なにを知っている?
文字数 2,700文字
「
足を怪我をした民兵はベッドに座って脂汗を流し、むしろ彼と仲がいいらしい別の民兵が半ば錯乱して騒いでいた。民兵たちの部屋は屋敷の奥の使用人部屋で、二人で一部屋を共有している。そこに七人の兵士がぎっしり押しかけているほかに、テスとアエリエもいるのだから、日当たりの悪い部屋は暑苦しいほどだった、
「だから、三回も計算し直して同じ数字になったでしょう?」
呆れるアエリエとベッドの間に立ち、テスは解毒剤を投与する相手の心の準備が調うのを待っていた。
「体重さえ間違ってなければ大丈夫よ」
解毒剤といっても、
「
テスが宣告し、民兵たちが一瞬静まる。それから「大丈夫だ」「お前はついてる」と口々に仲間たちが励ます。薬包紙を口まで運ばれて、民兵は呻いた。
「何がついてるもんか。領主様をこんなところに軟禁させられてよう」
その領主、グロリアナ領ゼラ・セレテス子爵は服を着替えてミスリルと向かい合っていた。質実剛健の家風を反映した応接室は、飾り気がなく、物も少なく、窓を大きくして部屋を精一杯広く見せることで、客に狭苦しさを覚えさせない作りになっていた。
「土臭くて驚いただろう」
王領風の、背もたれがなく脚の短い、座面の広いソファに掛けたゼラが衣服の襟もとを緩めた。見たところさして上等の仕立てでもなく、コブレンの成功した商人や実業家のほうがよほど良い生地の服を着ているくらいだった。
「セレテス家には晴耕雨読の人間が多くてな。お
ミスリルは逆に襟をただし、まっすぐ伸ばした背を倒すように、座ったまま礼をした。
「セレテス子爵におかれましては、六年前の
「治水に関しては、工事士を都から格安で
領民にさほどの税を課さずしての治水工事を成功させたのは、ゼラが弱冠十九歳のときだという。
「難儀なのは兵のほうでな」ゼラは、これまた王領風の持ち手のない湯呑みを茶托ごと持ち上げ茶を啜った。「私があれをすると言えば、我が弟はこれをするという。あれでは気も休まるまい」
小卓の上にはグザリアからの親書が丁寧に置かれていた。ゼラはその横に湯呑みを戻した。
「それにしても、コブレンに民兵を送り込み罪のない市民に怪我をさせたとのこと、更にはそれを知りもせず無礼な出迎えをしてしまったこと、全て私の不徳のいたすところだ。誠に申し訳ない」
「とんでもございません」
民兵に怪我を負わせたことを、ミスリルは再度謝罪した。
「それで、『月』のことですが」
ゼラの顔に緊張が張り付いた。
「あの二人の人物の持ち物、とりわけ星獣に及ぼす影響についてご教示ください」
「あれがどこから来たどういうものなのか、私も知らない。ただ『それ』がここグロリアナ領を通過し、今もさる神官団が探し回っていることは知っている」
シオネビュラ神官団のことか。
でなければ、地理的に、リジェク市を含む北部ルナリア一帯を
たとえ聖遺物が盗み出されたという方便が偽りだとしても、現にシオネビュラからはるばる二位神官将補がコブレンまで
ミスリルはゆっくり息をし、気を落ち着かせた。
シオネビュラは強大で、グロリアナ領の隣のリジェクはシオネビュラを目の
「神官団だけではないはずです」不遇な領主の心にじっくり浸透するように、重々しく言った。「あのような『やんごとなき姫君』が無防備な状態で野に放たれれば、なんとしても見つけ出したいのが親心でございましょう」
親心があろうがなかろうが、リレーネというあの娘は――正確には、彼女たちが持つ『月』は――必ず争いの火種を撒き散らす。北方領総督の娘であるとの見立てが正しければ、その父はなんとしても娘を取り戻さぬわけにはいくまい。
ゼラは冷静を保っているが、両膝の上の指がぴくりと引きつった。
「……何を知っている?」
「我々は、何も」
無言のうちに見つめ合い、両者は視線の力で互いを圧迫しようとした。コマドリの争いあう声が、窓の外でのどかに響いていた。
「あなた方自警団の存在意義は、コブレン市内の治安を維持する活動であろう」
「はい」
「我々はあなた方とよい関係でいられることを望んでいる」
つまり、無関係でいられることをだ。
「はい。ですがもし星獣その他の言語生命体の生物種に悪影響を及ぼす存在が近隣で野放しになっているのでしたら、放置はできません。ましてそれを知りながら星獣を市内に連れ込む者がいては」
「子爵代行兼ソレリア民兵団総指揮官テオ・セレテスは私が抑えておこう」不意に殺気にも近い気迫がゼラの目を覆った。「二度とコブレンには近付けん。それでよろしいか?」
「お言葉通りになることを」
それ以上話しても、大した収穫は得られなかった。ミスリルは早々に見切りをつけ、仲間を連れて騾馬を
客の去ったセレテス邸の奥の窓から一羽の鳩が飛び立った。鳩はその白い体いっぱいに太陽の光を浴びて、青々とした北部ルナリア山脈の方角へ飛び去っていく。
鳩を放った民兵の手は、窓を閉め、鍵をすると、嘆かわしげに口を覆った。
「堪忍してください、領主様」手に隠れて口が動いた。「こっちは家族を