破断
文字数 1,656文字
星獣祭の聖なる一週間までまだ三日あった。例年であれば既にお祭り気分の民衆も、今年は雪雲の下でパン屋の前に列を作り、押し黙っていた。星獣祭の最終日には、第二公女エーリカ・ダーシェルナキの望まぬ婚礼が盛大に祝われる予定だった。街路には、結婚相手となるトリエスタ伯オロー家の旗が掲げられていた。
旗の掲揚柱に刃物でこう刻まれていた。
『地獄に落ちろ』
その下に薄く、別の誰かが刻んでいた。
『ここが地獄だ』
もうすぐそうなる。
エーリカは、都解放軍を率いるロアング中佐と、星獣祭の期間中の停戦協定を取り付けていた。だが狂気に憑かれたゼフェルの後継軍の指導者コルを説得できる者はいなかった。
星獣祭の聖なる一週間までまだ三日あった。それはつまり、ゼフェルの後継軍の蜂起まで三日の猶予があることを意味していた。
はずだった。
ほうぼうの通りから、都の中心部に向かって成人の男女が集いつつあった。頭に鍋をかぶっている者、鋤や大鎌といった農具を握りしめている者、一様に悲壮な表情で、その流れが合流すれば異様な空気が発生した。
ゼフェルの後継軍の武器調達人たちは、もはや覆いで隠すこともせず、荷車いっぱいの矢を運んでいた。市民の一人は道ゆく一群を見て訝しく思った。明らかに民間人なのに、陸軍の紋章が台尻に刻まれた弩を手にしていたからだ。
後継軍の食料調達人たちは、今も任務を遂行中だった。彼らは偽の命令書を手に大胆にも陸軍の事務所や兵舎と接触し、食糧を自分たちの懐へと移動させていたのである。その日彼らは、弩で武装した同志たちが街路を往くのとすれ違うまで、異変を知らなかった。
不規則な巡行を繰り返す太陽が昇ったとき、巡回を交代した陸軍の分隊の軍曹は、何も異常を感じなかった。憂鬱で、一瞬後には全てが破断する予感――金属疲労が音もなく進行し、ある日装置の全てが動かなくなるように――世界が全く駄目になってしまう予感の中を、決められた手順通りに警邏していた。
公園にたどり着いた分隊は、思わぬ光景を目にした。公園の掲揚柱から紺色の旗がするすると上り、粉雪混じりの強風にたなびいたのだ。それは平和の灯、ゼフェルの後継軍の旗印だった。
ある市民は、旗を掲揚を止めようとした保安局員が、後継軍の一員に弩を突きつけられるのを見た。局員は両手を上げて降伏した。
そのとき既に、都の保安局本部はゼフェルの後継軍の手に落ちていた。保安局長は昼食を控えていた。執務室で星獣祭のパレードの順路と保安部隊の配置図を確認しながら、ニシンの酢漬けを挟んだパンが届くのを待っていた。やがていつも通りに
「降伏してください、局長。この保安局本部は既に我らゼフェルの後継軍のものです」
都のいたるところで日輪連盟の旗が下されていった。憲兵隊宿舎では、同僚に剣を向けられた憲兵が、青ざめて、抵抗することなく両手を上げていた。
そうしたことは全て静かに行われていった。憲兵隊宿舎の反乱の報が都中央の憲兵隊本部指揮所に届くことはなかった。
「警邏の分隊がまだ指揮所前を通過しておりません、少佐」
憲兵隊イルメ・リエルト中尉の緊迫した声に、囚人護送用馬車が外側から閂をかけられる様子を見守っていたアナテス少佐は部下を振り向いた。
「それがどうした? 連中の遅延などいつものことだろう」
「それはそうですが、予定の時刻より三十分も遅れるのは異例のことですので」イルメはまだこの世界の時計を信じていた。「嫌な予感がするのです」
「どうせまた婆さんの荷物運びを手伝ったり、迷い猫を探したりしているのだろう。子供のおもちゃが木に引っかかっていたという理由で巡回を遅らせるような連中だからな」
「そうだといいのですが」
「行くぞ」
アナテス少佐もリエルト中尉も、間もなく部下たちが自分に剣を向けることなど知る由もなかった。
プリシラ・ホーリーバーチ少尉の都北部への移送は、こうした状況下で始められた。