鳥たちよ、鳥籠よ
文字数 5,251文字
ゴミ山の中で何かが暴れていることにはとうの昔に気付いていたが、それが旧市街に迫るにつれ、火にあたりながら談笑する若者たちも言葉数が少なくなっていった。
縦揺れが二連発。
若者たちはゴミ山から発掘した薄い金属の容器に火を入れ、網を乗せて魚を焼いていたが、ほどよく焦げ目のついた串刺しの魚が、一発めの揺れで飛び跳ねた。
「魚ァ!!」
食べ頃になるまで丹念に炙っていた少年が、網の上に上半身を覆いかぶせるようにして魚が落ちないように守った。四尾の魚は少年の顔や腕にぶつかり、無事網の上に戻った。他の連中は険しい目つきでゴミ山を凝視した。
山と山の間から、男が二人まろび出てきた。一人は炎剣を手にし、もう一人は頭を灰白色の布で覆っている。二人がゴミ山に沿って左折していったところで、二発めの揺れが来た。
地面に接する少年たちの尻が痛いほど痺れ、その衝撃は背骨を通って脳天まで抜けた。ゴミ山から弾き出されたケトルが道に転げ落ちた。その金属音が響く中、少年は揺れで浮き上がった魚の串を奇跡のような
「やめろ! 楽しみにしてたんだぞ!」
その隙に彼の仲間たちは細い路地へ逃げていった。
火を入れた缶が横倒しになり、炭と灰がこぼれた。火が消えていく。
四本の魚の串を握りしめた少年の視界に、透き通るベージュが侵入した。
星獣の胴だ。
その背にある壊れた柵の向こうから、ゼラは尊大な態度で問いかけた。
「連中はどこだ」
青ざめた少年が魚を持っていないほうの手でゴミ山沿いの道を指差すと、ゼラもまたリージェスとテスを追って道を左折した。二人の民兵も息災だ。
ゼラたちが視界から消えると、少年は安堵の息をつき、ほどよく冷めた魚にかぶりついた。
「うめぇ」
※
時間を稼ごう。
「『月』のありかですが……」
他の話題で気をそらすのだ。意図がバレないとは思えないが、シルヴェリアには時間がある。少しならば待ってくれる。
はずだ。
「正確な隠し場所を知っているのは、私ではなく護衛のアークライト少尉のほうですわ」
「嬢は全く知らんのかえ?」
「都で蜂起があった夜」鼓動が早くなっていく。「私はアークライト少尉と共に市街を脱出し、麓の街道に下りる前に『月』を埋めました」
「そなたが総督府に来たときにも『月』を見なんだが」
リレーネは瞬時に青ざめた。
「『月』は砕けたのです。殿下のお父上ならば事情をご存知ですわ」
「いけずを言うでないわ。
シルヴェリアはゆっくり身を起こし、ふくらはぎをドレスで隠した。
「何故、どこで?」
そのシルヴェリアの向こう、窓の外に、大きな鳥が舞っている。昼星だ。そしてごく近くで轟音。
リージェスとテスは何故すぐ来ないのだろうか。何故、あんなにも騒がしいのだろうか。
厄介なことになっているのではないだろうか。
「ヨリス少佐」
呆然としていたリレーネは、シルヴェリアの鋭い声で我に返った。
「はっ」
「嬢は外が気になってならぬようじゃ。アークライト少尉を迎えに行って参れ」
と、肩越しに、親指で窓を示した。
「承知致しました」
戸口に控えていたヨリスは、一切音を立てずに歩いてリレーネの横を通り過ぎ、シルヴェリアがいる台座を右回りに迂回すると、窓のレバーを上げ、金属の窓枠を押した。
窓が外側へと開いた。
と思ったときにはもう、ヨリスの姿は消えていた。
「えっ!?」
窓の向こうに身を投げたのだ。
「えええええっ!?」
心拍が急激に上がる。リレーネははしたなくも窓に駆け寄り、上半身を外へと突き出した。
シルヴェリアの密やかな笑い声が、背後から聞こえた。
ヨリスは娼婦や男娼たちの衣服を干すテラスに着地していた。テラスを走って横切り、再び身を投げる。再び姿が視界から消えたが、唖然とするリレーネの両目に、程なくして裏庭を駆けていくヨリスの姿が映し出された。
