殺害許可をめぐる攻防
文字数 3,290文字
アズは裏巡回から帰ったばかりらしい。そう聞けば、どこにいるかはわかった。グザリアは訓練場へと急いだ。仕事を終えたアズはいつだって、食事よりも、身を清めるよりも、まず訓練場に向かうのだ。
子供の頃からそういう奴だった。
大人しく、目立たず、聞き分けが良かった。泣きもせず、笑いもせず、弱音の一つも吐かず、絡みづらい。才能よりも堅実さと泥臭いまでの努力を頼みとし、特に突出したところのない子供だったにも関わらず、彼は長い時間をかけて序列を上がっていった。武術でも、学問でも。そんなアズに、一番弟子のミスリルをどうしても勝たせたいとかつて願ったものだ。
なのに何故今になって、そんなアズのありようを愛しく感じるのか。一番弟子と二番弟子とを一度に失った代償か。今またアズを送り出さなければならないことが、辛くてならなかった。
「アズ」
訓練場の扉を押し開くと、果たしてアズが、天籃石のランプ一つしか光源がない訓練場で、両手の半月刀を振るっていた。
「寝る前にすまんな」
研ぎ澄まされた二本の牙を鞘に収め、アズは足許のランプを拾って答えた。
「何でございましょう」
アズの前まで歩いていき、向かい合ったとき、いきなり本題に入るのが惜しくなった。
「ところでお前は相変わらず熱心だな」
一体何を言い出すのだろう、という顔を見せてから、アズは彼らしく、生真面目な声と口調で答えた。
「恐れ入ります、団長殿。私は時間を無駄にしたくはないのです。自警団内の騒動も重大事でありますが、コブレン市街が戦場となった場合のことも想定しなければならないと考えておりますので」
「市街戦が起きると?」
「城壁外の会戦で決着がつかなければ、そうなると見ております。コブレンを守るカーラーン・ダーシェルナキは、見る限り利己的な人物。撤退が必要となった際、居住区と市民を盾に使いかねません」
「それで寝る間も惜しんで鍛錬か。お前はどちらの勢力と戦うつもりだ? 月環同盟か? 日輪連盟か?」
「市民に剣を向けるなら、どちらとも戦います」
「死ぬぞ」
グザリアは確信して言った。
「当然の対価でございます」
アズは至って冷静だ。
「敵が強かろうと、多勢に無勢であろうと、要救助者がいる限り逃走は許されません」
「まあ、それは正論には違いないな。俺より前の
「その人たちも、弱かったから死んだのではないのでしょう」アズの声に熱がこもった。「むしろ、死ぬまで戦えるほど強かった。そうではありませんか?」
「そうさ。だが死に急ごうとしたわけじゃない」
「私は――」
反論しようとした口を、片手を上げて制する。
「今からお前に二つ命令する。まず、寝ろ。明日の
「出立?」
「二つ目の命令だ。お前は逃走したミスリル及びアエリエ・フーケを追跡し、マナの身柄を確保しろ」
アズが歯噛みするのが見て取れたが、顔色は変えなかった。訓練場に団長が入ってくるのを見たときから、こうなるとわかっていたのだろう。
「では、団長、その際ミスリルとアエリエへの処遇は」
「殺害許可を出す。抵抗するなら斬れ」
アズは何も言わず、じっとグザリアを見つめた。どこか縋りつくような視線だった。が、先刻グザリアが団旗から目を背けたように、アズもグザリアから目を背け、視線を扉のほうへ逃がした。
その扉がゆっくり外から開かれて、新たな光が入ってきた。天籃石の裸石だ。それを持つのはテスだった。
「お話中失礼します、団長」
石を握りしめて、テスはつかつかと二人に歩み寄ってきた。そして、アズを無視してグザリアの眼前に立った。体から冷気が感じられた。髪は乱れている。ミスリルの捜索から帰ってきたばかりなのだろう。強張った顔から、隠しきれない悲痛な思いが伝わってきた。
「ミスリルの追跡及びマナの身柄の確保。その任、是非とも私にお任せいただけないでしょうか」
「話を聞いていたのか」グザリアは厳しい声で言った。「俺は、必要があればミスリルとアエリエを斬れ、と言った。最低でも訓練成績でミスリルに安定して勝てる人間を送り込まねばならん。ミスリルは俺の一番弟子。お前はオーサー一門の三番弟子じゃないか」
「いかにも、ミスリルと本気で戦えば結果はお約束できません」
冷静な口調を保ちながらも、テスの頬が一瞬引き攣るのをアズは見逃さなかった。
「ですが、私は見習い時代から最も多くミスリルと組んだ相手であり、手の内も、考え方や行動の傾向も誰より理解しているという自負があります。そして、追っ手に誰が選ばれるかはミスリル自身予測しているはずです。私の兄弟子が行くよりも、私が行くほうが彼らの油断を誘えます」
テスの真剣な眼差しを受けながら、グザリアは無精髭を生やした顎に手を当てた。
そのままお前がミスリル達と逃げちまわないと何故言える?
