正論はやめてくれ
文字数 2,549文字
「そもそもこれコブレン自警団の旅券じゃないか! どういうことなんだ!」
陸軍が接収した寄り合い所の机を、語彙力の高い兵士が掌で叩いた。ミスリルとテスの木製の旅券が跳ね上がり、天板に落ちてカチャリと音を立てた。
ミスリルは椅子に足を組んで座り、右腕を背もたれにかけ、ふんぞり返って偉そうに答えた。
「お前俺が奴隷商でコイツと
いたしてる
って信じたの?」部屋にはもう一人、記録係の兵士がいた。彼は机に向かって俯き、記録をつけるふりをしているが、耳まで紅潮し、目許と口許と頬をぷるぷる震わせて、懸命に笑いをこらえていた。ペンを走らせているが、その字も震えていた。
気を取り直して語彙力の高い兵士が問いかける。
「どうして嘘をついたんだ?」
「説明するのが面倒くさかった」
「そんな理由があるか! っていうか、じゃああの旅券を持ってない女の子はなんだ!」
「こいつが十一歳のときに実の母親との間に作った子」
呟くように答えたテスの頭をミスリルが平手で叩こうとし、テスがその手首を掴んで防ごうとし、ミスリルはそれを回避し、という具合で二人は静かな攻防を繰り広げた。
「自警団に問い合わせてくれればわかる。渉外部門があるから」
最終的にテスがミスリルの頬を掌で押し、そのエネルギーで自分自身が体を斜めに傾かせながら言った。ミスリルがテスの肘の内側を手刀で打ち、その腕をはたき落として続けた。
「旅券を持たない人間なんて珍しくないだろ。あの子はコブレンの人間じゃないんだ。それをどう扱うかはコブレン当局が決めることであってあんたが口を挟むことじゃない。この拘束は不当だ」
そこへ、別室でマナとアエリエを取り調べていた女性兵士が入って来た。
開口一番、「この歩く不浄に会いたいって人がいて」
「結構な言い草だな、おい」
「誰だ?」
「さっきの女の子のご家族なんだけど」女性兵士は見るも汚らわしいとばかりにミスリルを無視した。「お礼を言いたいんだって」
語彙力の高い兵士は渋面を作り、黙り込んだ。しばらく思いを巡らせたのち、ミスリルに顔を向けた。
「いいか、その一家におかしな真似をしてみろ。俺たちが家の周りをちゃんと見張ってるんだからな!」
ミスリルは足を組むのをやめた。
「あんたいい奴だな」
※
翌日の昼に、一行はコブレンに帰り着いた。日輪連盟の長い腕は、まだ市内に入り込んでいないようだ。日中の、一般市民の目にわかる形では。
ミスリルは階段状の裏通りを上りながら、建物が落とす影の中で、水色に澄み切った空を見上げた。
「団長に何て言おう」
師にマナを紹介する際の最良のビジョンはまだ見えていなかった。少し後ろを歩くテスが慰めるような口調で言う。
「腹をくくって正直に言うしかないな。十一歳のときに実の母親との間にできた子だって」
「ああ、怖い」額に手を当てる。「反応が怖いよ。俺どうなるんだろ」
「まあ、よくて破門だな」
額から手を下ろし、勢いよくテスを振り返る。
「――って、何でそれが正しい話みたいになってるんだよ! お前も事情を説明しろ!」
テスの目線が上を向く。すると、彼のぼんやりした目の焦点が合い、無表情が輝くばかりの笑顔になった。
首に下げた鳥笛をくわえる。
しかし、テスを見つけても彼の
階段は緩やかにカーブしていた。上からエーデリア・ハラムが降りてきて、テスとぶつかりそうになった。飴色の髪の暗殺者は跳びはねるように道を譲ったが、テスは彼女を一顧だにしなかった。
「今日はまた随分感じの悪いこと」
エーデリアが階段の上に仁王立ちになり、睨みつけてくる。ミスリルは数段下でマナを庇うように立ちはだかり、睨み返した。
「暗殺者が昼間からウロウロしやがって」
「お前にだけは言われたくないんだけど?」
「それもそうか。互い様だよな」
肩をすくめ、エーデリアは少しだけ目の光を緩めた。
「通してやるよ。急いだら?」
驚いたことに、彼女はすすんで道の端に身を寄せた。ミスリルはすぐには動かなかった。
「何が起きている?」
「私が聞きたいよ」ここで初めてマナに目を向け、「何だい、その新顔は。やけにお前に似ているね」
説明してやる義理はないのだが、ふと試してみようと思いついた。
「俺が十一歳のときに実の母親との間に作った子だよ」
顔をしかめて言い放つ。
この
が、エーデリアは間に受けた。
「ああ……」
口を開け、絶句し、その眼に浮かぶ感情は戸惑いから拒絶、しかも不思議と憐れみの混じる拒絶に変化した。
「ちょっと用事思い出した」
二つの家の間の隙間に音もなく入り込んでいく。ミスリルは怒った。エーデリアが信じたからだ。
「おい、ハラム!」彼女が姿を消した狭い暗がりへと、声を荒らげる。「誰にも言うなよ!」
「誰にも言うなよって」城壁へと走りながら、アエリエが隣で言った。「事実だって言ってるようなものよね」
「正論はやめてくれ」
階段を上りきり、大通りの光の中へ。堀にかかる橋を渡った。城壁は閉鎖されていなかった。門をくぐると、ミスリルは小塔に飛び込んだ。暗い螺旋階段へ。明るい城壁の上へ。明暗に目を痛ませながら、都市の様子に目を凝らした。
高いところにいれば、喧騒はよく聞こえる。
一つのブロックを物見高い人々が遠巻きにしていた。怒鳴り声。女の悲鳴。
ミスリルは首を振って頭をはっきりさせると、城壁の上を走り出した。