※
狭い狭い路地へ、テスとリージェスは入り込んだ。星獣の硬い体が両側の壁を削る音がついてきた。
「どこまで来るつもりなんだ」
リージェスは振り向いた。集合住宅に挟まれた、弧を描く坂の下から、その音は離れもせず近付きもせず聞こえ続けた。そして、星獣が入れないほど狭い道がこの先にある見込みもなさそうだった。
「広い道に出よう」テスの声には緊張感がない。「星獣から奴らを下ろすんだ」
「どうやって」
言ったはしから広い道に出た。坂を貫く階段で、中央に手すりがある。視界や星獣の通行を遮るものは何もない。
だがテスの決断は早かった。
「下りよう」
「アテがあるのか?」
問いかけながらも、リージェスはテスを追い、段飛ばしで階段を駆け下り始めた。テスが声を出す。
「あっ」
「何だ」
テスは坂の下で鳥を売る露店を指差して、
「ルナリアユキオウムだ」
リージェスはテスを殴ろうと決意した。ゼラをなんとかしたらこいつを殴ろう。今度こそ殴ろう。
といった調子で怒りを煮えたぎらせている横で、テスが首に下げた鳥笛を
甲高い音が響く。
階段下の道が近付くにつれ、リージェスも気付いた。籠の中の鳥たちが、羽ばたき、左右を見回し、鳴き、落ち着きを失っていることに。
鳥笛のせいだ。
はるか上のほうで星獣の蹄が階段の舗装を割った。
テスの目が焦点を結ぶ。
「急げ!」
キョロロロロ! キョロロロロ!
露店の横木にとまる白いオウムらが一斉に鳴き始めた。店主も鳥たちの異変に顔を上げるが、まだ階段の二人のせいだと気付いていない。
だが、顔を上げ、階段の二人の上にいる星獣が目をみはる速さで駆け下りてくるのを見、椅子代わりの木箱から腰を浮かせた。
『イト高キ』
リージェスが驚いたのは、テスが歌い始めたからではない。武器ではなく一枚の羽を懐から出したからだった。
『
ここ数日、彼が暇さえあれば熱心に眺めていた大きな風切羽根だった。
階段を下りきる。
テスは逃げない。
オウムたちの前で立ち止まり。
腕を広げ。
風切羽根の構造色のきらめきを見せつける。
キョロロロロ!
オウムらの興奮。
テスは歌い切った。
『神ニ栄光 アレ!』
直後、耳をつんざく大合唱がオウムらの嘴から放たれた。
ギャアギャア、キョロロロ、ケラケラ、セラセラ。
一斉に羽ばたき、十を下らぬ数のオウムが、今まさに階段を下りきろうとしている星獣とゼラへと蹴爪を向け、襲いかかった。
テスが風切羽根をゼラたちに突きつけたのだ。
店主は何か言おうとしていたが、星獣がオウムの攻撃の中を突っ切ってくるのを見、無言のまま逃げ出した。
テスは半月刀を抜き、鳥籠を壊す、壊す、壊す。カラ類が、ヒワ類が、ハトがアトリがウソがヒタキが解き放たれていく。
星獣は制御を失い、露天を薙ぎ倒しながら集合住宅に激突した。自由になった鳥たちの赤、青、黄色、緑、茶、とりわけセラセラと鳴くオウムの白が乱舞し、その向こうでゼラと民兵が鳥を避けようと腕をばたつかせていた。
「ルナリアユキオウムはルナリア山塊を
「それは今解説することか?」
壁への激突で星獣が受けた打撃は大きかった。脇腹から中の水が滲み出てくる。
歌い手が星獣を
鳥たちが消えたあと、最初に目に入ったのは、星獣の背から飛び降りたゼラの姿だった。
膝を屈めて着地したゼラが、立ち上がりながら炎剣を抜き放つ。
身構えるリージェスとテスだが、何かが彼らとゼラの間に割り込んできた。
風と気配を感知。
爆発が起きた。
間もなく剣を交えられるという位置で、リージェスもテスも、ゼラも、二人の民兵も、腕をかざして顔を背けた。
砕けた石の破片が胸や足に当たる。
熱風が消えたあと、まずテスが、リージェスとゼラが、最後に民兵たちが、それが来た方向に顔を向けた。
階段の上へと。
「そこまでだ」
