泣きやんだら、もう一度
文字数 2,702文字
コブレンを出てまもなくテスは最初の選択を迫られた。
山沿いの細い道と、関所のある街道。ミスリルたち三人は、どちらを選んだだろう。
ここで選択を間違えたら、追いつくことは不可能になる。平野に続く分岐路で、テスは立ち尽くした。
だだっ広い世界で、特定の人間を見つけ出すのは難しい。あまりに難しいのだと、テスはようやく気がついた。大地はコブレンとは違う。コブレンという都市に紛れたたったひとりの標的を見つけ出すにも、高度な技能を要する。その技能をテスは誇っていた。さて、では、今からそれはどれほど通用する?
テスは選択した。街道に背を向け、山沿いの道を選んだのだ。
テスは進む。落ち葉。木漏れ日。細い道。テスは見る。黒苺の収穫し尽くされた茂み。埃っぽい村。行軍。トビが頭上を舞う。舞い降りた昼星を腕に止まらせ、足環をつけ、目に覆いをつけて休憩する。
一日。二日。ミスリルたちの痕跡はない。道行く人に尋ねても、彼らを見かけた人はいない。
一週間。十日。コブレンで戦いが行われたと、テスの耳に聞こえてきた。市街はどうなったのだろう。情報は入ってこない。
二週間。コブレンの戦いで、どちらが勝者となったかをテスは知った。だが、コブレン市街の様子についてはやはり聞こえてこなかった。
歩き疲れて痺れた足を投げ出し、昼の焚き火のそばでテスはぞっとする。背中を預ける岩にテスの体温は移らない。炎の揺らぎは太陽よりもはっきりと、野の草に陰影をつける。テスは枯れ枝の爆ぜる音に耳を澄ませながら横たわった。けれども彼の心臓は、恐ろしい確信に早鐘を打ち、休んでくれようとしなかった。
道を間違えたのならば、もうミスリルたちに会えない。
そもそも俺は――俺は――ミスリルたちに追いついて、彼らに何ができる?
アズを騙しておいてこのざまだ。テスは体を丸める。岩の上では昼星が眠っている。そのうちテスにも浅いまどろみが訪れた。半覚醒の状態で、テスは昔の夢を見た。アズはよく、テスのことでオーサー師に怒られていた。「甘やかすな」と。アズはいつも優しかった。訓練がうまくいかなくて、嫌になったり、怒られたりしたあと、アズは師の言いつけを破ってこっそり会いにきてくれた。一つの言葉を伝えるために。
「テス」
その言葉が、今はっきりと、天に向けられたテスの左耳に聞こえたのだった。
「泣きやんだら、もう一度やってみよう」
テスは覚醒する。目を開け、澄んだ空気を吸い込みながら草から身を起こした。頭上の天球儀は白く輝き、西の
アズに謝らないと。
冷え込みがひどく、焚き火は小さくなっていた。テスは草をちぎって火に投じる。コブレンの市街地はどうなったのだろう? 何故、それについて話が聞こえてこないのだろう?
不安を打ち消す。きっと何事もなかったんだ。話題になるような恐ろしいことは何も。市街戦は起こらなかったのだ。アズとトビィは、困ったときは一度帰って来いと言った。何故帰れないということがあろう。
テスは恐ろしい予感に凍りつく。
まさか
、兄たちにもう生きて会えないなんて
、そんなことあるわけないじゃないか
?歩こう。夜通しでも。この追跡を全うするために。明日から、諦めずに、もう一度ちゃんとやってみよう。
朝方、夜明けの冷え込みの中をテスは歩いていた。昼星の
葉を落とした枝の間がようよう明るくなり、空を覆う天球儀の光が薄れていく。ついぞ
休耕期の農村に入ると、外に出ている人はなく、村全体に牛糞の臭いが立ち込めていた。ある家のドアの向こうから、子供の数え歌が聞こえてきた。井戸端で女が洗濯をしていた。目つきは憎悪で鋭くなっていた。よそ者への憎悪だろうか。たぶん、そうだろう。
人の気配を
「パンを売っていただきたいのですが」
男が黙っているので、テスは勝手にポーチを上がって店の暗がりに身を浸した。
「あれば干し肉も」
「ゼニ持ってんのか小僧」
カウンター席の端に、テスはニーデル貨を二枚置いた。
「五枚よこせ」
従うと、男は舌打ちし、箒を壁に立てかけてカウンターの奥に向かった。
男はよそ者に、パンを切って寄越した。出て行けとも言われないので、テスはカウンター席に座り、その場で一切れ口に運んだ。テスがナイフを出すと、店主は身構えて見つめたが、肉のかけらを昼星にやるだけとわかると、すぐに力を抜いた。
表に人が出てきた。それとなく店を覗き込み、テスの姿を確認して去っていく。
「掃いてけ」テスが食べ終わると、 店主は立てかけた箒を顎で示した。「あとに鳥の羽根一枚残すんじゃねぇぞ」
「人を探してるんだ」箒を手に取りながらテスは切り出した。「大人の男女と、少女が一人。ここを通らなかったか」
「少女?」店主はせせら笑う。「通ったさ。だが大人の男と金髪娘の二人連れだ」
テスは顔を上げ、「詳しく聞かせてくれ」
昼星は、椅子にとまって翼の下に嘴を突っ込み、羽繕いの最中だ。その頭越しに腕を伸ばし、テスはニーデル貨をもう三枚置いた。
「どこから来たと言っていた」
「どこぞの民兵団か何かがそいつらを連れてたのさ。この先の洞窟でどうかしちまうんだろうよ」
「いつの話だ?」
店主の指がぞんざいに貨幣をかっさらった。
「連中なら夜明けとともに出て行った。二人連れについては北方領から来たとか言ってたな」
では、あの馬は民兵たちが置いていったのだろう。掛札に負けるか何かして。テスは頷いた。
「馬を買いたい」