命と引き換えだ
文字数 3,460文字
「連中がいなくなったときにはオレの部隊もなくなってたってわけ」
だが、結論の前にもう少し話せることがある。
『これってオレたちの仕事か?』
カルナデルとギゼルは、灰色と鉛色とにわかれて折り重なる厚い雲の下で馬を並べていた。二人につき従う兵士は一人もいなかった。
『親書のお届けだぜ? そう下手な人間を送るわけにはいかんだろうが』
『そうじゃなくて、オレらのほうから出向く必要があるのかってことだよ』
朝から酒くさい大隊副長が下手な人間でないか否かについては、カルナデルは触れないことにした。リジェク神官団への使いとして送り出された二人は、星獣どもが歌い出す前にその野営地へと到着した。リジェクの神官たちは予想に反して愛想良くカルナデルとギゼルをもてなした。少なくとも、その日一日は星獣が歌うことはなかった。
多分。
カルナデルにとって幸いなことに、酒だけは振る舞われなかった。
『星獣は強烈な存在です』
新鮮な肉と冬野菜の食卓で、同席した北ルナリアの政治家がそう言ったのを覚えている。
『誰もが見ずにはいられません。帆を畳んだ艦隊が水平線を埋め尽くしても、城壁が突破されても、歩兵隊が街路を占有しても、結局、民衆が見て記憶するのは星獣だけですよ』
「奴らは強力だって言ったんじゃない。強烈だって言ったんだ」
三日後の草原でカルナデルは眉をしかめて
「オレはそのとき何の疑問も抱かなかった。違和感のない表現だったからさ。ああ。強烈。わかるか?」
「見なければわかりません」
アルマは、話を円滑にするためであっても嘘をつけないタイプの人物のようだった。カルナデル風に言えば、面倒くさいタイプ。
「でも想像はできます。続きを聞かせてください」
カルナデルは
「その日オレにわかったのは、どうやらオレらの大隊のほうがリジェクに不義理を働いているらしいってことだけだった。っていうより、大隊長がリジェクの神官将に、だな」
もちろん軍隊は指揮系統に従って動くので、独自の取引を理由に占有した地を離れるなど許されない。だが結局、日輪連盟軍の星獣部隊は同じ連盟軍の騎兵隊を動かした。どこかへ。
リジェク神官団に宛てた親書を受け取って大隊長のテントを後にすると、ギゼルは数歩進んで足を止めた。何を思ってか引き返し、テントの垂れ幕の隙間に片耳を寄せる。カルナデルも放っておけず、こっそりテントの前に戻って同じようにした。
カルナデルが聞いたのはこれだけだった。
『ミュゼは息災かね』
ギルモア中佐に副官のレナが答える。
『誰でしたっけ』
『強奪屋だよ。星獣の』
強奪屋のミュゼは間もなくミスリルによって惨たらしく殺されるのだが、ただならぬ思いがカルナデルの胸に焼き付くには十分な単語だった。
強奪屋。
星獣の。
レナな憎々しげな声。
『生きてるわ。さっさと死ねばいいのに』
『スノーフレーク少尉』さしものギルモアも愛人を
『ミュゼがやられたら次は私たち?』
ギルモアの不機嫌かつ威圧的な沈黙で、会話は終わった。
これがカルナデルが聞いた全て。だがギゼルはもう少し多く聞いたはずだ。関係あるのかないのか、ギゼルはリジェク神官団の野営地を出てから言い放つ。
『お前の馬は病気だ』
『はあ?』
『ここから一番近い村に新鮮な水と野菜を与えに行った。……ってことにしといてやる。別の馬に乗って帰ってこい』
悪いことを考える際の彼の流儀として、ギゼルは恐ろしく真剣な顔をしていた。
『ふうん。で、馬を休ませに行ったことにして、どこで代わりの馬を手に入れろって?』
『南ルナリアまで走れ』
ひとまず無心で指示を受け止めた。ギゼルは今、大隊副長として話している。酒に逃げるようになる前のギゼル。女性兵士に要らぬちょっかいをかけるようになる前のギゼル。尊敬していた頃のギゼル。友愛は苦悩。
それはそうと、つまりこれは命令だ。マジかよ。
『駐在の憲兵隊に話をつけろ。ギルモアが怪しいことを
だが、三日もかけたばかりに重要な
まず人、次に星獣、最後に狂騒。
違った。
最後はこれだ。無人。
※
