罠にかかった鼠(ねずみ)

エピソード文字数 4,892文字

 トゥクース王宮の廊下を歩くロキュス・セディギアの足取りは軽い。
 三回に二回は訪問を断るメテラ姫が、外出の誘いなどは聞いていない振りをするメテラ姫が、今日は庭で待っているとの返事を寄越したのだ。
(金を使って贈り物を続けた甲斐があったな。姫などといってもただの女、ということか)
 
 セディギア当主から直々に秘書の声が掛かったときには、耳を疑った。
 「働きぶりが気に入った」と当主ジェラインは言ったが、自分の家はセディギア家が取り仕切っている交易に、細々と関わらせてもらっている遠縁だ。
 知ってもらえる機会など、あっただろうか。
 不思議ではあるが、これは好機には違いない。逃す手はない。
 ほんの少し前までは話には聞いても、顏を見ることなど許されなかった本家当主だ。それが側仕(そばづか)えに取り立てられ、さらに驚いたことには、王家の姫のお相手まで申しつけられたのだ。
 ジェラインの秘書を務めるようになって以来、一族中の自分を見る目が変わった。
 明らかに変わった。
 
 濃淡のある金褐色の髪を得意気になで上げながら、ロキュスは浮かれながら庭園の遊歩道を進む。
 焚火(たきび)に暖められた東屋(あずまや)の中に、目指す相手の姿が見えた。
「ごきげんよう、メテラ様。…今日はずいぶん、素敵なお姿でいらっしゃいますね」
 当主から相手を命じられたメテラは聞いていた話とは違い、地味で口数の少ない少女だった。
 だが、華やかな空色の宮廷服を着こなして東屋(あずまや)に座っている今日の姿は、清純な一輪の花のようだ。柔らかく羽織った純白の肩掛けが、メテラの上品さを際立たせている。
 髪もこれまでとは違い、優美にゆるく編まれていた。その胡桃(くるみ)色の後れ毛が掛かる大きく開いた胸元は、焚火(たきび)の炎が映るかと思うほど滑らかだ。
 ぼぅっと見とれているロキュスの前で、珍しく紅を引いた可愛らしい唇がわずかな笑みを浮かべる。
 思わずロキュスの(ほほ)が赤らんだ。
「あの、今日はずいぶんお可愛らひ、ゲホン!」
 いつもは思ってもいない()め言葉でさえ、すらすら出てくるというのに。
 しどろもどろになるロキュスにもう一度微笑みながら、メテラは向かい側の席を優雅な手つきで示す。
「…失礼、します…」
 腰掛けたところで手にしていた贈り物に気づき、ロキュスは慌てて小箱を差し出した。
 受け取った小箱を(かたわ)らに置くと、メテラは手づから茶を注いだ。
御付(おつき)の者たちは?」
 ロキュスは落ち着きなく辺りを見回している。
「私自身でおもてなしをしたかったのです。さあ、どうぞ」
 可愛らしい手から茶碗を受け取り、ロキュスは洗練された仕草で口に運んだ。
「いつもの茶とは風味が違いますね。いい香りがします」
「薬草茶です。心を(ほど)き、体を温める効果があるとか。今日も冷えますから」
「ご配慮、いたみいります」
 確かに何口か飲むうちに、体の奥が熱くなっていくような気がした。
 今まで硬い態度だった少女の柔らかい笑顔。花の香りのする茶。
「…悪く、ないですね…」
 つぶやいたロキュスの茶碗に、メテラが茶を注ぎ足す。
「焼き菓子もいかがですか?」
 勧められ、白い陶器に上品に並んだ、きつね色の焼き菓子をロキュスは(つま)まんだ。
 だがロキュスの視線は菓子よりも、それを差し出しているメテラのしなやかな手に奪われていた。
「これまた、不思議な味です。甘くて、ほろ苦い…」
「お口に合いましたか?美味しい物をいただくと、心が素直になりますね。…素直に、望みを口に出しても、よい気がいたします」
 メテラが茶碗に口をつける。
 (なま)めかしくすぼめられるその唇に、ロキュスの目が釘付けになった。
「…望みを、素直に…。メテラ様は、何かお望みのことがおありですか?」
 メテラの唇がくっきりとした笑みを浮かべた。
