太陽と夜の歌
文字数 3,332文字
「いたぞ!」
北神殿の城門は突破せずとも開いた。避難してきた市民を受け入れるためだ。
手間が省けた。
続々と市民が入ってくる前庭で、アエリエは一般市民たちのほうへマナの背中を押した。マナの全力疾走を見届けて、自分たちを追ってきた背後の二人の神官兵へと向き直る。三人めが城門から走ってきた。挟み撃ちだ。
後ろの神官兵が相方に
「殺し屋といえど丸腰だ!
「はい!」
マナは人混みに紛れて消えた。アエリエは両足を肩幅に開いて立ち、素早く左右を見やり、距離を詰めつつある三人の神官兵を見定めた。
「手を上げろ!」
アエリエは勧告を無視し、高く結い上げた藍色の髪の毛先を払って一言。
「丸腰が何ですって?」
城門から駆けてきたほうが、最初に彼女の拳の射程に入った。アエリエが両手を上げないので、兵は手を振り上げた。武器を抜かぬのは三人いることに安心しているのか。でなければ、腕力に劣る女相手と思って甘く見ているのか。
いずれにしろ愚かである。
掴みかかってきた兵士の右手を避け、その手首を左手で掴む。背を屈め、突進の勢いを利用して背中に担ぎ上げながら、相手の膝の後ろに右手の指をかけた。
強く握りしめ、背中越しに投げ飛ばす。
追いついてきた二人組のうちの一人が、その投げに巻き込まれて仰向けにひっくり返った。
もう一人が、アエリエの右肘を掴む。
アエリエもまた身を翻して相手と向きあうと、自由なほうの手で敵の肘を掴み、足を上げた。
敵の膝に足を置く。
その足を軸に飛び跳ねると、相手の膝は反対方向に折れ曲がった。
三人を倒すまでに五秒。
逃げてきたシオネビュラ市民たちがようやくこの立ち回りに気付き、注目し始めた。
膝を押さえてのたうちまわる一人を無視し、立ち上がろうともがく二人の顔を順に蹴り飛ばすと、アエリエは素早く屈んで二人の剣帯からサーベルを抜き取った。
もう丸腰じゃない。
二本のサーベルを手に、人をかき分け、城門へとひた走る。
「通せ! 通してくれ!」
道が開けた。左右に分かれた人混みの間を、城門から二人組の神官兵が駆けてきた。今度は警邏用の槍を持っている。
右手のサーベルを首の後ろに回す。
サーベルで斬りかかると見せかけて、槍の射程に入る直前に投げた。
向かって右にいる神官が、反射的に顔を背け、足を止める。
サーベルが飛び去った先で人々が驚き騒ぐ中、アエリエは立ち止まってしまった神官兵との距離を詰めた。
神官兵が顔を上げたとき、目の前にアエリエはいない。
彼女は後ろにいて、もう一振りのサーベルの峰で神官兵の首の後ろを打ち据えた。
「この野郎!」
もう一人の神官兵が槍を大きく振りかぶる。
アエリエはサーベルを捨て、気が遠くなって倒れ込もうとしている神官の手から槍をもぎ取った。
バックステップ。
振り下ろされた槍が鼻先を掠めた。
空振りした神官兵の槍の穂が、アエリエの
左足で敵の槍を踏みつけた。
右足で踏ん張り、腰を捻る。
渾身の力で槍を振るい、長い柄で首筋を叩いた。がっ、と声をあげて唾を飛ばし、その神官兵も庭に崩れ落ちた。
「道を開けて!」
要求するまでもなかった。城門から庭に流れ込む人の数と勢いも、一時的に減っていた。
槍を手に駆け抜ける。
荒れ狂う星獣が待つ市街へ。
※
ゾレアが歌い、星獣の体に浮かび上がる鎖模様がくっきりと鮮やかになった。星獣が体を仰け反らせ、硬直した。宙に浮いた前脚が虚しく
汗を振りまくミサヤが星獣に槍を振り下ろすのは五度目。鎖模様を貫くと、灰色に濁った星獣の体内で槍が折れた。勢い余ってつんのめる。
