錯綜(さくそう)する策謀 -2-
文字数 2,723文字
イハウ連合国軍に痛撃を与えていたマハディの動きが、突然止まった。
「”退却だ!スライっ、深追いするな!”」
焦りさえ感じさせる太い怒鳴り声に、スライが素早く馬を戻すのと同時に、イハウ兵士が固まっていた場所から、何重もの耳障 りな断末魔が上がり始めた。
「ぎゃあああああ!」
「わぁっ、……ぐがっ……」
「……何だってんだ?」
マハディの声を聞いて、急いで馬を遠ざけたファイズが、悲鳴の上がる方向に目を向けると、イハウ兵がばたばたと倒れてもがいている。
そして。
「なん、だ、ありゃ……」
さすがのラシオンも、声が震えるのを抑えられなかった。
鋭い爪のある大きな足が、倒れたイハウ兵を踏みつけている。
ねちょりとした粘り気のある音とともに、かろうじてまだ息のあった兵士の体が潰れ、血飛沫 が上がった。
生えそろわない羽。
つぶらな緑の瞳と短い足。
大きさはロシュほどもあるのに、雛鳥 の姿をした「イキモノ」がそこにはいた。
「ネェェェェェェェェ」
短く黄色い嘴 が顔いっぱい開かれ、妙に甲高い鳴き声が戦場をつんざく。
羽もまばらな露わな皮膚が、ぬらぬらする液体で覆 われ、光っていた。
「サァァっ!」
「ふがぁっ!」
「イキモノ」が鳴き声を上げるたびに、付近にいる兵士が倒れていく。
入り乱れていた三国の兵士たちは敵も味方も関係なく、その地獄を形にしたような「イキモノ」から逃げ惑った。
『前に立つな!ソイツは毒息を吐く!』
突然、窪地を貫いたディアムド語での警告にラシオンが振り返ると、深紅の羽根を柔らかになびかせた竜が、目に飛び込んでくる。
ロシュのような長い尾羽を持たないその優美な赤竜は、異様で異質な戦場に舞い降りた、天からの使いのようだ。
騎乗している黒衣の騎士は、帝国の竜騎士に間違いないだろうが……。
(敵か?それとも味方か?)
ラシオンは期待と警戒が入り交じるまなざしを、赤竜と竜騎士に注いだ。
思いがけない赤竜の登場に、地獄の「イキモノ」の後ろを、馬でつけ走るニェベスの顏が歪 む。
『酔いどれじゃねぇじゃねぇか。うっそだろ。じゃあ、隊長はどこにいんのよ。……やっべぇなぁ。だから嫌だっつったのに』
ブツブツこぼすニェベスと赤竜騎士の視線が一瞬、交わった。
その微妙に変化した表情からすると、ニェベスが誰だかを察したらしい。
(まじでヤベェ)
断罪しに向かってくるかとニェベスは焦るが、竜騎士はそのまま目をそらして、スバクル領主軍へと竜を走らせていった。
『無視しやがった……』
(見逃された?なんでだ?)
ニェベスの背中に嫌な汗が流れる。
だが、今さら逃げ隠れるするわけにもいかないのだ。
このまま計画を推し進めるしかない。
『おっかねぇなぁ、まじで』
ニェベスは頬を引きつらせながらつぶやいた。
尾に飾り羽がない赤竜に騎乗する竜騎士の大声が、混乱する戦場を制して響く。
『ディアムド帝国第一赤竜隊、副隊長カイ・ブルムだ!トーラ王国へつながる者はいるか!』
『ラシオン・カーヤイだ!トーラ王国、レヴィア殿下の直属隊所属だ!』
カイがエリュローンの首を、ディアムド語で応えたラシオンへと向ける。
『トーラ竜騎士のところまで案内してくれ。あれは生半 では倒せない”異形の竜”だ。帝国の双璧 、サラマリスたちがいるところへ!”帝国騎竜軍にサラマリス在 り”!』
「サラマリスだと?!」
耳を疑い、ジャジカが絶句する。
帝国と交戦経験のない国であっても、サラマリスと赤竜の力を恐れ称 える詞 を知らぬ軍人はいないだろう。
(カーヤイの言っていた”帝国の竜騎士”は、サラマリス家の者なのか。その縁をもって、母国へと戻ってきたのか)
「ラシオン殿、行ってください!」
敵味方入り乱れるなか、スライの声が届いた。
「”疾風!テムランの娘と我が孫を頼むぞ!”」
散り散りになったアガラム兵士たちをまとめている、マハディの声も風に乗って聞こえてくる。
「行け、ラシオン!ここは任せろ。お前は”可愛娘 ちゃん”とともに戦え。お前はまだ、トーラの将でもある!!」
「ファイズ……。よし、”帝国の竜騎士、こっちだ!”」
