今日はとってもついてる日
文字数 2,185文字
マナは今、肩の高さでがっちり組まれたミサヤとアエリエの手に足を置いていた。両手を柵の上に伸ばす。
指先が微妙に届かない。
「跳んで! 構わないから!」
アエリエに言われ、マナは左手で柵を握りながら膝を曲げた。足の裏に成人二人の腕の震えが伝わってくる。
「行くよ」
声をかけ、その手を蹴る。飛び上がった
マナは柵の
柵の外側ではアエリエたちが心配そうに見上げており、内側は硬い石畳の上り坂。
飛び降りるしかない。
「ゾレア」
ミサヤの声を聞きながら、右手を鉄柵の縦棒に移す。
「次は君だ」
ゾレアは不安げな表情でマナを見守っていた。マナは算段する。縦棒を使えば足を痛めずに済みそうだが、掌を痛めそうだ。
いいことを思いついた。
「アエリエ、上着を貸して!」
アエリエは何も言わずにジャケットを脱いだ。投げて渡されたジャケットを受け取ると、鉄柵に巻きつけて、その上から強い力で縦棒を握った。
ゾレアもマナと同じ要領で降りてきた。次はアエリエだ。
柵越しに、槍をマナに持たせる。
少し離れ、助走をつけて柵に飛びかかる。
両手を補助的に使いながら垂直の柵を蹴り上がり、すぐ天辺にたどり着くと、動きを止めずに反対側へ飛び降りて、転がりながら着地した。
男の声が飛んできた。
「動くな!」
さっきの騎兵たちだ。道の左右から来る。ゾレアに祈るような目で見つめられながら、ミサヤは両手を柵で掴んだ。その手を支えに両足で柵を蹴りながら上ってくるが、さすがにアエリエほど機敏ではない。
道の右側からくる騎兵が弩を向けた。
それを止めるのは左側から来る騎兵。
「やめろ! 殺すな!」
柵を握りしめながら、ミサヤの足は柵を蹴り続けた。
「急いで!」
たまりかねてマナが叫ぶ。二人の騎兵はたちまちミサヤのもとにたどり着き、馬の上から彼女の足に腕を伸ばした。
同じタイミングで、ミサヤが柵の天辺に体を引き上げる。
騎兵の指が宙を泳いだ。ミサヤはアエリエの隣に落下した。しかしさすがは武人である。受け身を取っていた。アエリエは柵越しに槍を使わずに済んで安堵していた。無駄な殺しをしたくないだけでない。神官兵を一人でも殺せば、レグロを本格的に敵に回すことになる。
「そっちに逃げても無駄だぞ!」
負け惜しみを言う兵をよそに、四人は坂を駆け上り始めた。
彼らは足を射ようとしない。
つまり、恐らく本当に、逃げても無駄になる公算が高い。
この先にもっと多くの神官兵がいるということだ。
まず十秒、走ることだけに集中する。道の左右は木の柵で囲われた葡萄園だ。もちろん今は木々も葉をつけていない。周囲の様子を観察しながら、アエリエは一言。
「収まってきたわね」
市街は静かになりつつあった。
「違う」隣のマナが言う。「星獣の数が減っただけ。異変の原因は何も収まってない」
「何故君にわかる?」
ゾレアの手を引くミサヤの問いに、マナは黙り込んだ。
「……アエリエ、もう一度言わせて」
血が見えた。
視界の先で、細い血の筋が一つ、坂を伝い落ちてくる。
「言って」
槍を握り直しながら、少し後ろを走るマナの言葉に意識を向けた。
「私が
左手首を掴まれた。
必死さが伝わる少女の力で。
「お願い! だから、私を! 何がなんでも死なないように、守って!」
坂の上に人が
「……だったらマナ、私にももう一度言わせてくれる?」
「なに?」
シオネビュラ神官団の衛生兵や医師、看護師たちが、その人たちの間を飛び回っていた。
「あなたのことは!」
マナの手をほどく。
「私が!」
繋ぎ直した。
「絶対に守る!」
前だけを見る。
神官団の兵士たちも、彼らのほうに向かってくるアエリエたちに気付き始めた。
彼らの指揮官が叫んだ。
「構うな! 救護が先だ!」
彼らの頭上、天球儀よりさらに高いところで、予兆もなしに青空が破れ、砕け散り、剥がれ落ちてきた。
※
やたらついている日というのがある。
やらかした仕事のミスを、誰かに見つかる前に証拠隠滅できたり。
滅多にお目にかかれない
日用品が格安で手に入ったり。
突破するつもりだった城門が開いてくれたり。
孤立無援の状況で都合よく協力者と巡り合えたり。
自分たちを追い回す神官兵が、奉仕の精神を発揮して民間人の救護を優先したり。
空が落ちてきたり。
なんなら、世界が終わったり。