その持ち主は、無論見覚えのある男だった。男は表情のない冷たい顔で、階段の十段めあたりから、じっとリージェスを見下ろした。
だが、連弩はゼラに向けられた。離れていても、ゼラの肩が微かに力むのが伝わってきた。
「
ゼラは返事をしなかった。睨み合いが始まった。連弩の爆薬の威力は低いが、直撃すれば大怪我は免れない。それに、矢そのものの殺傷力もある。
むしろ爆発で矢が折れる分、矢尻が体内に残り、厄介なことになる。
自分を睨みつける階段下のゼラが、その距離を測り、互いの武器の刃渡りを測り、上りの段差を越えて新手の敵に斬りかかる算段を立てているのがヨリスには手に取るようにわかった。返事をせぬのがその証。
なかなかの
だからこその、ゼラのこの決断。
彼は身構えるのをやめ、炎剣を鞘に収めた。
空気が緩む。
酢を売る店の女主人が興味津々でこの六人を見つめていた。
「下がれ」
民兵たちにそう命じ、ゼラはもう一度ヨリスと向き直った。
「私はソレリア民兵団団長ゼラ・セレテス。貴君の名を伺いたい」
「南西領陸軍マグダリス・ヨリス少佐だ」
「ヨリス少佐」
丁重に、だが威圧をこめてゼラは別れの挨拶をした。
「再び
傷ついた星獣を立ち上がらせ、民兵が歌った。星獣は水滴を残して道を去っていった。ゼラは最後までヨリスを睨みつけていた。だが、リージェスには目もくれず、くるりと
姿が見えなくなり、歌も蹄の音も消えると、ヨリスはリージェスに歩み寄ろうとせず、ついてくるよう手で合図した。そして背中を向けて、先に歩き出した。
リージェスとテスは視線を交わし、互いの目に困惑を見出した。動き出したのは、今度はリージェスが先だった。
「無事なんだろうな!」
主語を抜いても意味は通じるはずで、だが、男はその問いかけに全く反応しなかった。白いオウムたちが、そこらの軒に並んでセラセラと笑った。
※
戦いの緊張と興奮が去ると、自己嫌悪を伴う強い怒りがテスの心に押し寄せた。悲しみを包み隠すための怒りだった。
こんなことで命を賭ける意味は本当にあったのか? リレーネとリージェスがどうなろうとも、本来の旅の目的には全く関係ない。ミスリルがリージェスたちを探し回ると仮定しても、だ。日が経つごとに、ミスリル、アエリエ、そしてマナとの再会は絶望的に遠ざかっているような気がする。
いや。
階段を一段ずつ踏みしめながら、テスは考え直す。
ミナルタにはテス自身の目的があって来た。
この街には、コブレン自警団と同じ異端の宗派、天示天球派教会の会堂がある。コブレンで何が起きたにしろ、旅立つ仲間に連絡を取るには、周辺に散るこれらの会堂を用いるしかない。
会堂に仲間たちからの便りが届いているかもしれない。
それで?
先行きは見えるのか?
怒りが剥がれ、悲しみを隠せなくなりつつあるのをテスは感じていた。さりとて未来が見えるわけでなく、ミスリルがリージェスたちを見つけ出すという確信があるわけでもない。
結局、静かに悲しみを見つめるのだ。その冷静さが知恵をもたらすこともある。
もたらされなくても、できることをするしかない。
顔を上げる。
そのときに、ふと既視感を得た。
マントに垂れた三つ編みの黒髪。
見たことがある。
視線を
俺はこの男に会ったことがあるのか? いつ?
答えが出ないまま、テスはリレーネと同じ道を辿った。階段の上の娼館に着き、庭を抜け、二階に上がり、個室が並ぶ部屋を通り抜け、階段室から最上階に上がる。
扉が開かれた。
その先の光景に息を飲む。
大きな一枚板のガラスの窓。赤い台座。横たわり、脇息にもたれかかる銀髪の女とレイピアを下げた女。部屋にもう一人いる女はリレーネで、銀髪女と向き合う形で椅子に座っていたが、肩越しに振り向くと、大きく口を開けて立ち上がった。
シルヴェリアは横になったまま、しかし威厳をもって二人を歓迎した。
「ようこそ、