竜仔(りゅうご)-1-
文字数 2,281文字
小雪が舞う川沿いの森の中を、ジーグとアルテミシアは、レヴィアの背中を追って歩く。
人ひとりやっと通れるような幅の細い雪道は、レヴィアが雪かきをして作ったものらしい。
しばらく進むと、貴重な玻璃 をふんだんに使った贅沢 な造りの建物が、こつぜんと姿を現した。
近くを流れる川からは湯気が立ちのぼり、周辺には雪もない。
「この場所は温泉が湧いているのか。トーラは火山国だったな。地熱を利用した温室とは……」
ジーグは感服しながら建物を見上げた。
「わあっ、温かいな!」
雪混じりの空模様でも、氷のように透明な玻璃 造りの建物は明るい。
しかも、内部は凍てつく森が幻だったかのような温かさだ。
アルテミシアは顔を輝かせて、温室のそこら中をくまなく歩き回って、その設備を確認して回る。
真冬の北国で、これほどの温かさを維持する秘密。
それは温泉と川の水、両方を引き込んでいる、水浴び場の構造にあるらしい。
二本の引込管 には弁が取り付けられており、そこで互いの水量を調節して、水温と室内の調節ができるようだ。
今は温泉の量が最大になっていて、冬の装いでは暑いくらいに感じる。
数羽の鳩が飛び交っている室内は清潔で、レヴィアがまめに通って掃除をしていることがうがえた。
「ここなら竜を育てられる!サラマリス領の竜舎より、条件はよいくらいだ」
アルテミシアが目を上げて見回すと、繊細な玻璃 造りの建物だというのに、換気用の窓も用意されている。
「温かくて、湿度も保たれてる。理想的だな」
天井を見上げ、くるりと体を回したアルテミシアは、突然の贈り物に喜ぶ幼女のようだ。
「先にこの温室を見ていたら、レヴィアの父上が只者ではないと、もっと早くに気がついただろう。この温室はいつ建てられた?」
玻璃 造 りの窓を確認しながら、ジーグはレヴィアを振り返る。
「知らない。だいぶ前に父上がいらっしゃったとき、地図だけ、渡されたんだ。『鳩がいるから、止むに止まれぬ場合は飛ばせ。屋敷の者には絶対に知られるな』って、走り書きを添えて。僕も、あんまり寒い時期には、森じゃなくて、ここにいたんだ」
「だいぶ前、か」
(そのわりには建付けがしっかりしている。レヴィアの様子を探らせがてら、ここの修繕もさせていたのか。鳩のためだけでなく、レヴィアがここを隠れ家として利用することも、想定済みだろう)
「陛下にお会いしなければならないな。竜をトーラで育てるご承認も頂戴 しないと。いつまでも隠しおおせはしないはずだ。……知れば必ず、帝国は口を出してくる」
「竜を他国で育てることを禁じた法も、掟 もないがな」
「それでも、ですよ、リズィエ。竜は帝国のもの。その認識は、大陸全土に広がっています。国力を盾に何を言ってくるか」
「横槍を入れられる前に、騎竜 隊を形にしないとな。そうだ、レヴィ!」
「なあに?」
軽く手招きをされて、レヴィアは片耳から卵を外しているアルテミシアに歩み寄った。
「孵化 の時期が近くなったら、この温室を貸してくれ。その前に、この卵は貴方 にあげる」
アルテミシアは卵に差し込んである管 の反対側を、レヴィアの耳たぶに刺した。
チクリとした微かな痛みを耳に感じたと同時に、どくん!と全身を打たれたような衝撃が走る。
「え……あの、いいの?僕、大丈夫?」
――このやり方は注意が必要だ。相性が悪い場合は死に至る――
アルテミシアは、確かそう言っていたではないか。
「孵化 しても、育てるのは難しいかと諦めていたんだがな」
うろたえているレヴィアに、アルテミシアはニヤっと笑いかけた。
「卵の調節をするときに、ちょっと中身を採取して、レヴィの食事に……」
「ま、混ぜた?」
「混ぜてみた」
笑顔のままうなずくアルテミシアに、レヴィアは口をあんぐりと開ける。
(いつの間に……?)