体勢を立て直しながら顔を上げると、大通りの少し先に、路地から赤茶色の髪の少女が飛び出してきた。
「アエリエ、こっち!」
だが、少女たちまち星獣とミサヤの姿に気がついて体を
キリンは横ざまに倒れ、舗道にぶつかると同時に、砂と化して消えた。
※
テスかと思った。
だが、その
民兵や普通の市民ならば、そんな目で人を見ない。
つまり、
マナの視線は、歌う少女に注がれていた。
アエリエの視線は今しがた通り抜けてきた路地へ向かう。
仲間を打ち倒された女性の神官兵が、それでもなおめげずに息を切らしてアエリエを追ってきていた。その姿を見て、アエリエはマナの手を取る。
「行くわよ」
緑髪の女の横を走り抜けようとする。
予期せぬことが起きた。
女は自ら動いてアエリエたちに、正確には、アエリエたちを追って来た女性の神官兵のほうに歩み寄った。
アエリエは、横目でミサヤの動きを追う。
「どきなさい!」
そう叫ぶ神官兵の槍をミサヤは左手で掴んだ。自分の槍を手放し、左手にある槍を渾身の力で引く。
自らの走る勢いに槍を引かれる力が加わり、神官は
その体に腕を回し、投げ飛ばす。
神官兵が頭と背中を近くの壁にぶつけてのびると、ミサヤは振り向き、困惑しながら見守っていたアエリエとマナに告げた。
「そっちは危ない」
※
四人は輪を描いて立ち、互いを観察した。とはいえゾレアは制御の歌に集中したままだ。
「その歌じゃない」
口火を切ったのはマナだった。
歌が途切れる。
「夜の歌を歌って。明けない夜の王国の
「何故だ?」
ミサヤが尋ねた。
「きっかけになったのが壊れた太陽の王国の語歌だから――」
街灯の下で神官兵が呻いた。目を覚ましつつある。
アエリエとミサヤは目配せをし、ミサヤはゾレアの手を握る。
「アエリエ、逃げよう」
マナに言われ、アエリエもミサヤの行く方向へとついて行った。
「ついて来たところで逃げ道はわからんぞ」
「あら。お互い様ね」
「何故追われている」
「逃げるからよ」
辻から飛び出してきた神官とぶつかりそうになった。アエリエは素早く身を引くと、槍で足払いをかけた。鎧を着込んだ兵は派手な音を立てて倒れた。
「何故逃げる」
「あの人たちが追うからよ」
「ふざけてるのか?」
悪態をつく兵を残して走り去る。鎧のせいですぐには起き上がれなさそうだ。
だが、
「話すと長いの。悪いことはしてないわ」
背後から馬の蹄の音が聞こえてきた。
「止まれ!」
振り向けば、三人一組の騎兵たちは弩を携えている。アエリエはマナの手首を掴み、細い道に連れ込んだ。今度はミサヤたちがアエリエについて行く形となった。四人が去ったあと、足を狙って放たれた矢が石畳に突き立てられた。
「……それで、あなたはどうして追われているの?」
「悪いことをしたからだ」
アエリエは、緑に塗られた鉄柵を道の先に見つけた。柵の奥に坂道がある。
明らかに騎兵の縦隊用に整備された、軍用道路だ。
「どんなことを?」
鉄柵はアエリエの背よりも高い。
だが、越えられる。
ミサヤが答えた。
「戦争さ」
細い道を抜けた。
通りを突っ切り、アエリエは鉄柵の前で足を止める。柵を掴んだ。見上げれば、高さはちょうどアエリエの身長の倍ほど。
行きずりの女を見定める。柵を乗り越えるのに、体格も筋力も十分そうだ。問題は少女二人。
「手を貸して」
ミサヤは品定めする目をアエリエに送り返す。
「ところで名前は?」
「アエリエよ」
右腕を伸ばしてくる。
「ミサヤだ」
そう告げて、ミサヤもまた手を
二人はがっちり手を組んだ。