市街戦/コブレンの戦い(1)
文字数 4,382文字
星獣が第一城壁の門の一つを内側から開けた。日輪連盟軍が雪崩を打って押し寄せる。防御側の月環同盟軍は、その区画の防戦に集おうとはせず、残る四つの区画に避難して橋を焼き払おうとした。だが、第一城壁の落とし戸を閉ざしたときのように、敵味方が
一つ、また一つと街区が陥落していく間に、第二城壁の上の兵士たちは、空堀に投げ落とした柴の束に火矢を射かけ始めた。
「市民兵! 市民兵!」第二城壁の内側の通りを、下士官たちが呼びかけて回る。「市民兵、配置につけ!」
「本当に戦わせるつもりなの?」
声をあげたミラをグザリアが宥める。
「どうせ
ミラは青ざめながら「はい」と返事をし、屋根を滑り降りていった。
「アズ」
「はい」
「鏡の広場は戦場になる。お前も二人選んで、そこにいる人たちを中央病院に避難させろ」
「病院は既にいっぱいです」
「押し込むんだ! 庭がいっぱいなら職員宿舎も風呂も開放させろ! 便所もだ!」
第一城壁から第二城壁に向かって、日輪連盟軍の旗の
「待って!」
屋根を降りたアズが振り返ると、優しく光る赤い翅の光がパンジェニーの顔を照らし、通り過ぎて消えた。
「私も手伝う」
自警団が活気付き、戦いの舞台は第二城壁に移った。二重城壁を有する鉱山街コブレンは、一夜にして陥落しようとしていた。街路で男が矢文を手に騒ぎ始めた。
「市民は家にこもれだと! おい! 無抵抗の市民の安全は約束するってここに!」
この男は、あらかじめ攻囲側が忍び込ませた間諜だろう。だが、内容は口々に広められた。
燃え盛る柴は、第二城壁に梯子を立てかけんとする日輪連盟軍の努力を妨げた。可動式の攻城櫓や投石機もすぐにはここに到達しない。だがこれが時間稼ぎになるだろうか? アズは中央病院の
ミラは任務を果たすのに苦労した。既に第二城壁に入り込んでいる二体の星獣が、攻撃も威嚇もせず、町中を悠々と飛び回るからだった。市民たちは口を開けて星獣を見上げた。やがて星獣は、それぞれ褐炭道路と果樹街道、市を横断する東と西の大通りの端に飛んで行った。そして、市の南側では激戦が繰り広げられている。
「戻って団長に伝えて」ミラは、選んだ二人の仲間のうちの一人に頼んだ。「星獣を除かない限り、退路は北の通りしかないわ」
褐炭道路の先は露天掘り場、果樹街道の先は農場、そして北の大通りの先は、山中の石切り場への入口だった。
※
月環同盟軍は持ちこたえ、攻撃の第一波は二十一時に収束した。日付が変わる零刻まであと三時間。夜明けはそれよりもう少しだけ早い。
緊張は寒気を鋭くさせ、沈黙を深くさせた。兵士たちは荷車を押し、弓矢と油を前線に補充させた。だが、柴は残り少ないようだ。
自警団本部の屋根裏で、アズとトビィ、レミとパンジェニーは交代で仮眠を取った。アズが部屋の片隅で膝を立てて座り込み、床に直接横たわるパンジェニーとレミの寝息を聞いていると、トビィが窓の鎧戸の上のほうを叩いた。
鎧戸を開けると、屋根に伏せたトビィの顔が、舞う粉雪と一緒に入って来た。この世で最もアズを安心させる双子の兄弟の顔は、寒風にさらされていても、生気と温もりがあった。彼は短く尋ねた。
「聞こえる?」
答えずにいると、上がってくるよう合図された。
アズは
体の周囲で雪混じりの風が渦を巻いた。屋根の上で振り向くと、炎の川が見えた。火のはぜる音、呻き声。徴発された市民兵の居所がわかった。第二城壁のすぐ内側だ。彼らの声が聞こえるか、と尋ねられたのかと思った。だが違った。市民兵たちは誰も騒いでいない。正規兵たちからも捨て置かれているようだ。
アズはもっとよく耳をすます。
すると、チャイムと鉄琴の中間のような音色が聞こえてきた。それは歌であった。
疼痛に見舞われ、反射的に腹に左手を当てた。痛みは脈打つ熱さに変わった。
「どうしたの」
トビィが顔色を変える。
腹から胸へかけて広がる変色が、歌に反応している。
その歌の主、吸盤を持つ脚と、象牙、長い鼻、厚く平たい耳、硬い額と真紅の目が、第二城壁の
※
カーラーンの兵士たちに脅されて、市民兵は弩を撃った。市民に抵抗の意志ありと見做された。殺戮が始まった。
「違う! 違う!!」
弩を投げ捨てた女の声が悲鳴に変わり、途絶えた。怒りに駆られた別の市民が火かき棒を振りかざし、隙をついて別の市民を逃がそうとした。逃がされたほうは角を曲がったところで、逃亡兵として月環同盟軍の兵士に斬り殺された。逃がしたほうは、日輪連盟軍の兵にその場で殺された。
兵が道を走り、矢が
「撃て! 撃て!」
街角のどこかで、指揮官が声を張り上げていた。