「僕、大丈夫?」
「何を今さら。まったく気づかなかったのだろう?私の血が元になっているとはいえ、浸み出している竜仔 の成分は濃いのに」
管 の留め具で卵とレヴィアの耳を固定しながら、アルテミシアは独り言のように続けた。
「万が一のことを考えて、少量から始めはしたけれど」
(一度じゃなかった……)
「痛くはないか?」
留め具を調整しながら、アルテミシアはレヴィアを見上げる。
「ほら、おそろいだ」
自分の耳とレヴィアの耳を交互に指さして、アルテミシアは朗らかに笑った。
耳につけられた卵にレヴィアがそぉっと手を添えると、見た目よりも厚みのある卵殻 が、わずかにへこむ感触が指先に伝わってくる。
「僕は、サラマリスの人じゃないけど、いいの?」
「大丈夫そうだな。相性さえよければ、本当は誰でも竜の卵を育てられるのだろう。……ずっとそう思っていたけれど、これで証明されたな」
卵を触っているレヴィアを眺めながら、アルテミシアは大きく息を吐き出した。
「でなければ、血餌 がサラマリス以外からも集められるはずがない。門外不出としたのは悪用を防ぐためだろう。だが、特殊仔 が秘匿だから、赤竜族では赤髪と緑目 が鮮やかな者が『竜術の体現者 』、なんて呼ばれて、特別視されてるんだ。ついでに言うと、竜族では曲毛 の者が好まれる。ディアムズの冠羽が巻いているから、らしい」
鮮やかな緑の瞳が寂しげに伏せられる。
「私は全部持っているだろう?だから、この見た目は嫌いだった。竜族の者は、いや、帝国の者は
「……ミーシャ?」
突然、口をつぐんで黙り込んだアルテミシアを、レヴィアはのぞき込んだ。
人ひとりやっと通れるような幅の細い雪道は、レヴィアが雪かきをして作ったものらしい。
しばらく進むと、貴重な
近くを流れる川からは湯気が立ちのぼり、周辺には雪もない。
「この場所は温泉が湧いているのか。トーラは火山国だったな。地熱を利用した温室とは……」
ジーグは感服しながら建物を見上げた。
「わあっ、温かいな!」
雪混じりの空模様でも、氷のように透明な
しかも、内部は凍てつく森が幻だったかのような温かさだ。
アルテミシアは顔を輝かせて、温室のそこら中をくまなく歩き回って、その設備を確認して回る。
真冬の北国で、これほどの温かさを維持する秘密。
それは温泉と川の水、両方を引き込んでいる、水浴び場の構造にあるらしい。
二本の
今は温泉の量が最大になっていて、冬の装いでは暑いくらいに感じる。
数羽の鳩が飛び交っている室内は清潔で、レヴィアがまめに通って掃除をしていることがうがえた。
「ここなら竜を育てられる!サラマリス領の竜舎より、条件はよいくらいだ」
アルテミシアが目を上げて見回すと、繊細な
「温かくて、湿度も保たれてる。理想的だな」
天井を見上げ、くるりと体を回したアルテミシアは、突然の贈り物に喜ぶ幼女のようだ。
「先にこの温室を見ていたら、レヴィアの父上が只者ではないと、もっと早くに気がついただろう。この温室はいつ建てられた?」
「知らない。だいぶ前に父上がいらっしゃったとき、地図だけ、渡されたんだ。『鳩がいるから、止むに止まれぬ場合は飛ばせ。屋敷の者には絶対に知られるな』って、走り書きを添えて。僕も、あんまり寒い時期には、森じゃなくて、ここにいたんだ」
「だいぶ前、か」
(そのわりには建付けがしっかりしている。レヴィアの様子を探らせがてら、ここの修繕もさせていたのか。鳩のためだけでなく、レヴィアがここを隠れ家として利用することも、想定済みだろう)
「陛下にお会いしなければならないな。竜をトーラで育てるご承認も
「竜を他国で育てることを禁じた法も、
「それでも、ですよ、リズィエ。竜は帝国のもの。その認識は、大陸全土に広がっています。国力を盾に何を言ってくるか」
「横槍を入れられる前に、
「なあに?」
軽く手招きをされて、レヴィアは片耳から卵を外しているアルテミシアに歩み寄った。
「
アルテミシアは卵に差し込んである
チクリとした微かな痛みを耳に感じたと同時に、どくん!と全身を打たれたような衝撃が走る。
「え……あの、いいの?僕、大丈夫?」
――このやり方は注意が必要だ。相性が悪い場合は死に至る――
アルテミシアは、確かそう言っていたではないか。
「
うろたえているレヴィアに、アルテミシアはニヤっと笑いかけた。
「卵の調節をするときに、ちょっと中身を採取して、レヴィの食事に……」
「ま、混ぜた?」
「混ぜてみた」
笑顔のままうなずくアルテミシアに、レヴィアは口をあんぐりと開ける。
(いつの間に……?)
「僕、大丈夫?」
「何を今さら。まったく気づかなかったのだろう?私の血が元になっているとはいえ、浸み出している
「万が一のことを考えて、少量から始めはしたけれど」
(一度じゃなかった……)
「痛くはないか?」
留め具を調整しながら、アルテミシアはレヴィアを見上げる。
「ほら、おそろいだ」
自分の耳とレヴィアの耳を交互に指さして、アルテミシアは朗らかに笑った。
耳につけられた卵にレヴィアがそぉっと手を添えると、見た目よりも厚みのある
「僕は、サラマリスの人じゃないけど、いいの?」
「大丈夫そうだな。相性さえよければ、本当は誰でも竜の卵を育てられるのだろう。……ずっとそう思っていたけれど、これで証明されたな」
卵を触っているレヴィアを眺めながら、アルテミシアは大きく息を吐き出した。
「でなければ、
鮮やかな緑の瞳が寂しげに伏せられる。
「私は全部持っているだろう?だから、この見た目は嫌いだった。竜族の者は、いや、帝国の者は
私
を見ないんだ。赤竜と同じ色の、髪と瞳のことばかり口にする。それを一切言わずに一緒にいてくれたのは、家族とディ……」「……ミーシャ?」
突然、口をつぐんで黙り込んだアルテミシアを、レヴィアはのぞき込んだ。