さだめの時は近く
文字数 2,210文字
「ジジイと孫だ」
コブレンの城門に立つ伍長は、都で特別に発行された二つの旅券を
「通してやれ」
旅券がそれぞれオーサー師とレンヌに返される。コブレン自警団の武術師範と見習い少女の、コブレンへの
「ま、入城するのは自由だが、コブレンはまた戦場になるぜ?」
「どういうことだ?」
オーサー師に伍長は答えて言った。
「トレブ地方の三都市から月環同盟が反撃に出ている」
南トレブレン、中トレブレン、北トレブレンの三都市だ。
「トレブレン–コブレン間道路を行軍中だ。孫を連れて逃げるなら今のうちだぜ?」
オーサー師は首を横に振った。
「息子たちがいるのでな」
「そうかい」
「入出門の受付はいつまで行うつもりだ?」
「今日までだ」
伍長は歯を剥き出しにして笑ったが、その表情は威嚇しているようにも見えた。
「あんたたち、運が良かったか、とんでもなく不運かのどっちかだぜ」
※
誰かが背後に立った。直後、呼ばれた。
「オーサー師」
反射的にレンヌは前方を警戒し、オーサー師はレンヌの背を庇いながら振り向いた。
そこに半ば予期していた二人、いいや、そうであればいいと願っていた二人が立っていた。オーサー師の一番弟子と二番弟子、双子のアズとトビィが。
ようやく後ろを振り向いて、雪あかりに照らされる二人を目にしたレンヌが兄弟子たちのもとに駆けつけた。
「アズ兄さん! トビィ兄さん!」
腕を大きく広げて抱きついてきた妹弟子を、二人は左右から抱きしめて、トビィが微笑みながら
「レンヌ、しーっ」
「もう会えないかと思ってた」
「心配かけてごめんね。よくここに戻ってきたね」
『我々が戻ってくることを知っていたのか』
オーサー師は歩み寄り、唇の動きだけで尋ねた。トビィが同じように唇で返す。
『星獣を始末して以来、入門所に張り付いていたんですよ。誰かが来ると思いまして』
次はアズ。
『隠れ家に案内します。風雪を凌げるだけの場所ですが』
こうして四人は、当面の活動拠点となる廃屋に入っていった。煙や明かりが漏れてはいけないため、火は使えない。近くの牛小屋から持ち込んだ干し草と、ありったけかき集めた布だけが寒さを凌ぐ術だった。
「レンヌ、今から俺たちがする話をよく聞いておくんだ。オーサー師に何かあった場合、レンヌが一人で団長のもとまで情報を持ち帰らなければならない」
「うん、アズ兄さん」
干し草を敷き詰めた床に座り込み、四人は寒さに身を寄せ合いながら情報を交換した。
オーサー師は、今からでっち上げの対象とするコブレン最大の暗殺者組織『タターリス』の動向を知らなければならなかった。
「タターリスなら、コブレン自警団に成り代わろうとしていますよ」トビィは答えて言った。「日輪連盟の監視のもと、イメージ向上に躍起になっています。飢えた市民への炊き出し、物資や金銭の貸与。ま、後でどれだけ取り立てるつもりかわかりませんけどね」
市内の状況について要点を確認した後、オーサー師は尋ねた。
「何故レミたちと接触しない?」
答えは明瞭。トビィは微笑んだ。
「レミにつらい二度めの別れを経験させたくありません」
「どういうことだ」
トビィは羊毛の上着を脱ぎ、着ている服をたくし上げた。
「こういうことですよ」
アズが、チュニックの懐から天籃石を取り出して、トビィの胸に近付けた。レンヌが息を呑む。
鎖国の下から腹部まで、肌が黒く変色していた。
「トビィは肺に矢を受けました」
天籃石をしまい、再び闇となった廃屋でアズが説明した。
「致命傷です。ですが、私が見つけ出したとき、トビィにはまだ息があった」
「アズ、お前の肌は……」
「私の侵蝕状況は、トビィより深刻です。ですが大差ないと言っていいでしょう」
アズは左手で拳を握りしめた。
「私はトビィの傷口に、私の黒く変色した肌を切って貼り付けました。胸や足に」
「俺の脚はもうほとんど真っ黒ですよ」
アズの右手は服の胸を握りしめる。
「この肌は人間を星獣のなり損ないに変化させる。その変化は歌によって進行します」
「星獣兵器を破壊した歌」トビィが言う。「アズが俺を生き長らえさせた方法によって、俺は人に似た人ではないものになりました。歌への感性も、歌の威力ももはや以前とは違う。もしもう一度コブレンを歌が覆うことになれば、いよいよ俺たち兄弟は人のままでいられなくなるでしょうね」
「そんなの嫌だよ、トビィ兄さん」
「ごめんねレンヌ。つらいよね。でもこれ、事実なんだ」
レンヌはトビィの左腕にしがみつき、頬を寄せた。
かと思うと、立ち上がり、半ば強引にアズとトビィの間に割り込んできた。トビィが笑う。
「なになに、どうしたの?」
「ねぇ、今日は兄さんたちの間で寝てもいい?」
「あれ? レンヌはまだ添い寝が必要な歳だったかな?」
「トビィ、意地悪を言ってやるな。残された時間は短いんだ」
その言葉で空気が張り詰める。
沈黙をほぐすように、オーサー師はがらにもなく優しい声で言った。
「すべてに時がある」唇は重かった。「さだめの時に死ぬがいい、トビアス、アザリアスよ」
「せめて俺たちの死が誰かを生かすものであればいいのだけど」
トビィは微笑みながら首を振る。
「俺たちは、何と戦えば世界の異変を止められるのかさえ知らないんだよね」
夜が彼らに頭上からのしかかっていた。