あなたのために -消えない夜-

エピソード文字数 3,890文字

 アルテミシアが自分の隊を率いるようになってから三月(みつき)ほど。
 新設隊ながら、アルテミシアの圧倒的な騎竜術と戦術で、東部国境の小競り合いに大きな功績を上げた。
「アルテミシア隊長!今日は祝杯ですね!」
 皇帝陛下謁見の間より辞去するアルテミシアを、廊下で待っていた隊員が小躍りする勢いで迎える。
 アルテミシアの騎竜術に感服し、真っ先にアルテミシア隊に志願した、アモリエ家の青年だ。
 騎竜隊服もよく似合う竜騎士が、笑いながら勢いよく(こぶし)を差し出してくる。
 (こぶし)を合わせながら、アルテミシアも微笑んだ。
「帰ったばかりなのだから、今日はゆっくり休んで。祝勝会は、後日私が開くわ。今回の功績は、あなたたちの力あってこそだもの」
「…隊長…」
 アルテミシアのまっすぐな笑顔に、若い竜騎士は感激したように口をつぐむ。
「報告書をまとめたら私も帰るわ。皆によく休むように伝えてもらえる?」
 赤の隊長服の(すそ)をさばきながらアルテミシアは歩き出す。
「了解です!」
 敬礼しながら、若者はその背中を見送った。