ラシオンの騎乗する馬が、混乱を極めている群れから飛び出した。
異形の竜は、その丸い体型に似合わず、かなりの速度で迫り来ている。
その後方にいるニェベスをちらりと確認しながら、赤竜を並べたカイはラシオンに声をかけた。
『真後ろにつけられるな。蛇行して進め』
『りょーかいっと。それにしても、赤竜騎士が来たってことは、”赤の惨劇”がらみっ?』
必死で馬を走らせながらも、ラシオンの口調はあくまで軽い。
『リズィエから聞いてるのか?まぁ、そんな感じで、……おおっとぉ!』
「ジャァァァァァ!」
追い縋 る「異形の竜」がふたりとの距離を詰め、毒息を吐きながら鳴いた。
『エリュっ、右!』
カイの指示に、軽やかにエリュローンは方向を変える。
『それにしても!』
カイは腰帯に付けられた物入から、おがくずの塊 を取り出すと、後ろに向かって放り投げた。
空中分解して粉じんとなったおかくず玉を鼻先に浴びた毒竜が、短い嘴 を細かく振って、その場で地団太を踏む。
『お、あれで少しは弱るわけ?!』
巧みな手綱 さばきで毒息を避 けたラシオンが、期待を込めて怒鳴った。
『ただの竜除け。残念ながら気休めだ。なぁ、”可愛娘 ちゃん”ってさっき言ってたけど、それってまさか』
カイはエリュローンをラシオンの馬に近づける。
『え?赤毛のカワイイ娘 だよ。うっへぇ!』
毒竜が再びふたりの背後に迫り、スバクル馬と赤竜は速度を上げて、左右へと分かれていった。
『ありゃりゃ、トーラじゃそんな評判になっちゃってんの?うちの大将のへそが曲がるなぁ!ちょーぜつ箱入りにしてたからなっ』
毒竜が迫る緊迫した状況下で、カイは高らかに笑う。
「マァァァァァ!」
巧みに左右交互に入れ替わりながら走る赤竜とスバクル馬に、狙いを定められない異形の竜は、イライラとした様子で毒息を吐き続けた。
『大将?誰だそれ』
『うちの隊長殿、ディデリス・サラマリスだよ!難攻不落の鉄壁の赤竜、なんて呼ばれてるけど……』
カイの短い指笛の指示に、エリュローンが振り返り口を開ける。
『噴け!』
カイが着火装置を引くと、エリュローンが吐いた揮発息が渦巻く炎となり、毒竜の肌を焼いた。
「ぎゃあ!」
苦しそうに空を仰ぎ、羽もまばらな翼をばたつかせる毒竜を覆う粘液が、ビチョビチョと辺りに飛ぶ。
『上手いぞエリュ!……あと、どのくらいだ?』
『もーうちょっと、かな!』
『よし!気張れよ、エリュローン!とっくに陥落してる鉄壁殿を笑いに行くぞ!』
スバクル馬とエリュローンは渾身の力を振り絞り、その足を速めた。
「”退却だ!スライっ、深追いするな!”」
焦りさえ感じさせる太い怒鳴り声に、スライが素早く馬を戻すのと同時に、イハウ兵士が固まっていた場所から、何重もの
「ぎゃあああああ!」
「わぁっ、……ぐがっ……」
「……何だってんだ?」
マハディの声を聞いて、急いで馬を遠ざけたファイズが、悲鳴の上がる方向に目を向けると、イハウ兵がばたばたと倒れてもがいている。
そして。
「なん、だ、ありゃ……」
さすがのラシオンも、声が震えるのを抑えられなかった。
鋭い爪のある大きな足が、倒れたイハウ兵を踏みつけている。
ねちょりとした粘り気のある音とともに、かろうじてまだ息のあった兵士の体が潰れ、
生えそろわない羽。
つぶらな緑の瞳と短い足。
大きさはロシュほどもあるのに、
「ネェェェェェェェェ」
短く黄色い
羽もまばらな露わな皮膚が、ぬらぬらする液体で
「サァァっ!」
「ふがぁっ!」
「イキモノ」が鳴き声を上げるたびに、付近にいる兵士が倒れていく。
入り乱れていた三国の兵士たちは敵も味方も関係なく、その地獄を形にしたような「イキモノ」から逃げ惑った。
『前に立つな!ソイツは毒息を吐く!』
突然、窪地を貫いたディアムド語での警告にラシオンが振り返ると、深紅の羽根を柔らかになびかせた竜が、目に飛び込んでくる。
ロシュのような長い尾羽を持たないその優美な赤竜は、異様で異質な戦場に舞い降りた、天からの使いのようだ。
騎乗している黒衣の騎士は、帝国の竜騎士に間違いないだろうが……。
(敵か?それとも味方か?)
