新たなる旅へ
文字数 2,160文字
東に連なる二つの峰の間が赤くなった。新しい一日が始まるが、どんな一日かはわからない。テセルを部屋に送り届けたトビィは、誰かが裏庭を横切って北の塔に向かうのを見つけた。
テスだった。鍵を使って塔の中に入っていく。最後に、この騒動の始まりとなった場所を見納めていきたいのか。トビィは急いで自分の部屋に戻った。そして、机のひきだしからある物を取り出すと、もう一度北の塔へ急いで向かった。
テスが北の塔に入った理由は、トビィの推測の通りだった。ミスリルと共に駆け抜けた七月の夜はもう二度と訪れない。あれからまだ三ヶ月しか経っていないとは思えぬほど、遠い過去になった。
リレーネが使っていたベッドに腰かけて、テスは背中を丸めた。そのまま顔を覆ってしまいたかったが、拳を握りしめて堪えた。そんな格好でいたら惨めで耐えられなくなると思ったからだった。
一睡もしていないが、もうコブレンを
もう少し。もう少しだけ、この静けさを味わったら立ち上がろう。そう言い訳をしながら、テスはまだ暗い窓の向こうに顔を向けていた。
いきなりベッドが沈む感覚。
「鴨!」
誰かがベッドの上から背中にのしかかってきた。びくりと跳ね上がる。背後の誰かは、ベッドに両膝をつく姿勢でテスの頭を抱え込み、くしゃくしゃと髪を撫でた。テスの反応を見て、屈託のない声で、少年のように声を上げて笑っている。
「トビアス――」
「ねぇちょっと? アズから聞いたんだけど、俺に黙って出て行こうとする鴨がいるんだって?」
髪をかき回すのをやめ、テスの頭からするりと腕をほどいて、トビィはベッドを飛び降りた。テスの前に立つ。テスも立ち上がったが、視線はトビィの胸の辺りにあった。
「俺はさっき」
口ごもりながら、アズに怪我をさせてしまったから、とテスは言った。
「それで俺が怒ると思ったの? アズとテスの間のことじゃん」
声に笑みを含ませると、テスはやっと顔を上げた。トビィが微笑んでいるのを見て、テスはようやく顔を覆う緊張を解いた。トビィは声を落とした。
「渡したいものがあって来たんだ」
「何だ?」
「君がコブレンに帰って来た日、いい物をあげるから部屋においでって言ったのに来なかったでしょう」
薄い布の包みを差し出した。そういえば、そんなことを言われたような気もする。自警団の幹部たちの前で奇妙な旅の顛末を説明している間に忘れてしまったのだ。
「開けてみて」
包みを掌に置いてほどいた。
出てきたのは、大きな風切羽根だった。部屋が暗いため、色はほとんどわからないが、黒っぽく、光沢があり、窓の向こうのわずかな光を深い緑色に反射していた。
「大きい」
その羽根は、テスの手首から指先までよりもずっと長かった。
「オウムだと思うんだ。歌ってたから」
「歌ってた?」
「うん。北ルナリアの固有種なんじゃない? きっとお守りになるよ。珍しい物だからね」
「トビアスは変わらないな」
「何が?」
「珍しい物はなんでもお守りなんだ」
ずっとここにいたい。テスは思った。新しい一日など来なければいい。
その思いは更に強くなった。トビィがアズと同じことを言ったからだ。
「困ったときは、いつでも帰っておいで」
黎明、テスは封鎖される直前の街道にいた。紅葉した葉が降り積もる中を、テスは駆け、大きな翼を広げた昼星が、滑るように追いかけた。テスは右腕を伸ばしながら振り向いた。
コブレンの城壁に、新鮮な赤い朝日が注いでいた。
手甲を巻いた腕に昼星が舞い降りる。テスはコブレンの城壁から目をそらすことができず、悲壮な決意を抱えたまま立ち尽くした。左手で、昼星の頭を撫で、耳の後ろを撫でた。翼の間を撫で、翼の下を撫でた。
太陽が角度を変え、城壁を焼き尽くすような色に染め上げた。テスは振り切るように背を向けて、街道を駆け下りていった。昼星が、テスの後をついていった。一人と一羽は、もう振り向かなかった。
テスが望まなかった、新しい一日。それは確かに次への進展をコブレンにもたらした。
街の内側の城壁には、胸壁の間に束ねた
こういうことになるだろうと、どこかでわかっていた。それでも受け入れがたく、二度読み返した。
内容はこうだった。
現在コブレンを統治するカーラーン・ダーシェルナキは、コブレンの治安
『我々は南トレブレンからコブレンに到達するまでに、四七五名の兵を失った。現在、我々には非協力的と判断した市民四七五名を徴発し、最前線に加える準備ができている』
(〈参ノ歌集〉へ続く)