略奪の略奪の略奪
文字数 4,128文字
新総督アランド・ダーシェルナキには、星獣祭までにやらなければならない仕事ができた。メイファ・アルドロスの予言通り、最低な決断を下したのだ。日輪連盟の武装商人たちが、コブレン救援の
アランドに疑問を抱く一部の親衛隊員たちが、日輪連盟の外交官と接触したという事実も大きかった。連盟の商会に紛れ込んだ反アランド派の将兵が、彼らの地下組織『
そうした潜入者は、穏便に金品を盗み出すのが難しいときには、案内役を装って荷を曳く馬を路地に導き、抵抗するならば御者を殺すという手段を取った。夜明け前から喧騒が始まった都の一区画で、それは行われた。
建物と建物の間の狭い通路に流れた血は、
車を曳く人物は顎を上げた。鼻から下をストールで覆っているため、フードの下に見えるのは、大きな二重瞼の目と、
※
雪が、残酷な幻影のようにつきまとい始めた。武装商人とその下請けたちが夜明け前から始めた仕事を見に来た民衆は、今や
商人たちは強引に買い上げた街区を自分たちの思い通りにすべく、まず前の住人たちの生活の匂いを取り消しにかかった。不要となる種々の雑貨、彼らの目に安物と映る調度品は、破壊のうえ打ち捨てられた。
最初の衝突はごく小規模なものに終わった。商人たちの仕事を邪魔し、道路を塞ぐ抗議者を、作業の請負人が殴りつけたのである。抗議者は殴り返した。だが双方とも冷静さを保っていたために、それ以上のことは起きなかった。
二時には商会側と抗議者側が、揺れ動く民衆に向けて別々のことを呼びかけた。商人たちは自分たちの土地建物の取引は法的に正当であると主張した。抗議者たちは元住人に支払われる額が少なすぎると訴えた。
がめつい貧乏人どもめ、と誹謗の声が上がれば、駆除されるのを待つだけのドブネズミども、と中傷の声が上がった。
民衆の間を走り回る人々は、高価な紙を撒いて日輪連盟が富裕であることを誇示した。紙には連盟がいかなる手段で都の人々の暮らしを豊かにし得るかが書き連ねられていた。それを学者風の男が捕まえて、書かれた内容について二、三尋ねた。日輪連盟の宣伝者には答えられなかった。彼は字が読めない、ただの雇われ人だった。
三時を過ぎる頃には、民衆はどちらかといえば抗議者側に同調し始めていた。商会側に冷たい目を向ける民衆は、結果的に道を塞いで彼らを包囲する形となった。ガラクタと資材が散乱する区画に商人たちは孤立した。
四時になると、都に駐留する日輪連盟軍の将校が、この包囲は違法であると呼びかけ始めた。彼が従える剣を手にした兵たちは、民衆を恐れさせたが、同時により多くの見物人を寄せ集めることとなった。
同じ時刻、別の街区では、新総督に不従順であると目された貴族の家が略奪にあっていた。いつ頃からか都で存在感を帯び始めた『ゼフェルの後継』たちが、石を投げて略奪を非難した。アイオラ・コティーは煉瓦造りの修道院の裏手で、荷車に座り込んで雪雲を見上げていた。彼女の古い友人にして同僚のアウィンという元士官の青年が、彼女たちを
五時、昼を迎える頃だった。赤毛の青年が修道院の小塔から下りてきた。痩せていて、そばかすのある童顔で、どこかまだ幼げな印象さえあった。青年は外階段を使って裏庭に降り立つと、井戸端で洗濯をしている修道女たちの後ろを走り抜けた。彼の姿を認めてか、アイオラは自ら修道院の裏口から出てきた。
青年は軍人らしく、必要な情報だけ正確に伝えた。
「貴族街を襲った連中が数を増やしながらレスター街の騒動に合流しようとしている」
アイオラは美しい顔立ちの女性だが、今ばかりは眉間に深い皺を刻んだ。
「何人?」
「荷運びを含めて現時点で五十から六十五。それだけじゃない」青年はアイオラの耳に囁いた。「陸軍兵舎が開門した」
アイオラの顔が目に見えて強張った。だがさすがに冷静だった。
「ありがとう、ミズルカ」
彼女は決まっていた通りの予定を口にした。
「信号を出しましょう」
修道院の最上階の窓に、普段洗濯されることのない青い壁掛けが干された。壁掛けが見える位置にある建物で、誰かがギターラを弾き始めた。その楽曲の意味を知る者が、街角で歌い始めた。
音楽が広まった。
それが信号であった。
※