ラシオンは期待と警戒が入り交じるまなざしを、赤竜と竜騎士に注いだ。
思いがけない赤竜の登場に、地獄の「イキモノ」の後ろを、馬でつけ走るニェベスの顏が
『酔いどれじゃねぇじゃねぇか。うっそだろ。じゃあ、隊長はどこにいんのよ。……やっべぇなぁ。だから嫌だっつったのに』
ブツブツこぼすニェベスと赤竜騎士の視線が一瞬、交わった。
その微妙に変化した表情からすると、ニェベスが誰だかを察したらしい。
(まじでヤベェ)
断罪しに向かってくるかとニェベスは焦るが、竜騎士はそのまま目をそらして、スバクル領主軍へと竜を走らせていった。
『無視しやがった……』
(見逃された?なんでだ?)
ニェベスの背中に嫌な汗が流れる。
だが、今さら逃げ隠れるするわけにもいかないのだ。
このまま計画を推し進めるしかない。
『おっかねぇなぁ、まじで』
ニェベスは頬を引きつらせながらつぶやいた。
尾に飾り羽がない赤竜に騎乗する竜騎士の大声が、混乱する戦場を制して響く。
『ディアムド帝国第一赤竜隊、副隊長カイ・ブルムだ!トーラ王国へつながる者はいるか!』
『ラシオン・カーヤイだ!トーラ王国、レヴィア殿下の直属隊所属だ!』
カイがエリュローンの首を、ディアムド語で応えたラシオンへと向ける。
『トーラ竜騎士のところまで案内してくれ。あれは
「サラマリスだと?!」
耳を疑い、ジャジカが絶句する。
帝国と交戦経験のない国であっても、サラマリスと赤竜の力を恐れ
(カーヤイの言っていた”帝国の竜騎士”は、サラマリス家の者なのか。その縁をもって、母国へと戻ってきたのか)
「ラシオン殿、行ってください!」
敵味方入り乱れるなか、スライの声が届いた。
「”疾風!テムランの娘と我が孫を頼むぞ!”」
散り散りになったアガラム兵士たちをまとめている、マハディの声も風に乗って聞こえてくる。
「行け、ラシオン!ここは任せろ。お前は”
「ファイズ……。よし、”帝国の竜騎士、こっちだ!”」
ラシオンの騎乗する馬が、混乱を極めている群れから飛び出した。
異形の竜は、その丸い体型に似合わず、かなりの速度で迫り来ている。
その後方にいるニェベスをちらりと確認しながら、赤竜を並べたカイはラシオンに声をかけた。
『真後ろにつけられるな。蛇行して進め』
『りょーかいっと。それにしても、赤竜騎士が来たってことは、”赤の惨劇”がらみっ?』
必死で馬を走らせながらも、ラシオンの口調はあくまで軽い。
『リズィエから聞いてるのか?まぁ、そんな感じで、……おおっとぉ!』
「ジャァァァァァ!」
追い
『エリュっ、右!』
カイの指示に、軽やかにエリュローンは方向を変える。
『それにしても!』
カイは腰帯に付けられた物入から、おがくずの
空中分解して粉じんとなったおかくず玉を鼻先に浴びた毒竜が、短い
『お、あれで少しは弱るわけ?!』
巧みな
『ただの竜除け。残念ながら気休めだ。なぁ、”
カイはエリュローンをラシオンの馬に近づける。
『え?赤毛のカワイイ
毒竜が再びふたりの背後に迫り、スバクル馬と赤竜は速度を上げて、左右へと分かれていった。
『ありゃりゃ、トーラじゃそんな評判になっちゃってんの?うちの大将のへそが曲がるなぁ!ちょーぜつ箱入りにしてたからなっ』
毒竜が迫る緊迫した状況下で、カイは高らかに笑う。
「マァァァァァ!」
巧みに左右交互に入れ替わりながら走る赤竜とスバクル馬に、狙いを定められない異形の竜は、イライラとした様子で毒息を吐き続けた。
『大将?誰だそれ』
『うちの隊長殿、ディデリス・サラマリスだよ!難攻不落の鉄壁の赤竜、なんて呼ばれてるけど……』
カイの短い指笛の指示に、エリュローンが振り返り口を開ける。
『噴け!』
カイが着火装置を引くと、エリュローンが吐いた揮発息が渦巻く炎となり、毒竜の肌を焼いた。
「ぎゃあ!」
苦しそうに空を仰ぎ、羽もまばらな翼をばたつかせる毒竜を覆う粘液が、ビチョビチョと辺りに飛ぶ。
『上手いぞエリュ!……あと、どのくらいだ?』
『もーうちょっと、かな!』
『よし!気張れよ、エリュローン!とっくに陥落してる鉄壁殿を笑いに行くぞ!』
スバクル馬とエリュローンは渾身の力を振り絞り、その足を速めた。