星獣戦(2)
文字数 3,324文字
人が居住する区域にたどり着いた。第二橋脚は手を伸ばせば届くかというほど圧倒的な存在感でそびえているにも関わらず、眼前に横たわる道は長い。
昼下がりと呼べる時刻に、旅人たちのための休憩所を見つけて昼食をとった。食後、三十分の休憩をアズが許した。レミは食事を終えると窓の近くに座り込み、壁にもたれて眠った。
物音で目を覚ますと、張り出し窓の枠にトビィが足を伸ばして座り、包みをほどいてチーズを切っていた。休憩中には武器を用意しておくように、とのアズの指示ゆえに、床には月牙が横たわっている。レミが見つめていると、視線に気付いて目を上げ、微笑みかけた。
「レミもだいぶお疲れだね」
座り込んだまま両腕を伸ばし、返事をする。
「そんなことないよ。こうやってちょくちょく休んでるわけだし」
「時間の使い方が上手いのはいいことだよ。おいで。チーズを買ったんだ。ちょっと多いから一緒に食べようね」
「ありがとう」
微笑み返し、トビィが足をどけて作った空間に腰をかけた。トビィはまずレミに一かけら切って渡し、期待を込めて見上げる赤目にも切れ端を与える。自分の分を切り分け、残りを包んだ。
「あとはアズに取っておこうね」
天気は薄曇りとなり、鋭さを失った陽光が都市を包み込んでいた。地上では兵士の訓練が行われているようで、男たちの群れが放つ掛け声と馬のいななきが、道路の上にまで聞こえていた。
「戦争が始まるんだね」
トビィはただ頷いた。
「物価が高くなるよ」
「そうだね」
「徴兵が始まると、コブレンから人が減って……」
代わりに、殺し屋たちの仕事が増える。
「それは俺たちにはどうしようもないよ」
レミは不安を抑え、頷いた。チーズをよく噛み、気持ちを切り替える。のみ込んだ。
「そういえばアズはどこに行ったの?」
「パンジェニーと一緒に周囲の様子を見に行ったよ」
「あの女と?」レミは眉をひそめた。「大丈夫かな」
「アズなら心配ないよ」トビィは窓の外に目を向けた。「でもちょっと遅いね。そろそろ時間じゃ……」
群衆の声が
家を踏み潰すかの如き轟音。
視線をかわし、レミとトビィは同時に窓に手をかけた。順に二階から道路へ飛び降りて走る。二人の後を、一階の出入り口から出てきた赤目が追いかけた。
道の端を逃げて来る人々がいた。それを辿った先では、打ち壊された出店が道に散乱していた。廃材の支柱と屋根代わりの朝布と、店ごと薙ぎ払われたベーグルや陶芸品。
破壊の規模からして人ひとりの仕業ではない。かといって暴徒の声がするわけでもない。
ならば星獣の仕業だ。
「トビィ!」
途中で追い抜かれたレミは、広い背中に向けて叫んだ。
「私は星獣使いを探す。アズをお願い!」
トビィは口を開かず、右手を挙げて応じた。転がる鍋を飛び越える。
それよりも、トビィの視界の先には蠢く影がある。
小屋ほどの大きさに見えたそれは、土煙を泳ぐように迫れば
「来るな!」
悲痛なほど真剣に、アズが叫んだ。アズは星獣の足もとにいた。鶏の足が上がる。踏みつぶそうと振り下ろされたその足をアズが回避し、入れ違いにトビィが飛び出した。
足の黄色さが視界を埋めた。
月牙を振るい、斜めに繰り出す。
「アズさあ」
槍の穂が蹴爪の付け根に突き刺さる。反対の足に赤目が噛みついた。
「来ないわけないじゃん!?」
同じ頃、レミは一人めの星獣使いを見つけた。黒衣の歌流民で、破壊を免れた出店の間に立ち、歌っていた。女だ。
出店と道路の壁の隙間にレミは入り込んだ。駆け寄りながら腰帯から鎖を引っ張り出す。レミの腕と同じ長さに切られたその鎖こそは暗殺向きの武器だった。二本一組で携行するのだが、一本でいけると判断する。右手に握る鎖の端には、狙いをつけやすくするための
狭い隙間を抜け、歌流民の背後に飛び出すと、首をめがけて鎖を繰り出した。鎖は正確に獲物を捕らえ、錘の重さで四重、五重に巻きついた。
引き寄せる。
鎖を肩に負う姿勢を取ると、獲物の頭が背中にあたり、その動きが直接レミの肌に伝わってきた。歌流民は歌うときにしか声を出さないと言われる。今、その歌流民は自分の体の重みで首を締められながら、もがき、喉から声を絞り出そうと音を立てていた。
両膝をつき、一層きつく締め上げる。
抵抗がやんで一分以上もしてから力を抜いた。鎖を解くべく殺した相手と向かいあい、その見開かれた両目、大きく開いた口を見て、
「天球よ、願わくは
祈りの言葉を切る。
その表情は死にゆく者の苦悶ではなかった。
狂乱の笑みであった。
首を絞められながら笑っていたのだ。
レミは軽く頭を振る。
「――魂を
一方のアズとトビィは、星獣を
体を傾けた星獣は、初めて体の右側面で燃え盛る火に気がついたようだ。
星獣を包む板壁は、霧で湿っているはずだったが、それでも火柱から赤い火が移った。火は板材から水気を追い出しながら大きくなっていく。
それを見届けるや、アズは振り向きながら左手の半月刀を投げた。
家々の隙間から半ば身を乗り出していた男の肩口に刺さる。
叫び、腰を屈めるへとアズは声を投げた。
「歌われては困るな」
星獣は鳴かない。星獣は叫ばない。開いた黄色の嘴から音が漏れてくる。火の爆ぜる音にかき消されがちな、風にそよぐ草の音。この鶏が生きていた場所の音。
「クソッ!」半月刀を抜こうとしながら男はよたよた走り出し、痛みに負けて膝を屈した。「お前らは――昨日と同じだ、こんな」
「あははっ!」
トビィの月牙が男の首を切り裂いた。その瞬間のトビィの笑みは、兄弟弟子や仲間に対するものとはあまりにも違う。敵を殺すよう育てられた、暗殺者の冷酷な笑みだった。
「結果も同じとかウケますね」
その間近では、レミが最後の歌い手を絞め殺していた。
操り手を
アズの耳に歌が届く。振り返れば、歌い手はレミだった。星獣を
身を焼かれながら、星獣はレミの歌に聞き従い、うずくまって動きを止めていた。その苦痛を終わらせるべく、屋根から翼の間へ飛び降りる。
羽根のない体は高い弾性を持っていた。狙う窪みに着地し、同時に膝をついて安定を得る。
半月刀をかざした。
「トビィ!」
兄弟が頷き返すのを見て、半月刀を首の付け根に突き立てた。
ほとんど同時にトビィが槍で胸を突く。
傷跡から記憶が噴き出した。この星獣が鶏だった頃に見たはずの、鳥の目に映る無数の色は、しかし人間の目には人間に認知可能な乏しい色に置き換えられ、すぐに黒に変じる。色彩が死に、輪郭が死ぬ。
星獣が黒い砂となって崩壊し、アズは道路に飛び降りた。