さすがにその質問は呑み込んだ。
「油断を誘って、どうする? ミスリルとアエリエを説得できるか?」
「説得するのはマナだけで構いません」
「で、そのマナはどこにいる?」
「ミスリルのことですから、我々にとって全ての始まりとなった公爵令嬢とその護衛武官を追跡しようと考えるはずです。娘のマナを守るには、マナが生まれなければならなかった因果を解明しなければなりません」
「どこぞの民兵団が血道をあげて探し回った二人組を、お前が探し出すと?」
「いいえ。あの二人を探す手がかりを求める途中でミスリルと接触できる可能性が高いということです」
「団長」
「差し出がましくもこのように申し上げることをお許しください。このテスに、ミスリル追跡の任務を請け負う機会だけでも与えてやっては頂けないでしょうか。もしもいなくなったのがトビィとレミで、他の者が追跡の任を負うことになったならば、私も同じようにしたでしょう」
グザリアは顎から手を離さず、「機会って言ってもなあ」
アズは体の向きを変えてテスと向き合った。一回り背の高いアズが、小柄なテスの顔をじっと見下ろす形となった。
「テス」
睨みつけるような目で見つめ返してくる。意固地で直情的なところは昔から全く変わらない。
「俺たちのような者は、本拠地から一歩でも出たら敵しかいない。お前もよく知っている通りだ」
この弟弟子に、死んで欲しいわけがない。
「実力を証明してくれ。何があっても任務を果たして帰って来れると。構いませんか、団長」
眉間に皺を寄せて黙り込むグザリアに、アズは頭を下げた。
「重要な任務がかかっておりますゆえ、私もわざと負けるような真似はいたしません。どうかこの通りお願いします」
「与えるのは機会だけだ」
どうせテスではアズに勝てまいと考えて、グザリアは言った。ならば二人を納得させてやればいい。逃走したミスリルとアエリエも、夜間に山中の移動は控えるだろう。追っ手を出すのは夜が明けてからで構わないのだ。
茶番に付き合ってやる程度の時間はある。
「三回戦だ。一回でもアズに勝てたらテスに行かせてやる。種目は?」
兄弟は視線を交わした。アズは無言でテスに譲り、テスがグザリアに答えた。
「ありがとうございます、団長。種目は両手剣術で願います」
「同門同士だ。半月刀二刀流での判定でも構わんのだぞ」
「いいえ。両手剣術で願います」
押し殺したテスの声は、僅かに震えていた。アズは痛ましく思った。テスは青ざめ、アズを見ようともしない。
心の中で語りかけた。
お前はいつも、両手剣術でミスリルと張り合っていたな。
グザリアが、壁際から訓練用の両手剣を持ってきた。アズとテスは、黙ってそれを受け取った。距離を取り、向かい合う。訓練場は暗く、互いの姿は影に覆われていた。
グザリアの姿が薄闇に沈み、動く気配が止まった。
沈黙。
一呼吸の間をおいて、開始の鉦が鳴った。