我々に救援のあてはない
文字数 3,074文字
捕獲したソラート艦を
「陸についたらどうする?」
船室に戻り、リアンセがいないのをいいことに、この後の行動について二人の仲間に相談してみた。
「まず宿を探しましょう」
と、アエリエ。
「神殿に泊めてもらえばいい」
テスがそういうのは、アエリエがヨリスタルジェニカの神官各位宛の手紙をしたためたからだ。
「すぐに読んでもらえるとは限らないさ。海戦の事後処理があるし、セレテス子爵のときとは勝手が違う」
ミスリルは結論した。
「まず俺が手紙を持って行くよ。その間にテスが『月』を持って、アエリエが宿を探してくれ」
※
リアンセの目の前で、白い大きな扉がゆっくり開かれていく。扉の向こうから廊下へと流れてくる空気は温かく、先刻まで詰めていた神官たちの熱気がまだ残っているようだった。
リアンセは目に力を込めて、唇を結んでいた。
この先に待ち構えているのは幼馴染と愛する実の姉。だが今は、ヨリスタルジェニカの正位神官将と正位神官将夫人だ。立場が違う。
扉が開ききり、中の様子が明らかになった。
七百年前の築城技術で建てられた神殿の大会議室は、壁の二面に巨大なアーチ窓が並んでいた。片側は海を望み、片側はレモン畑を望み、陽光を十分に取り込んで、申し分なく明るかった。
議長席に座る男が立ち上がった。リアンセの目は自然とこの部屋にもう一人いるはずの人物を探す。その人物は、今開いた扉の陰にいた。
「リアンセ。久しぶりねぇ」
姉の優しい声に会い、緊張も、口の中に用意していた格式ばった挨拶も、ほどけて消えてしまった。
「姉さん!」
大会議室に足を踏み入れ、腕を広げた。ロザリア・ライトアローは扉を閉めもせず、
ロザリアは美しかった。スミレ色の髪は複雑に編み込んで肩の上でまとめている。シニョンを特産のサンゴが飾り、華を添えていた。顎は細く、頬骨が少し出ているが、それすら全体の調和を整えるのに不可欠な部分であり、リアンセと同じ金色の瞳から放たれる光は温かかった。
「二年ぶりであるな」
正位神官将シンクルスが、ロザリアに代わって扉を閉ざし、優しさと深みのある声で語りかけてきた。ラピスラズリを思わせる瑠璃色の髪と瞳はライトアロー家の直系の証。だが、それがなくとも顔つきや
「シンクルス……って呼んでいいかしら」
「ああ、我々だけのときは構わぬ」
リアンセはロザリアの体から腕を離し、幼馴染に微笑みかけた。
「シンクルス、圧勝だったわね。あのとき先に海峡を抜けた船に乗っていたの。ソラートの奴らはいいざまよ」
「ソラート艦隊はあの辺りの海域を散々荒らしていたのだ。お灸をすえるには良い頃合いであった。それにしても三位神官将を捕虜にできようとは!」朗らかに言い放ち、高笑いをした。「身代金のことを考えるだけで笑いが止まらぬ」
「あら、それは嬉しいわね」
だが、夫を見守るロザリアの微笑にどこか憂いがあることに、リアンセは気付いていた。アーチ型の窓に寄るシンクルスの笑いも徐々にしぼんでいく。
「ところがリアンセ、俺がタルジェン島の港から船を出す二日前のことであった」
「ええ。何があったの」
「シオネビュラ神官団から使者が来て、三位神官将ニコシア・コールディー殿のご意向を伝えられた。ソラートの要人を捕らえることがあれば、一月前にソラート艦隊に捕縛されたシオネビュラの造船技師の身柄と引き換えにしてほしい、と。ヨリスタルジェニカがシオネビュラのお庭番になった覚えはないのだが……」
「シオネビュラはソラート艦隊の海賊行為の取り締まりに、何か協力を?」
「何もしておらぬ。するつもりもあるまい。」
シンクルスの目線の先、空と溶け合うほど青く澄んだ海には、いくつもの船が浮いていた。
「この海域の有人島を行き交う連絡船は今のところみな無事だ。ただ本土との往来があの通り危険で、物価が高騰の兆しを見せはじめている。水夫や傭兵の雇い値はシオネビュラが吊り上げており、我々に救援のあてはない」
「それじゃあシオネビュラに助力を願うことはできなさそうね」
「それどころか、通商条約を盾にシオネビュラ防衛のための艦隊を派遣するよう迫られているのが現状だ」
シンクルスは窓の向こうに目を向けたまま話を続けた。
「リジェク・北ルナリア両市との会戦が近く、シオネビュラ攻囲には海側からソラート神官団をはじめとする海軍力も加わる見通しだ。もしシオネビュラに艦隊を派遣すれば、その地で居留地のタルジェン島民を守れるのはヨリスタルジェニカの艦隊だけとなる。見捨てて逃げるなど道義上許されぬゆえ、嫌でもシオネビュラ防衛に加わることとなろう」
姉夫婦の憂鬱を理解して、リアンセは同情を込めて頷いた。
「
「日輪連盟から挑戦を受けているのは我々も同じなのだ。だがシオネビュラは自分の利益しか考えておらぬ」
誰かが大会議室の扉を素早くノックした。現れたのは、リアンセも顔を知っている老いた二位神官将だった。
「
黙礼してリアンセとロザリアの前を通り過ぎ、二位神官将はシンクルスの耳に何かを囁いた。
「……まことか」
いかにも、そう言わずにはいられなかったとばかりに口走る。
「わかった。すぐに向かおう」
二位神官将が一言もなく退室すると、シンクルスは窓に背を向けて、まっすぐリアンセを見据えた。
「そなたをここに遣わした方から『月』については聞いておろう」
リアンセは緊張から姿勢を正した。
「ええ」
「ロザリア、例の書状をリアンセに」
鍵つきの書棚へと歩いて行き、ロザリアは一通の封筒を手に戻ってきた。宛名はないが、蝋で閉じられ、ダーシェルナキ家のヤマネコの紋様の封印がされていた。
「これは?」
「第一公女シルヴェリア殿下より、この神殿に『月』が持ち込まれた場合、そなたに渡すようにとの
「じゃあ――」
「同じ船団だったようであるな」
それだけ言い残し、シンクルスは出て行った。
開封された手紙には、シルヴェリアらしく必要なことだけが簡潔に書かれていた。
六年前に、ゼラ・セレテスによってグロリアナで行われた
『万一タルジェン島陥落の際には――』
続く文面に、リアンセは右手で口を覆った。
ちょうど手紙を読み終える頃、シンクルスはコブレンからの客人が待つ控え室にたどり着いた。先の二位神官将同様、素早くノックし返事を待たずに扉を開く。
正位神官将の入室を受け、ミスリルはソファから立ち上がった。
こうして二人は邂逅した。