「自由に、なれたら」
 ロキュスはうっとりとその紅い唇を見つめる。
「メテラ様の願い、セディギア家の力で叶えて差し上げますよ」
「そうですね。セディギア家ほどの名家ならば」
 華やぐ唇から(つむ)がれた言葉にロキュスの顏が輝く。だが続くメテラの一言に、その輝きは瞬時に失われた。
「では、どなたかをご紹介いただけますか?」
「…は?…私も、セディギア一族ですが」
「存じております。ですからご本家筋に近い方を。ロキュス様は…」
 メテラはあからさまに残念そうな顔を作った。
「レーンヴェストと縁を結ぶには、少し…」
「ぶ、無礼なことをっ!」
 ロキュスが乱暴に立ち上がり、その拍子に茶碗が跳ね上がり床に落ちる。
 派手な音を立てて、茶碗が割れ散らばった。
「レーンヴェスト?お前が?知らないだろうっ!お前はレーンヴェストの血など、その身に流れていないんだっ!」
 (こぶし)を震わせ怒鳴るロキュスを、メテラは感情のない平坦な顔で見上げる。
 その手応えのない態度に、ロキュスの(いきどお)りが(あお)り立てられた。
「ふしだらな血を引くお前に情けをかけてやったというのにっ!」
 息を荒げながら近づいてくるロキュスの形相(ぎょうそう)に、メテラが思わず後ずさった。
「逃がすかっ!」
 ロキュスは襲いかかるようにメテラの腕をつかんだ。
「二度と私に、この私に、無礼な口など利けなくしてやるっ!」
 身をよじり(のが)れようとするメテラを押さえ込み、ロキュスは細い体を無理やり自分のほうに向かせようとした。その拍子に宮廷服の胸元が破れる。
 (さら)された白い素肌にロキュスの目がくらむ。焚火(たきび)(あぶ)られた背中が焼けるように熱い。
 のぼせたようなため息をつき、ロキュスがその肌に手を伸ばした。
「そこまでに、して下さい」
 穏やかだが強い声が背後から聞こえ、右首筋に冷たく硬質な物が当たった。
 ロキュスが振り返ると、褐色の肌をした少年が、大きな黒い瞳で見下(みお)ろしている。
「誰だお前は。どこの外道(げどう)だ!誰に剣を向けている!私は…、私はセディギアだぞっ!無礼なっ!」
「無礼はお前だ」
 左の首筋にも刃が当てられた。
「セディギアの末席風情が。王子に対して不敬な!」
 美しい金髪の少年が、紺碧の瞳でにらんでいる。
 首の両側に当てられている刃の感触に冷や汗をかきながらも、ロキュスは怒鳴った。
「ああ、知っているぞ、お前は外道(げどう)の隠し子だ!王子などではないっ!セディギア兵!この無礼なガキどもを切り捨てろっ!」
「セディギア兵ってのは」
 庭の奥から、冷たいほど凛々しい声が近づいて来る。
「こいつらのこと、かねぇ!」
 長い黒髪をひとつに束ねた女性が、両手に引きずった軍服の男たちを東屋(あずまや)に向かって放り投げた。両手両足を拘束されている男たちが(うめ)きながら転がる。
「王宮に家兵を忍ばせるとは穏やかじゃないね。始末はすんだかっ!」
 女性が声を投げた奥庭から、鈍い音とうめき声が間断(かんだん)なく聞こえていた。
 その音が止んでしばらくのち、深紅の髪を高く結った少女が姿を現す。
「数が多かったから、向こうに積み上げてきた。…!」
 縮こまり震えているメテラを見た鮮緑(せんりょく)の瞳が、まるで自分が傷ついたような表情を浮かべた。
「レヴィア」
 紅毛(あかげ)の少女は褐色の少年に、その肩羽織を外すよう身振りで伝える。そして受け取るとメテラに寄り添い、その身を包み込んだ。
「恐ろしかったでしょう、メテラ姫。見事に大役を果たされましたね」
 破かれた胸元を震える(こぶし)で押さえていたメテラが、少女の腕の中で体の力を抜く。そして鮮緑(せんりょく)の瞳を不思議そうに見つめた。
「あなた…」
「お久しぶりです。トカゲです」
 驚くメテラに、アルテミシアが微笑みかける。
「みんなお見事。リズワン、ロキュスの捕縛(ほばく)を」