(あとは署名して終わり)
 報告書の最終確認をしていたとき、隊長室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
 許可を与えながら、アルテミシアは誰が来たのかと思いを巡らせる。
 自分の隊員は皆帰宅したはずだ。ほかの赤竜軍二隊は任務で首都を離れている。
 副隊長のジーグは父バシリウス隊に助力を乞われ、首都には帰還せずに紛争地へと向かった。今回のイハウ侵攻は激しいと聞いている。すぐには戻れないだろう。
 開いた扉から明るい朱色の曲髪(くせがみ)がのぞき、アルテミシアと同じ隊長服を着た、背の高い青年が入ってきた。
「怪我もないようだな」
「ディデリス?!第二隊はイハウ紛争の後方支援でしょう?いつ戻ったの?」
 思いもしなかった従兄の顔を見て、アルテミシアは書類を置くと急いで駆け寄った。
「具合でも悪くした?」
 いつもからかうように輝いている瞳も生気がなく、ディデリスはじっとアルテミシアを見下ろしている。
 アルテミシアは幼いころのように、ディデリスの手をぎゅっと握った。
 その手をディデリスが強く引く。
「…!ディデリス?」
 その勢いの強さに、アルテミシアの体はディデリスの胸に埋まるように収まった。
「…どうしたの?」
 いつもよくしゃべる形の良い唇は結ばれたままだ。
 ディデリスはアルテミシアの頭に大きな手を添え、自分の肩に押しつけた。
「第二隊に何かあったの?」
「ない。隊は副隊長に任せてきた。何も心配ない」
 憂鬱そうなディデリスの声が返ってくる。
「では、何があったの?」
 いつにない様子のディデリスの胸に、アルテミシアはそっと手を添えた。
「…父に、用事があって…」
 「父」という単語を実に不快そうに口にしながら、歯切れ悪くディデリスが答える。
「伯父様に?」
 ディデリスが自分から父親に話をすることなど、これまで覚えがない。しかも任務中の隊から離脱してまで戻ってくるとは、前代未聞の事態だ。
 アルテミシアは心配そうにディデリスを見上げた。
「どなたか具合でも悪いの?」
 上げられたアルテミシアの頭に手を添えて肩に戻し、ディデリスは首を横に振る。
「いや。皆嫌になるくらい元気だ」
「…そう」
 ディデリスの実家嫌いは相変わらずのようだ。
「お前、グイドとの縁談を断っただろう」
 唐突にディデリスが切り出した。
「え?ええ。でも本人からではなく、ドルカ家からの申し入れよ?」
 その話が持ち込まれたのは、アルテミシアが自分の隊を持った直後のことだった。
 「栄光のサラマリス家、竜術の体現者の血との縁組をぜひ」と言われ、残念な気持ちになったのを覚えている。
「あの後、グイドがしばらくやさぐれてな」
「そうなの?ごめんなさい。知らなかったわ」
 顔を上げることを許されないまま、アルテミシアは謝った。
「知らなくて当然だ。その後奴は、カザビア領警備で実力を発揮していたからな」
「もお。面倒な隊員を飛ばすのは駄目って言ったじゃない」
 ディデリスは時として、自隊の竜騎士を遠方に赴任させることがあった。傍目(はため)には後学のためだの、出世の布石だのと見られていたが、アルテミシアは騙されない。
「そういうわけじゃない。あいつは能力のある良い竜騎士だ。評価している。厳しい環境を経験して、その能力に磨きをかけて欲しいと思っただけだ」
「はいはい」
 この切れ者の従兄(いとこ)に口で敵うはずがないので、アルテミシアは早々に反論は諦める。
「でもそれは、グイド自身も気を悪くしたということ?。家からの申し出なのに?」
 赤土色の髪に快活なとび色の瞳をしたグイド。
 卓越した竜騎士だが、それほど竜に(こだわ)りがある人間ではない。…はずだ。
 アルテミシアの知っているグイドは、何かと敬遠されがちなサラマリス家竜騎士の自分を、気軽に遊びにも誘ってくれる幼馴染だ。「サラマリスの血」など欲しがる人間ではないのだが。 
「断られるとは思ってもみなかったのだろう。…ずいぶん、お前と仲が良かったから」
「同族だし、幼馴染だし。それは、ほかの人よりは気心が知れているわ。でもグイドは…」
「あいつはそうは思っていない」
 ディデリスは性急にアルテミシアの言葉を(さえぎ)る。
「“今は縁談など考えられないというのなら、考えられるようになるまで待つ”、と言っていたしな」
「グイドがそんなことを?何か事情があるのかしら…。でも、血で欲しがられても嬉しくないわ。私の血だけが必要ならば、何も婚姻関係を結ぶ必要はないもの」
「では血筋を望んでの縁談は、これからも断るのか」
 ディデリスがアルテミシアの頭を優しくなでた。
「そうね。バシリウスも私の判断に任せると言ってくれているし」
「では」
 ディデリスの手がアルテミシアの(ほほ)に添えられる。その手のひらに導かれるままアルテミシアが上を向くと、そこには暗い翡翠(ひすい)の瞳があった。
 こんなに重い目をしている従兄(いとこ)は初めてだ。落ちてしまいそうなほど深いまなざしに、アルテミシアの胸が騒ぐ。
「うちとの養子縁組も断るのか」
 若葉色の瞳が驚きに大きく見開かれる。
「どうして、知っているの?」
 伯父であるルドヴィクが、アルテミシアを養女にしたいと言ってきたのは、ほんの一月(ひとつき)ほど前。自分の隊に、東部国境鎮圧の指令が下されたころだ。
 その二、三日前にディデリスの第二隊は、第一隊に先駆けてイハウ国境へ向かっている。
(伯父様が前もってディデリスと話をするなどあり得ない。では)
「バシリウスが、あなたに何か言った?」
「俺から聞いた」
「何を?」
 ディデリスは一瞬視線をさまよわせた後、アルテミシアに瞳を戻した。
「お前に持ち込まれる縁談について。ここのところ頻繁(ひんぱん)だろう。しかも、竜族に縁もゆかりもない家からも申し出が続いているからな。…そこで養女の話を聞いた」
「バシリウスは何か言っていた?」
「お前の気持ち次第だと。あの男は、耳を貸そうともしなかったみたいだけどな」
 自分の父親を「あの男」呼ばわりしながら、軽蔑したようにディデリスは笑う。
「それで、お前はどう返事をするつもりだ?」
 ディデリスはその長い指でアルテミシアの(ほほ)を二、三度往復させてなでる。
「養女になる必要があるのかしら?」
 何ひとつ動かない表情で、軍務の依頼のように養女話を持ちかけてきた伯父をアルテミシアは思い出す。
「必要さえあれば養女を承諾するのか?俺と兄妹(きょうだい)になるのだぞ」
兄妹(きょうだい)になるのは別に。今とそう変わらないじゃない?ただ、伯父様の意図がわからないままに返事はできないわ。ねえディデリス、本当にどうしたの?それを確かめるためだけに戻ってきたの?」
 こんなに回りくどい従兄(いとこ)は初めてだ。
「当たり前だっ」
 ディデリスは小さく叫ぶように言い放ち、きつくアルテミシアを抱きしめた。
「あの男はこの話を諦めるつもりはない。縁組自体、形だけで構わないのだろう。最近縁談が増えて、お前がサラマリス家ではなくなりそうで焦っている」
「そう…、かしら」
 力の強まる腕の中でアルテミシアはつぶやく。
 伯父の考え以上に、それをこれほど嫌悪する従兄(いとこ)がわからない。
「叔父上はお前に任せるとおっしゃっている。だからお前が了解すれば縁組は成立する」
「しないわよ?」
 アルテミシアはディデリスの腕から抜け出し、その苦しそうな顔を見上げた。
「させられたら?」
「どうやって?」
「それを確かめるために戻った。何を企んでいるのかを聞くために。気持ちを無視した縁組など、お前も嫌だろう?」
「…そうだけど…」
「今は叔父上も俺もアマルドにいない。お前の従者も叔父上の隊と合流している。お前だけが戻った。絶好の機会だ。あの男がそれを逃すとは思えない」
「私の気持ちを、守るために?」
 アルテミシアの(いぶか)しげな問いに、ディデリスは吐息のような(ささや)きで答える。
「もちろん。お前のために」

「それからディデリスは私を送ってくれた後、自分の屋敷、伯父様のところへ帰ったの。…その夜、私は早めに床に就いたのだけれど…」
 アルテミシアの声は(おび)えるように、痛みを(こら)えるように震えていた。
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