陸軍広報部のプリシラ・ホーリーバーチ中尉は陸軍の派出事務所に詰めていた。そこは新兵の受付所で、徴募された若者たちの身体検査が朝から行われていた。事務所は武装商人と抗議者たちが騒動を起こしている区画のすぐそばにあった。そろそろ休憩のために受付を締め切ろうかというとき、一人の若者が検査を受けるべくやってきた。開いたドア。若者。その向こう側から、これまでとは明らかに違う恐怖と混乱の悲鳴が聞こえてきた。
受付から顔を上げたプリス、入ってきた若者、離れた場所で事務処理を続けるもう一人の女性士官が、目つきを変えて通りに顔を向けた。民衆が散っていく気配が感じられた。プリスの教育係の女性士官が呟いた。
「何が起きているの」
立ち上がったのは彼女ではなく、プリスのほうだった。戸口の若者を押しのけるプリスに、
「勝手な行動は――」
――だが、プリスの姿がもう見えなかったので口をつぐんだ。
武装商人たちが民衆に牙を剥いたのかとプリスは思った。子供や老人の手を引いて、民間人たちが騒動の現場から逃げてくる。陸軍の制服姿のプリスが人混みを遡ると、誰もが率先して道を開けた。
人が散り散りになった後のレスター街の入り口でプリスが見たものは、歩兵一個小隊、それを指揮する人物は、奇遇にもヴァンスベール・リンセルだった。
※
命令に従いレスター街への突入を指揮するヴァンは、駆けつけて来たプリスに気付いていた。胸に痛みが走り、彼は必死に気づいていないふりをした。
「プリス、ごめん……」
兵士たちは分隊ごとに通りに散り、戸惑い恐怖する商人たちに剣を振り上げた。商人たちは、陸軍の仕打ちが威嚇ではないことに気付き、応戦を余儀なくされた。だがどうしようもなく数が不利で、土地勘もなく、雇った
突入は隣りあう街区の西側と、中央南側から始まった。東側は事態にまだ気付いていない民衆が包囲を続けていた。中央北の通りには、星獣と、雇われの歌流民がいた。
歌流民の女は長身長髪で、雰囲気からして三十代の半ばと思われた。
彼らは
孔雀が道を歩き、女がついていった。陸軍の兵士は商人を襲い、彼らの略奪品を略奪していた。女の歌が倒れ臥す者たちの苦痛を嘲った。
一人の老いた人夫がよろめきながら逃げ去った。彼は、辻の横手から近付いてくる孔雀の尾羽を見なかった。追われていて、それどころではなかったからである。人夫は両腕に抱えていた織物を投げ捨てたが、慈悲は得られなかった。
つんのめって転ぶ人夫の姿を、街区に入り込んだプリスが狭い路地から見つけた。言葉もなく、思わず駆け寄り、飛び出した。そのときになって、初めて彼を追い回していた者の気配に気がついた。
仲間であるはずの、陸軍の兵士。
剣を両手で持ち、今にも人夫に突き立てんとし、頭上に振りかぶっていた。だが兵士は、飛び出して来たプリスが陸軍の士官であることにすぐに気がついた。
目が合う。
困惑と躊躇い――。
兵士が倒れた。
後ろから斬られたのだ。
「駄目!」
プリスは叫んだが、何に対してかは、自分でもわからなかった。ただ、ほとんど意識せぬままに、倒れたままの弱き者に覆いかぶさり、庇おうとした。考えてやったわけではなかった。脇の下に手を入れられ、強引に引き離されたとき、私は何をしてたんだろう、と妙に冷静に考えた。
そのまま街路を引きずられ、近くの家に連れ込まれた。視界が暗くなり、少しだけ物音が遠ざかる。誰かが入って来て、床に体を打ち付けたままのプリスの見ている前で、戸を閉めた。コバルトブルーの髪の若者。解放軍のアウィンだ。
「お前何やってたんだ?」
見知らぬ青年に、プリスは返事ができなかった。事態を把握できかねたからだ。色々な意味で。
だから、聞きたいこと全てをたった一言でまとめて聞いた。
「何が起きているの?」
「略奪の略奪の略奪、といったところね」
真後ろから女の声。
「商人の略奪品を陸軍が略奪し、陸軍からは私たちが奪うの」
膝を立てて座り込んだ姿勢のプリスは、振り向いてアイオラの姿を見た。そして、自分を家に引きずり込んだのが彼女であることを理解した。
黙ると恐怖に支配されそうなので、尋ねた。
「あなたたちは何?」
「呪つ炉の都解放軍」アイオラは油断なく剣の柄に手を置いた。「反乱まではあなたの仲間。今は敵よ」