抵抗者たち
文字数 2,155文字
弓に必要な物。
大量の矢。矢筒一つにつき五十本。
弓入れ。
射手の指を保護する
それらは今、略奪されてアイオラ・コティーの
「六十人が斉射して四日分」
アイオラは修道院産のワインの樽に荒々しく腰掛けると、白くて狭い額に手を当てた。
「足りない。全然足りてない」
「大量に必要なのは弩のほうだろ? 市街戦じゃ弓は一度に運用できないぜ」
「弩なら足りてるみたいな言い方しないでよ」
仲間のアウィンは気持ちを前向きに保とうとしているが、アイオラは憂鬱だった。陸軍を追われた士官たちが立ち上げた解放軍は、即席の組織ながらも情報部特務機関勤務だったアセル・ロアング中佐――そして、アイオラもその正体を知らない『魚』と呼ばれる人物――を中心にうまく回ってきた。上級将校たちはシオネビュラやミナルタへの働きかけを続け、現にシオネビュラは第四公女ウィーゼルを抱え、反アランドを公然と表明している。だが、いつ都救援に乗り出すかは不明。シオネビュラはいつだって、極限まで意志や方向性を明確に表明しないのだ。
一方の日輪連盟軍はというと、コブレン占拠によって都に至る山側の道路の要所を獲得し、北ルナリア及びリジェクからグロリアナ・コブレンを経由しての輸送を容易にした。シオネビュラを筆頭とするグロリアナ以南の月環同盟諸都市は地理的にほぼ孤立しており、輸送の大部分が海路頼みだ。今は冬。あと一週間もしたら港は閉ざされる。
コブレン陥落によって陸の孤島に閉じ込められたトレブ地方の三都市は籠城に入ったが、持ち堪えるとは誰も思っていない。アイオラもだ。
コブレンよ。コブレンを取り戻せばひっくり返せる。アイオラはため息をつく。でも、どうやって?
レスター街の騒動以降、解放軍という名の神出鬼没の略奪者に対し、陸軍は免疫を獲得しつつあった。あの日以来、ポケットの底の穴から貨幣がこぼれ落ちていくように、解放軍の仲間は一人また一人と命を落としていた。広報部のプリシラ・ホーリーバーチと出会ったときのような大規模な闘争はしばらくするつもりはなかった。守りの時期に入ったのだ。蜂起までは……シオネビュラと足並みを揃えることが可能になるまでは……。
「ホーリーバーチ少尉のこと覚えてるか?」
藪から棒にアウィンが言うので、アイオラは驚きのあまりしばし黙り込んだ。
「ちょうど思い出してたところよ。どうしたの?」
「別に」
アウィンは十枚ずつ積んだ金貨と銀貨と銅貨の前で、椅子の背もたれに体を預けて背と首を仰け反らせた。その姿勢は、椅子に座ったまま胸を刺されて殺された人のようで、アイオラは胸騒ぎを覚えた。
「俺たちが蜂起したら、あいつ市街戦に出てくるかなって思ってさ」
騒動の日、逃げ遅れた人に覆いかぶさって守ろうとしたプリスを、アウィンが助けた。近くの空き家に引きずり込み、何故と問う彼女にこう答えたのだ。
『お前は人を助けた。俺もお前を助けてやるよ』
広報部は前線に立つ部隊ではない。だが何が起きるかわからない混沌こそが市街戦だ。戦いになったら、あの人の良い新任少尉は生き延びられるのか。アイオラは思う。無理、と。
地下室の戸が開いた。アイオラは素早く身構えた。腕を垂らして天井を仰いでいたアウィンも、すぐに姿勢を戻した。
入ってきたのは馴染みの顔だった。赤毛にそばかすのある童顔。ミズルカ・ディン中尉だ。
「エーリカ・ダーシェルナキが帰ってきた」ミズルカは声をひそめ、早口で言った。「出て行ったときより人数が多い」
眉根を寄せてワイン樽から身を乗り出すアイオラを、ミズルカは黙って見つめ返した。
「どういうこと? 出迎えの兵じゃなくて?」
「俺を馬鹿にするな。荷馬車が増えてて……人が入ってるんだと思う。一般的な荷を積んでる音じゃなかったから」
「コブレンからの帰りだろ? 職にあぶれた殺し屋連中でも雇ったのか?」
まさか、とアイオラは笑ってみせたが、アウィンが冗談を言っているとは思わなかった。
「ありがとう。一応、頭に入れておくわ。他には?」
「二つめの報告だが、リグリーとコルを見失った。ゼフェルの後継軍が使ってる屋敷に三日ほど帰って来ていない」
ミズルカにはこのことが気がかりだった。屋敷に忍び込んで盗み聞きしたとき、コルという呼び名で通っている反戦主義の指導者は、日輪連盟の星獣を手に入れたがっていた。星獣祭の日に抗争を仕掛ける恐れがある。
星獣祭初日まで、残すところ二十六日。
「最後に」
一番言いたくないことを口にする。
「噂は本当だった。『暗黒の日』以来…… 」
空が砕け落ちたあの朝のことを、都の人々はそう呼んでいた。
「まともな家畜が生まれてきていないんだ」
痛ましいほど沈鬱な顔をするミズルカに、アイオラは口を開く。いずれ必ずわかることを尋ねた。
「まともな人間は?」
ミズルカは苦しい沈黙を引き延ばした。「まだわからない」の一言が、何故か言えなかったのだ。