お願い。本当のことを教えて。市街戦が行われたの?」
女は頷いて、カーラーンが組織した市民兵が虐殺されたこと、避難が遅れた人々も見境なく殺されたこと、市街に星獣が放たれたこと、星獣は家に乗り込んでまで殺戮を行なったことをぽつぽつと語った。
「朝になるまで、私の家は無事だったけど……」
女は新婚で、夫と二人で安くて小さな家で暮らしていたという。
「日が高くなったら、日輪連盟の商人たちが押し入ってきたの」
「一般の民家に?」
「お店もやってたのよ。商品は全部奪われた。他の家もよ」
「あなたのご家族は?」
「夫も私と一緒に連れ回されてたの」それを言うや、女は目から涙を溢れさせた。「なのに今日の朝、起きたらいなくなってて、どこに行ったか聞いたら殴られて――」
そこまで言って黙った。不穏な気配に取り囲まれていることに気がついたからだ。
ものものしいが殺気はない。ゆっくり振り向いたアエリエは、井戸端を取り囲む面々が、先の商人たちではない事実を、意外な思いで受け入れた。
若い男が一人、アエリエの前に進み出た。
「コブレン自警団のアエリエ・フーケさんですね」
黒髪の、真面目そうな、身なりのいい男である。
「そうですが、あなたは?」
「失礼しました。私はシオネビュラ神官団三位神官将補ミオン・ジェイル」
身構えるアエリエに、ミオンは重く告げた。
「タルジェン島での件について、お聞きしたい事がございます。ご同行願えますか?」
「一人では行かないわ」
立ち上がりながら答えるアエリエに、ミオンは
「ご同行者が?」
この表情は演技だ。アエリエとマナがここにいることは、リアンセから連絡を受けて知っている。リアンセに対するニコシアの協力への謝礼だ。ミスリルに関しては、このままリアンセと同行させておけばいい。
だが、意外にも、「三人連れていけないかしら?」アエリエはそう要求した。
「私の連れが、そこのお店で皿洗いをしているの」
「もうお
「この人が保護を必要としているわ」
女は座り込んだまま、事の成り行きに目をしばたたいていた。
「……わかりました。私たちについて来て頂けるのでしたら、その人を安全なところまで連れて行きましょう」
「行くわ」
こうなってしまった以上、抵抗しても仕方がない。アエリエは守るべき市民を一瞥した。
「この人に免じて、一回だけ」