雪の降り積む
文字数 2,747文字
難しい決断を迫られているコブレン自警団の団員は、テスだけではなかった。
レミは目を覚ました。何の感動もなかった。まだ生きていることにも。朝がきたこと自体にも。まだ生きていたから目を開けたまでのこと。そばにいる二人の仲間は靴を履いたまま休んでいた。二人ともアズとトビィではなかった。
石組みの暖炉の前の安楽椅子で、膝にマントをかけたジェスティが眠っていた。深い眠りではあるまい。コブレンの戦いが終わるまで見習だったジェスティは、自警団の現状と彼女自身の実力を
ジェスティの銀髪に、小さくなった炎の影が明るく揺らめいていた。火の番をしていたアスター・フーケは、大鎌を刃を下にして抱え、片膝を立てた姿勢で暖炉の近くの壁にもたれ眠っていた。深くうなだれ、黒紫の髪で顔を隠している。アスターはミスリルとアエリエの弟弟子だ。二十二歳。今はフーケ師の一番弟子。フーケ一門は我の強いのが多い。アスターもそうだ。長身痩躯。色白で、顔立ちはミスリルと違って端正で繊細な女顔。神経質なところがあり、人がたてる騒音をことに嫌うが人の悲鳴にはいくらでも耐えられる。自警団がコブレンを失うまでは、拷問の業務を請け負っていた。実戦闘の場でレミと組んだことは一度もない。
レミがソファから起き上がると、暖炉の前のジェスティが即座に目を開けた。アスターの肩が小さく震える。レミがソファから足を下ろす動きに合わせて、アスターは鬱陶しい前髪をかき上げ、ジェスティは眠気覚ましに安楽椅子を揺すった。それから立ち上がった。椅子だけが揺れ続けた。
レミとアスターは互いに壁と距離とを感じているし、ジェスティは年長の二人に遠慮している。三人は誰も自分から話そうとしなかった。ただ黙々と衣服のしわを伸ばした。レミは寝る前に結んだ黄色い髪をほどき、結び直した。
それが済むと、否応なく沈黙と向き合うことになった。
「行こうか」
気が進まないながらもレミは口火を切った。アスターが肩に大鎌を担ぎ、ゆっくり振り下ろし、また振り上げた。レミを見ずに呟いた。
「いってらっしゃい」
「私はエーリカを当たる」レミは苛立ちを抑えて言葉を重ねた。「アスター、ジェスティ、わかってるね」
それでもまだ他人事のようにアスターは応じた。
「星獣兵器の弱点を嗅ぎ回るんでしょ。わかってるって」
もともと、起きていても意識の半分は別世界にいるような男だ。若くてかわいい女の子の世界、歌とリズムの世界。自警団には貞潔に関する掟がある。例の如く、戒律が先か暗殺者の生活の知恵が先かわからない掟だ。が、何故そのような掟があるかはアスターを見ればわかる。とりあえず彼が町娘に手をつけて捨てたという事実はないようだ。レミが知る限りでは。
「最善を尽くします」
一方ジェスティは、声も佇まいも固い。
レミは優しく念を押した。
「いいね、ジェスティ。合流場所は?」
「桶」
「形は?」
「黄色」
「私が落石までに来なければ?」
「干し草を取り込みます」
「上出来」
ありふれているが場違いな農具――大鎌を担いで、我関せずとばかりにアスターが裏口へ向かう。慌てて追おうとしたジェスティを、レミは手首をとって引き留めた。ほとんど反射的な行動だった。
「ジェスティ、聞いて」
芯の強さを感じさせるまっすぐな視線が、レミの両目に注がれた。
「……私たちはコブレンを奪還したい」
実のところ、レミは自分が何を言いたいかわかっていなかった。
「それが不可能でも、自警団として存続する限りは市民を救援しなきゃいけない。守るものがないと、私たちは堕落して……ただの殺し屋に成り下がってしまうから」
「はい」
そんなことはわかっているとジェスティは言いたげだ。
「だから、何を見ても」
レミはつい目を伏せた。
「例えばクララの、あなたのお姉さんのうち捨てられた亡骸を見ても、または晒し首を見ても」
今度はジェスティが反射的な行動を見せた。口を開いたのだ。レミは待った。
「我慢できます」ジェスティは答えた。「知らん顔して通り過ぎます」
レミは形ばかりの笑みを浮かべて頷いた。自問する。私は?
ミラは――ああ、姉さん!――身体じゅうに矢を突き立てられて死んだと聞いた。今も変わり果てた姿で打ち捨てられたままなのか。そしてアズ……トビィ……トビィ!
トビィなら、不意に視界に私の腐乱死体が入ってきたって顔色一つ変えない。トビィならできる。彼は強い。……彼は強かった。
私は。
『できるよ』
心の中でトビィが言う。
『君はできる』
ジェスティに背を向ける。
その声は、何の慰めにもならなかった。
想像の産物にすぎないからだ。
※
風がそうするように、取り残された人は
娘が一人、胸の前で指を組んで哭いた。黒いマントのフードは今にも後ろに吹き飛ばされそうだった。顔の下半分がフードから露出し、雪に打たれるままとなっていた。
開いた口から、はあ、はあ、と白い息が吐き出される。
雪が、娘のマントを白く塗っていく。
高い建物の間で、雪に煽られながら、娘はよたよたと路傍に寄った。よろめき、体の左側を灰色の石の壁にぶつけた。
祈るように天を仰ぐ。
黒ずんだ雲は鈍く光り、娘の顎を輝かせた。寒波が娘に慈悲をかける気配はなかった。娘は顔を上げたまま膝を折る。
側溝に死体があるのだ。
男が死んでいた。
溝の縁に指をかけ、娘は屈んだ。緑と紫のまだらになった死体の顔を覗きこむ。
それが娘の探し人であったか、そうではなかったか。
娘は哭いた。
※
「奇異な行いに見えますか?」
馬上のエーリカ・ダーシェルナキは、
「何者だ!」
声の主は女だった。雪まみれのマント。耳当てつきの毛皮の帽子を目深にかぶっている。兵士の威圧的な呼びかけに臆することもなく、焼け落ちて青銅の看板だけが虚しく揺れる
その槍の手前で立ち止まり、深く俯いていたレミは顔を上げてエーリカをひたと見据えた。
「第二公女殿下、この顔をお忘れですか」
鞍の上で、エーリカの顔が強張った。寒風吹きさらしで血色の悪くなっていた褐色の肌に赤みがさす。エーリカの指が強張り、手綱が揺れるのをレミは見た。
「槍を下げなさい」
エーリカはおっとりと、だが毅然とした調子で命じた。
「この方は私の