陸戦/シオンの戦い
文字数 3,133文字
地球人と言語生命体とが手を取り合って生きていた時代、その緑豊かな丘陵は
後続部隊の到着を待つリジェク・北ルナリアの両軍勢は、攻城戦に備え築いたシオンの丘の野営地で眠りに就いていた。空を這う天球儀の網目がほの白く光っていた。日の出とともにシオネビュラの北の城門が開き、都市が騎兵たちを押し出すさまを、野営地の歩哨たちは見た。その見事な縦隊は、蟻の行進ほどにしか見えなくとも、丘に陣取るリジェクの兵たちを恐怖せしめるに足りた。最悪なことに、彼らはシオネビュラの神官たちがよく知っている場所で、ほとんど何の準備もないまま戦わなければならなくなったのだ。
ただ両軍の間には、幅が広く、流れの穏やかな川が横たわっていた。シオネビュラ神官団がリジェク神官団のもとに到達するには、
川の背後で兵を整列させ、迎え撃つリジェク神官団先遣部隊の戦力は、三〇〇の軽騎兵と九〇〇の軽歩兵及び弩兵。僧兵たちによる北ルナリア修道騎士団は、リジェクと違い、本拠地から引き連れてきたほとんどの全ての戦力をシオンに到着させていた。その数は、戦力として組み込んだ北ルナリア民兵団とあわせて騎兵が一〇〇〇、歩兵が三〇〇〇。歩兵のうちおよそ一〇〇〇名が重装備を専門とする部隊であった。他には八〇〇名のグロリアナ領ソレリア民兵団及び急ごしらえの傭兵団が散兵として配置された。
これら七〇〇〇の敵を討つべくシオネビュラより出撃したのは、正位神官将が直接指揮する一五〇〇の軽騎兵隊と、二位神官将レグロ・ヒュームの軽騎兵隊一二〇〇、さらに三位神官将ニコシア・コールディーの軽騎兵隊一一〇〇。これに二〇〇〇足らずのシオネビュラ民兵団を加え、一丸となってシオン丘陵へ突進する。
リジェク神官団を中心とした連合軍への最後の障害として、一筋の川が残されていた。見る間に押し寄せる敵を前に、慌てて部隊を整える連合側の指揮官たちには、この川の使い道を決断する僅かな時間が残されたかに思えた。
だが、川を挟んだ睨み合いなどは起こらなかった。
シオネビュラ神官団の前衛が、渡河後も一切速度を落とすことなく、縦隊を保ったまま真正面の北ルナリア修道騎士団の横隊へと激突していったからであった。
※
正位神官将に続いて渡河を果たしたニコシアは、素早く兵を横隊に整えた。兵たちは恐るべき練度でもって即座に陣形を変更する。ニコシアが担当する陣地右翼に見えるのは、グロリアナの散兵と弓兵たちだった。
「ジェイル!」指揮部隊のニコシアは、並走する補佐官ミオンに馬を
大地を打ち据える千もの馬の蹄と、歩兵たち最前列で起きている戦いの声と音との中では、叫ぶような声にならざるを得ない。
「後列にいるものと思われます。夜間偵察の報告によりますと――」
藍色の生地を金糸・銀糸で贅沢に彩ったシオネビュラ神官団の星雲旗のはためきが、声をかき消した。ミオンは偵察部隊が持ち帰った敵の夜営の配置について話しているようだが、どうせ聞こえぬものと、ニコシアは遮った。
「わかった、もうよい!」
前衛の兵たちの兜の向こうに、今まさに射掛けられようとしている
太陽はシオネビュラ神官団に味方していた。朝日が敵の姿を明からしめ、更には敵の目を鋭く射抜いて
ソレリア民兵団の機動から、彼らの意図を読み解くのは難しくなかった。シオネビュラの陣地中央、すなわち正位神官将の部隊から、ニコシアが受け持つ右翼と予備のシオネビュラ民兵団とを引き離そうとしているのだ。傭兵団に護られた北ルナリア修道騎士団の一部が、ソレリア民兵団の攻撃に加わった。
右翼では一進一退の攻防が続いた。射撃による犠牲を出しながら、三位神官将の前衛部隊が敵の弓兵部隊に肉薄し、陣地を蹂躙する。騎兵用サーベルがソレリア民兵団の歩兵を斬り殺す――その中には、グロリアナ領主代行テオ・セレテスの姿も含まれていた。彼らの血でできたぬかるみへと、北ルナリアの騎兵たちが
そのうちに、ニコシアの指揮部隊で、
重装部隊は足が遅い。三位神官将部隊の後衛が川岸に到達する直前で、ニコシアは後退を止めた。そのときには、敵の身軽な軽騎兵と、それに続く重装部隊は十分な
鳴り響くシオネビュラの喇叭は、予備部隊への突撃の合図。歩兵を中心とするシオネビュラ民兵団が三位神官将部隊を迂回し始め、ニコシアは偽りの退却から攻撃へと態勢を変換した。
今度は重装部隊から引き離された北ルナリア騎士団が退却しなければならない番だった。
正面と左側面から強烈な反撃を受け、陣形を崩しつつある北ルナリアの騎士たちの中に、もしも不利な局面で傭兵隊を統率しうる人物がいたならば、彼らの大敗は局地的なもので済んだだろう。彼らがニコシアの部隊に食いつかれている間、北ルナリア修道騎士団と契約した傭兵たちは死体漁りに専念していた。金持ちの騎兵を馬の下から引きずり出し、少しでも価値のありそうな装飾品や短剣を、チュニックの中に押し込んでいく。
重装部隊が追いつくまでに、ニコシアは眼前の敵を打ちのめさなければならなかった。だが全ては予想より首尾よくいったようで、レグロ・ヒューム二位神官将が受け持つ陣地左翼の喇叭と太鼓、呼応する陣地中央の喇叭と太鼓とが、この戦が作戦通りに進んでいることをニコシアに教えた。
左翼では、二位神官将部隊が敵陣右翼後方への回り込みに成功し、攻撃を始めていた。後列の重装部隊は陣地左翼がニコシアの部隊への攻撃のために陣を乱しており、その陣形を立て直す混乱の中でレグロの部隊の奇襲を
リジェク・北ルナリアの後列はほとんど戦力を失っていなかったにもかかわらず、前列のリジェクの敗北に動揺していた。陣地右翼と中央の僧兵ならびに神官兵たちが、盾を並べて壁をなす彼らのほうへと我先に逃げ込んできたからである。
敵と味方が区別なくぶつかってきて、それを受けざるを得ない重装部隊は最初の攻撃の機会を完全に失った。動揺は混乱に転じ、混乱は錯乱へ、錯乱は陣形の崩壊へと部隊を導いた。ひとたび陣形を崩した部隊がその機能を回復することはなく、その時点でシオネビュラは完全なる勝利を手中に収めていた。
時を同じくして、シオネビュラの勝利を助けた中トレブレン守備隊が日輪連盟に属する神官連合団の奇襲を受けて壊滅状態に陥ったことを、まだシオネビュラ神官団の誰も知らなかった。まして都で反乱の火の手があがり、夜明けを待たずして総督官邸が陥落したなどと、誰に想像できただろう?