ミュゼの名を出した途端にアルマの顔が引き攣った。それを見てカルナデルは確信した。オレはしばらくこの女の子と一緒にいることになる。そして、恐らくは、この子をレナとギルモア中佐には会わせないほうがいい。直感だ。しかも、こうした感は当たる。
「姉は?」
アルマは明らかに今から発する質問を恐れていた。
「私の姉、セレスタ・ペレについて何も言っていませんでしたか?」
カルナデルは首を横に振った。
「お前の姉貴は何をしたんだ?」
当然のことだが、彼女は話したくなさそうに目をそらした。
「リジェク神官団からシオネビュラの実家に使いが来ました。姉はそれについて行った。それだけ」
「そのときあんたもついてったのか?」
「いいえ。私への使いは後日。丁重にもてなされて、私は何故招かれたのかわかりませんでした。今ならわかります。人質にされていたのだと」
「あんたの姉貴はどこにいる?」
「殺されて、死にました」
冷めた心でも、かわいそうにと思った。本心だ。アルマは同情を求めつつ拒んでいた。その目を見て、つい最近の出来事だとカルナデルは察した。自分がどれほど傷ついているかもアルマはわかっていない。その痛みは長く尾を引くだろう。もしかしたら、生涯。
「誰に殺された?」
「創世潰し――」言いさして、やめる。「女でした。若い、暗くてよく見えなかったけど、色の薄い髪の女」
「犯人を見たんだな」
「私の見ている前で殺したんです。私は姉に覆いかぶさって庇った、でも――」
「そいつはあんたをちょっとでも傷つけたか?」
「いいえ」
カルナデルは地平線に目を向けた。
「じゃあプロだな」
遥か遠くにルナリア山塊の白い稜線が見えた。
アルマの弱々しい答え。
「それはわかっています」
「あんたはどうしたい? 復讐か?」
「まずは私自身の安全を確保しないと。でも、実家に帰れば両親を悪いことに巻き込んでしまいそうで」
草原の奥のほうから風が吹いてきた。野営のために掘り返された枯れ草が、ボール状に絡まりあって地面を走っている。
「……それに、姉が本当に殺されなきゃいけないことをしたのか確かめたい」
「どういう条件が揃ったらあんたは姉貴は殺されるべきだったって納得できるんだ?」
視線が首筋に刺さり、カルナデルは目をアルマの青ざめた顔に戻した。アルマの目は凍りつき、心は閉ざされていた。
「納得できやしないさ。例え姉貴を殺さなければ全人類が滅亡してたとか言われたところであんたは絶対納得しない」
「私は知りたいだけ」
「やめとけ。知ったら復讐したくなる」
「私は知りたいの。知るくらいなら別にいいでしょ!」
「何言ってやがる、命と引き換えだ」
アルマの心に
「……ま、時と場合によっちゃあな」
が、アルマはすぐにショックから立ち直った。こう切り返す。
「あなたも死ぬ」
「なんだって?」
「ギゼルという人が考えた嘘はすぐに見破られます。あなたが南ルナリアに行ったのが本当なら、あなたの上官は何があってもあなたを信じない」
「自信たっぷりだな。そんなことどうしてあんたにわかるんだ?」
アルマは手を上げ、カルナデルのズボンを引っ張った。下りろということだ。カルナデルはアルマを少し離れさせ、地面を両足につけた。
「私はあなたの大隊長の何がリジェク神官団を怒らせたか知っています。あなたにとって命と引き換えになる話かどうかはわかりませんが」
「言ってみろよ」
だから、アルマは言った。背の高いカルナデルを屈ませて、その耳に囁いた。何もややこしいことのない、簡単な話だった。なるほど、とカルナデルは頷いた。思い当たる節がある。ああ、いかにもあの男がやりそうなことだ。
耳打ちが終わるとカルナデルは姿勢を正し、今度は天を仰いだ。短い黄土色の髪に指を入れ、頭を掻く。しかめ面のカルナデルを見上げ、アルマはこう締め括った。
「問題は、それをしたのがゼラ・セレテスかあなたの大隊長かってこと」
答えあぐねていると、南の方角から暗黒が押し寄せてきた。
暗黒の辺縁で、最後の太陽が色彩の破片をきらめかせている。
理解する間もなく、暗黒はカルナデルとアルマの頭上を覆い尽くした。
こうして二人は世界の終わりを迎えた。
何の準備もなく。