弟
文字数 2,516文字
アズの頼みで与えられたチャンスだとわかっている。このチャンスにしがみつくしかないことも理解している。
それでも、アズの優しさが憎かった。
機会だけでも、と、アズは言い放った。団長に懇願すべくそう言ったのだ。それでも。それでも……。
上段に構えた剣を振り下ろしながら、アズが飛び込んできた。
アズを行かせるわけにはいかない。
同じ構えで、テスもまた、アズの懐に飛び込んでいく。
ミスリルとアエリエを死なせたりはしない!
鋭い音を立てて、剣と剣がぶつかり合う。青白い火花が散り、目を刺した。腕力勝負となれば敵わないことはわかっている。
その剣を回り込むように、テスは自分の剣でアズの側頭部を打とうとした。こうなれば身長差が生きてくる。小柄なテスのこの攻撃を、アズはくぐって回避できないはずだ。
アズはその一撃を、左に踏み込んで回避。肘の高さを変え、テスの剣の刀身を鍔の根元で受け止めた。そのまま手首を捻り、剣をテスの耳の下にあてがった。
そこで一回戦終了の鉦が鳴った。
「勝者アザリアス!」
グザリアの宣言。
あまりにも呆気なかった。アズは後ろ向きに歩いて距離をとるが、テスはその場から動く気にもなれなかった。
「団長」
石の光が朧げに届くところから、アズがよく通る声でグザリアを呼んだ。
「打ち合ってわかったのですが、テスは外から帰ってきたばかりで体が温まっていません。三回戦では不公平です」
グザリアは呆れた声で「お前今更言うかそれ」
「ですが――」
「そんなことは俺もわかってる。だから一回でも勝てたら許すと言ったんだ。普通は三回のうち二回勝てたらだぞ」
「――はい」
そのやり取りを聞きながら、テスは後退した。呼吸を整えても、胸に
アズの思いやりは屈辱的だった。
「二回戦いくぞ。いいか」
テスが剣を中段に、アズが一回戦と同じく上段に構えて鉦の音を待った。
甲高い音が響く。
二人が互いの懐に飛び込んでいき、剣を交える。ここまでは一回戦と同じ。今度はテスは剣を引かなかった。利き手である左手で柄を握りしめたまま、右の掌を刀身の切っ先に近いところに当てがった。そのまま右側に体重をかけ、アズの体の左側へとすり抜けようとした。
そうはさせじと、アズもまた、右手を己の刀身に添えて押す。
交差した剣を挟んで、顔と顔がふれあいそうなほど二人の距離が近くなる。
近すぎる。
この危険から抜け出せぬまま、アズが左足をテスの右足に引っ掛けた。
「受け身!」
アズが叫ぶ。
交差した剣にアズの体重がかかるのと、足を払われるのが同時。
言われるまま受け身をとった。ごろりと転がり、立ち上がろうとするも、仰向けになった瞬間を逃さずテスの腹にアズが足を置いた。踏みつけはしない。ただ足を置く姿勢をとっただけだ。そのまま腰を屈めてテスの
鉦。
「勝者アザリアス!」
僅かに届く光の中、アズの真剣な眼差しが、仰向けに倒れたテスの顔を覗き込んでいた。
これでいいのか? と、その目は問いかけていた。あと一回でこのチャンスは消えてなくなる。これがお前の本気なのか? お前はこれでいいのか?
相変わらず、腹と胸にあるはずのアズの足と剣の重みは感じない。相手に怪我をさせないという信念を曲げるつもりはないのだ。
だが。
見つめ返すテスは気付いた。
もしここでアズが怪我でもしたら、追跡の任務を追うことはできなくなる。
アズが、すっ、とテスを離れた。
駄目だ。
すぐさま自分を戒める。だが。それでも。
怪我を負わせないために、決着の瞬間アズは攻撃の勢いを落とす。そのとき隙ができる。
――駄目だ。そんなのは正しくない。間違ってる。
起き上がるテスの心の中で、もう一人の自分が囁いた。何が間違っているんだ? アズを阻止する手段があるのに、みすみす行かせるつもりなのか? このまま行かせて、兄弟子と親友に殺し合いをさせるつもりか?
「アズ」
起き上がった時、ようやく振り絞った声は、自分でも情けないくらい上擦っていた。
「俺に情けをかけないでくれ」
アズが身じろぎするのが気配でわかった。そのアズは、次も必ず隙を作る。テスを傷つけないために。
「……わかった」
アズが、剣をまっすぐ前に向けた。切っ先が、離れて立つテスを捉えた。
「全力で来い」
最後の鉦の音が、高く鳴り渡った。
両者、中段の構えで飛び込んでいく。躊躇う理由はない。
アズの突きに合わせ、テスは左足を踏み出した。
ふりをした。
すかさずアズが右足を踏み込んで、両手剣の柄から右手を離した。その手をテスの両手剣の柄に伸ばしてくる。
初歩的な剣取りの技だ。
興奮で、テスの胸がカッと熱くなった。反対に、腹の底は冷え冷えとしていた。
今しかない……。
アズに剣を奪われる直前、自ら左手を離した。
拳を握りしめる。
足に力を込めた。
アズの胸に飛び込んだときには、ほとんど跳躍したと言ってもよかった。その跳躍に全体重をかけ、拳でアズの鳩尾を狙った。
重く沈む感触。
うっ! という、苦しげな声を耳の後ろで聞いた。体の前面にあるアズの体の熱と質量を、興奮冷めやらぬままテスは感じていた。アズの体から急激に力が抜けていく。
両手剣が滑り落ちた。その音が響きわたり、グザリアが飛び出してきた。グザリアが後ろからアズの体に腕を回し、倒れこむのを防いだ。
「アズ!」
グザリアの呼びかけ。そして、体を支えられながら両膝をつくアズの姿を目にしたとき、一切の手加減をしていなかったことに、テスはやっと気が付いた。