 リズワンの容赦ない縄を受けながら、東屋(あずまや)に入ってきた人影を見たロキュスの声が上擦(うわず)った。
「クローヴァっ殿下…!」
「僕を知っているの?僕はお前を知らないなあ。ロキュスとやら。妹にしでかした罪、償ってもらうよ」
「あっはははっ!妹ですか!」
 きつく(しば)り上げられながらも、ロキュスは(わら)い声を上げた。
「知らないとはお幸せですね!その女にはレーンヴェストの血など流れていないのですよっ!ふしだらなっ、…!」
 クローヴァが抜き払った剣先が、ロキュスの鼻すれすれに振りかぶられぴたりと止まる。
 寄り目になりながらその刃先を見つめ、ロキュスの口は閉じられた。
「そのようなこと、誰に聞いた」
 クローヴァの瞳が()てついている。
「誰に聞いたのかは知らないけれど、そいつはただの愚か者だ。メテラはレーンヴェストの血を引いているよ。確かに、ヴァーリ王の娘ではない」
 クローヴァの言葉にメテラがうなだれる。
「だがメテラの父親は、陛下の従弟(いとこ)にあたる方だ。僕の大伯母様の息子、デシーロ・タウザー。今は亡き、タウザー家当主の長男だ」
 驚いて顔を上げたメテラに、クローヴァは優しいまなざしで微笑んだ。
「アッスグレン家の令嬢ノエリアと恋仲だったが、事故で命を落とした。その後ノエリアは、その意思に反してレーンヴェストに差し出され、陛下は親友でもあったデシーロの忘れ形見を、喜んでレーンヴェストに迎えたのだ。お前が無体(むたい)を働いてよい存在では決してない。兵士!」
「はっ!」
 黒の覆面(ふくめん)をしたダヴィドが音もなく現れ、クローヴァの横にかしずいた。
「この哀れな男を地下牢へ。セディギアには、“ロキュス殿は体調を崩されたので、王宮で療養させます”と伝えてくれ」
「かしこまりました」
 ダヴィドはロキュスに討たれた縄に手を掛け、芯を失ったような体を持ち上げる。そしてもう抵抗する気力もない青年を、乱暴に引っ張って連れていった。
 褐色の肌の少年と金髪の少年がそれぞれ剣を収める。
「あの…、私…」
 深紅の髪の少女に肩を抱かれ、メテラは自分を囲む少年たちを見上げた。
「ご無沙汰しております。メテラ様」
 金髪の少年がメテラの前に(ひざ)をついた。
「幼いころではありますが、一度お目にかかったことがございます。カリート・タウザーと申します」
貴女(あなた)従弟(いとこ)だよ。父親同士が兄弟だ」
 クローヴァの説明にも、メテラはただ戸惑うばかりだ。
「それから、こちらが僕らの弟」
 褐色の少年の背中を、クローヴァはそっと前に押し出した。
「レヴィア・レーンヴェスト」
「あの、はじめ、まして。…メテラ姉上」
 レヴィアはためらいながらも、メテラから目をそらさずに挨拶をする。
 褐色の肌。黒い髪に黒い瞳。
 可憐な少女のような風貌(ふうぼう)だが、確かにヴァーリ王の面影を感じる。
 国王が下賤(げせん)の者に産ませた子どもがいた、とカーフが言っていた。そしてその子は焼打ちで死んだというのが、使用人たちの(もっぱ)らの(うわさ)だった。
 その存在を無い者とされてきた少年。王宮を留守にしていた家庭教師。
「…カーフが、あなたのところに行っていたのでは?」
 涼やかな可愛い声が、痛ましそうに問いかける。
 レヴィアはこくん、とうなずく。
「意地悪、されたでしょう」
「…姉上、も?」
 二人の(いた)わり合うようなまなざしが交わされた。
「カーフ…」
 クローヴァの声が地の底に沈む。
「二人への仕打ちに対する責任は必ず取らせる。必ず…」
 クローヴァは力一杯その手を握り締めた。
「カリート、アルテミシア、リズワン。僕たちに力を貸してくれるだろうか」
「殿下仰せのままに」
 クローヴァに名を呼ばれた三人はそれぞれトーラ正式の礼を取り、深く頭を下げた。
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