攻城戦/コブレンの戦い
文字数 3,352文字
第二城壁が開放され、その外の区画の住民たちが橋を渡って押し寄せてきた。第二城壁内の通りが人で溢れかえると、門は閉じ、橋は上げられた。城塔は固く閉ざされた。城壁の上には、油の臭いのする柴が、束にして積み上げられていた。束の向こうには兵士たちの頭部が僅かに見えた。
カーラーンが徴収した市民兵は、第二城壁のすぐ内側の家々に配置されているという情報を、自警団員たちは手に入れた。自警団本部の一階が、病人や妊婦、老人といった庇護を必要とする人々のために開放され、その人たちから聞いたのだった。
エーデリア・ハラムは〈タターリス〉本部の屋根の上に膝を立てて座り、忌々しげに舌打ちした。頭の中では、この馬鹿騒ぎが終わったら、自警団の連中にどう落とし前をつけさせようかと考えていた。コブレン自警団は、団員の殺害と死体遺棄を口実に――でっちあげだ――リジェクの薬物商や星獣商、歌流民のいくつかの氏族と接点のある下流の暗殺者たちを拉致した。生きて帰ってくるとは思っていない。雑魚どもが何人死のうが殺されようがエーデリアの知ったことではないのだが、その雑魚どもをコブレンで統率しているのが誰なのか、いい加減思い知らせたほうがいい。
「手引きする奴が出て来るんじゃ?」
口をすぼめて見張りに立つ少女、妹分のアリーが囁いた。
「夜になったら城門の閂を内側から開けるんだ。ありそうだよ」
まさに十四歳の少女の予想通りのことをしようと企てている者たちが、いかにも取り残された
「なあ、俺たち本当に星獣がもらえるんだよな」
そんなことを露知らず、エーデリアは妹分に答えた。
「そいつらはバカを見るね。報酬を約束されたんだろうけど、なんで生きて受け取れると思うのかしら」
※
「攻囲軍があれほど星獣を使いこなせるなら、コブレンは
俺は何を見たんだ。
アトリウムから吹き抜けの階段を上がり、扉を抜けて温室に入ったアズは、古い時代の厚いガラスが入った窓に寄りかかり、額をつけ、その冷たさで気を鎮めようとした。日光を避けて目を閉じた。先の戦いの光景は瞼に焼き付いている。咄嗟に目をそらしたその光景を精査し始めた。
俺は何を見たんだ。駆け抜ける赤い色彩。あれは剣の脚と
いいや。
原型は人間か?
北方領の若き士官パンジェニー・ロクシは、自警団員に混じって保護が必要な人を自警団に連れて来るよう街路で呼びかけながら、自分の数奇な運命を他人事のように思い返していた。
私、こんな所で何やってんだろ?
※
昼過ぎ、小雪がちらつき始めた。保安局、鍛冶場、陶房、製紙場、洗濯場、教会堂などが、家を捨てて第二城壁内に避難してきた人々を受け入れた。怪我人はなく、病人は優先的に保護されたが、問題は寒さだ。昼過ぎの現時点でまだ路上にいる人々は、雪の中で夜を過ごすことになる。
人々は静まり、不機嫌で、
黒いマントを着て動き回る一員、コブレン自警団のジェスティは、薄暗いアトリウムを所在なくうろつく痩せた老婦人に呼びかけられた。
「お嬢さん」
ジェスティは驚いた。老婦人は目に鋭い悲しみを宿しているにも関わらず、ほとんど宗教的な恍惚と平静が、彼女を微笑ませていたからだった。ジェスティは腰を屈め、視線を受け止めながら尋ねた。
「はい。お困りでしょうか」
「私の息子は、さっき、城門の外で死にました」
微笑んだまま凍りつくジェスティに、婦人は続けた。
「兵士としてこの街に帰ってきて、駐屯していたのですが、閉まる落とし戸に間に合わず、殺されたそうです」
あの子は街を守ったのです、と婦人は締めくくった。
ある一家は自宅に宿営していた兵士の無事を祈って第二城壁を見つめていたが、別の一家は家を貸した兵士の持ち物を忌々しげに燃やした。普段いがみあっている二人の男が、手を貸しあって一つの避難所を統率し始めた。少女が猫を探し、母親が少女を探した。誰かが倉庫街から駆けつけて叫んだ。「穀倉が
自警団の見張りは、第一城壁の小さな門が二度開閉するのを見た。一度は使者を迎え入れるためで、二度目は使者を送り出すためだった。和睦はならなかった。
兵士達は、空の明るいうちから夜警の準備を始めた。非番時に詰所を離れた者は斬首するとの通告が、市民の耳にも聞こえるほどしつこく流された。ほうぼうの辻や広場で火が焚かれ、屋根を得られなかった市民が集い、気が立った兵士に追い散らされては口論となった。口論は日が進むほど多く、そして激しくなったが、完全に日が暮れると収まった。
深夜、仮眠を取る前に、アズはもう一度自警団本部の屋根に登った。全ての屋根がうっすらと雪をかぶっていた。空は一時的に晴れ、天球儀と半月の光を地上の雪が照り返し、第一城壁の向こうに点在する十六体の星獣の体を色とりどりに輝かせていた。星獣の硬い体のきらめきは、むしろ周囲の闇を深め、人間の姿を隠していた。だが、誰かが星獣たちに指示を出し。第一城壁に襲いかからせた。
※
屋根の上は暗殺者たちの主戦場の一つである。そこから軍隊の戦争を観戦すれば、勝手知ったるコブレンは、全く見たことのない顔を見せた。
アズは夜闇に目を凝らした。
第一城壁の内側は普段は水堀となっているのだが、今は水を抜いた
アズは事実を受け入れる。ここにはミスリルも、アエリエも、テスもいないのだと。奇妙に悔しかった。
何気なく眺めていたグザリアの顔に驚愕が現れた。彼と同じものを見ようとして、アズは第一城壁へ目を戻した。
ついぞ、恐れていたものが見えた。
燐光。
銀の燐光。
城壁の上の水の玉に見えたそれは、目を凝らせば蛙の吸盤。北ルナリアで出会ったものと同じかと思われた。兵士たちは剣で斬りつけ、弓で打ち、盾で殴りつけた。それでも星獣は、皮膚の固さに反して柔軟な動きで体を持ち上げた。
姿を現したそれは、確かに脚こそ蛙だったが、他の部分は違った。
兵たちが仰け反り、尻餅をつく。
その体が何の生き物か、アズは図鑑で見て知っていた。
象だ。
更に目を凝らす。
長い鼻。
真紅の光は恐らく目。
牙の周囲のきらめきの正体が見えてきた。牙が無数に枝分かれし、
星獣の体の細部を、第二城壁の兵士たちは間近で見た。
真紅の両目は憤怒の二等辺三角形。その目の動く紋様は炎の意匠。牙に実る銀の珠は、それぞれが口を開け、人間の歯と舌を見せて、チャイムと鉄琴の中間のような音声で象牙の歌った。
「駄目だ」
屋根の上の自警団員たちは、発言したグザリアに注目した。
「陥落する」
悲鳴の波が押し寄せた。第一城壁に乗り上げた星獣が、鼻を一閃したのだ。兵は城壁を転げ落ち、または、一撃で胸の骨を砕かれ倒れた。そして、巨体の下敷きになった。星獣は蛙の脚を用いて、第一城壁の内側へ下りていった。