「カーラーン殿下が安全なところに避難されるまで持ち堪えるんだ!」
「避難? 避難だって?」
最前線から少し離れた持ち場の兵士たちが、動揺し、囁き交わした。
「コブレン司令官は俺たちを置いて逃げる気か!?」
夜明けが近づくほどに、戦線は第二城壁の奥へ、街の北へと動いていく。日輪連盟軍を押しとどめようと奮闘する部隊があれば、星獣たちが彼らを舐め、噛み砕き、蹴り、刺し、潰した。連盟軍の兵士たちは、街路を動くもの全てに剣を振り上げた。身を守るために、市民兵と見分けのつかぬ全ての市民を斬り伏せようとした。
戦わなければならないのは、両軍の兵士だけではなかった。市民の誘導は難航していた。自警団員の同行と陳情があっても、連盟軍の新兵は、ジェスティの前で剣を振りかぶった。その餌食となる直前、ジェスティは黒いマントの内側に右手を入れた。
銀髪が翻り、篝火の火の粉を弾いた。
腰帯の上に巻きつけた、柔らかい金属の留め金を外す。ウルミと呼ばれる鞭状の長剣だ。ウルミを腰からほどきながら、背後に避難者を庇い、しなる刃を前方へと繰り出した。
そのときジェスティは、何故ミスリルが自警団を裏切ってあの軍属を殺したか、はっきりと理解した。
背後に守るもののためだったのだと。
だが仲間たちからはぐれたジェスティは、散り散りになった人々をどこへ避難させればいいか、皆目見当もつかなかった。
ジェスティは逃げ道を算段する。
まだ安全なところがあるとしたら、ただ一つ。月環同盟軍の本陣がある北の一角だ。そこに至る北の大通りが通れるか――星獣たちに蹂躙されていないか――賭けるしかない。
その頃、見習いの少女レンヌ・オーサーは、他の見習いの少年らと共に、背後に十数人を連れて辻を曲がろうとしていた。彼女たちも北の大通りに逃れようとしたのだ。だが、辻を曲がったところで一人ずつ足を止めた。
長い上りの階段坂が、黒く重みのある質感で埋め尽くされ、雪灯りに目を凝らせば、立ちはだかる塊のそこかしこから、折れた腕や足が飛び出ていた。
それらは全て人だった。
助けを求める呻きが、水のように流れ落ちてくる。
群衆雪崩が、この避難路を塞いだのだ。
※
残る二本の大通り、西の褐炭道路と東の果樹街道のいる星獣を排除すれば、市外へ避難できる。
「星獣の排除を」レミが顔を赤くし、息を弾ませながらアズの居場所まで戻ってきた。「しろって。命令だ。団長は本気だよ」
アズは頷き、同じ屋根に立つトビィの目の中に覚悟を見出そうとした。だがトビィはアズではなく、市街へ目を向けた。あらゆる辻とあらゆる庭で火が焚かれていた。屋根屋根に積もる雪は厚みを増している。街路の雪は血の混じった泥と化し、点々と人が倒れている。
トビィは火事が起きている場所を確かめていた。間違いなく、十を超す火災の現場はコブレンのいくつかの暗殺組織の拠点。その近くには星獣の光が見え隠れしている。
「最初からこのつもりだったんだね」
トビィの声は穏やかで、何故か微笑んでいた。レミはその微笑みに、沈黙のまま見入っていた。
「今燃えてる
家
の人々
が日輪連盟軍に協力したんだ」「
リジェク神官団に
協力したのかも。北ルナリアの副市長か……」「同じだよ、レミ。星獣の性能試験のついでに彼らは粛清されたんだ。同情はしないけど」
「さっき」レミが、南のほうを顎で差した。「見たことない商会の旗が立ってたんだ。日輪連盟旗と一緒に」
微笑んだままトビィは頷き、今度はアズと目を合わせた。
商人たちは強い。当然のことだ。船や隊商が軍に接収されれば彼らはそのまま従軍し、しかもそういったことはしばしばある。死ねばせっかくの仕入れが無駄になるのだから、彼らを鍛えるための訓練場を、実に多くの商会が備えている。
「専売権くらいは約束されてるのかな」
軽い口調でトビィは言った。
「星獣を
「ああ」
「いいこと考えたんだ」
「何だ?」
「あの人たちの事業を台無しにしてあげようよ」
武装商会が略奪を済ませ、殺し屋たちの隠れ家に火を放つ。レンガの家は内側から火を噴いた。その光と熱を浴び、星獣が、牙に実る銀の珠を打ち震わせ、象牙の歌を歌っていた。
珠についた口とは別に、菱形に大きく開く口が長い鼻の下にあった。その口から声は出ないが、火を噴く窓の向こうで木製の家具がはぜる音を食った。体内に通じていない空洞で、パチパチと火の音が反響する。その音も食った。
象牙の実が食い覚えた音で拍子を打つ。
パチ、パチ、パッ、パパン。
星獣は、今度は長い鼻を近くの血だまりに突っ込んだ。よくしなる鼻を頭の上に持ち上げて、拍子に合わせて血を噴き上げた。
ビュ、ビュ、ビュッ、ビュビュ。