異形の竜

エピソード文字数 3,316文字

 その姿を見て、一瞬でアルテミシアは理解した。
 あれは一撃で倒せる竜ではない。
 粘液でずるりと(おお)われた体、まばらな深紅の羽。
 成体の竜では一番弱い首部分の皮膚(ひふ)が、雛鳥(ひなどり)の形態のまま、何重にもひだが寄っている。
 異形中の異形。
 アルテミシアはレヴィアが止血してくれた傷をちらりと確認した。
 細布はぐっしょりと濡れている様子だ。太もも辺りまで濡れた感触もする。この体で、あとどのくらい耐えられるだろう。
「クルルゥー!」
 ロシュの声が聞こえる。頼もしい相棒が戻ってきたのだ。
 レヴィアはと見ると、瞬きも忘れたように毒竜を凝視していた。
「レヴィ」
 春風の声に呼ばれ、我に返ったレヴィアが慌てて立ち上がった。
「そうだミーシャ、ちゃんと手当てを、ぐふっ!?」
 レヴィアの無防備な鳩尾(みぞおち)に、アルテミシアの容赦ない(こぶし)がめり込んだ。
 息を詰めて(ひざ)を折るレヴィアの体を優しく支え、その耳元にアルテミシアが唇を寄せる。
「レヴィア。私の可愛い大切な(あるじ)。約束したわね。私のすべてで貴方(あなた)を守る。貴方(あなた)とトーラに(さいわい)あれ」
 そして大地に(ひざ)をつき横たわるレヴィアに、アルテミシアの指笛と走り去る足音だけが残された。

「大丈夫か?!」
 (ひづめ)の音とともにラシオンの声が聞こえる。
「どうした?何で殴られたよ」
 ラシオンが馬から降り、鳩尾(みぞおち)を片手で押さえるレヴィアを肩に(かつ)ぎ上げた。
「ねぇぇぇさああまあああ!」
 毒竜がロシュとアルテミシアを追って走り去っていく。
「お、さすがお嬢、あれを何とかしてくれるんだな!…いや、待てよ?」
 レヴィアを(かか)えるラシオンの腕が緊張で強張(こわば)る。
 アルテミシアはことあるごとに、地形を頭に叩き込むようにスバクル地図を読み込んでいた。
 何度も、何度も。
 その姿が脳裏をよぎる。
「あっちは、崖だ。…まさか!」
 駆けつけたジーグが、ラシオンの言葉にアルテミシアの意図を察した。ジーグの指が唇に当てられる。
 緊急の指笛が聞こえ、小刀を片手にディデリスが振り返った。琥珀(こはく)翡翠(ひすい)の瞳が真正面からぶつかる。
 ジーグの腕が真っ直ぐに、アルテミシアと毒竜が走り去った方向を指し示す。
「崖に向かっている!私たちでは追いつかないっ!」
 ディデリスの顔色が変わった。
 短く鋭い指笛の指示に、ルベルが風のように走り出した。

 エリュローンに乗ったカイが走り寄ってくる。
「フリーダ卿!力をお借りしたい。…?どうしました?」
「…向こうは、切り立った崖になってるんだ」
 ラシオンの声が上擦(うわず)った。
 (はやて)のように走り去るディデリスの背中を見つめ、カイが力強く断言する。
「鉄壁が、リズィエを簡単に諦めるはずがない」
 見る間にルベルは毒竜に追いついていく。
 ジーグもうなずいた。
「私たちは私たちの為すべきことを。ブルム副隊長。お話を伺う」
 爪を突き立てた(こぶし)に力を入れながら、冷静な顔を崩さないジーグはカイを見上げた。

 俊足のルベルはあっという間に毒竜に追いついた。ディデリスは着火装置の鎖を握る。
 雛鳥(ひなどり)が振り返った。
「ジャアマァ、シナイ、デっ!」
 醜怪(しゅうかい)雛鳥(ひなどり)は、人の言葉で鳴きながら毒息を吐く。
 ディデリスはルベルの手綱(たづな)を引き、素早く左へと進路を変えた。
「ディーデニ、イッツモジャアアマアアア」
 追い続けるルベルにさらに毒息が迫る。
「ネェサマ、ツレテク、アソベナイ!キライィィィィ!」
 毒息を()けながら、蛇行して走るルベルの速度が落ちていく。
―フェティの腕を食べた仔はあっという間に完全竜化して、斑竜(まだらりゅう)となった。もう一頭はまだ雛鳥(ひなどり)のままだ。ならば全身食べさせたらよいと考えた。眠るラキスを雛鳥(ひなどり)に喰わせた―
 「悪魔の雫」を限度以上飲ませ、自白させたクラディウス・ドルカはそう言っていた。
―失敗だった。毒息の特殊能力は得たが竜化しない。不完全体ですらなく、雛鳥(ひなどり)のまま、図体だけが大きくなった。粘液も(ひど)い。触れることすらためらわれる。何よりラキスの人格が残った。私を見て、「くそじじい」と鳴いた―
「ジャアアマアアアっ!でぃでに、バァァカァァァァァっ!」
 雛鳥(ひなどり)がディデリスをにらみながら、また毒を吐く。
 アルテミシアを訪ねラキスに見つかるたび、彼はディデリスに木の実やら小石やらを投げつけてきた。予定した訪問の際には、廊下に油が塗られていたこともあった。
(大量のカエルが出迎えてくれたこともあったな。…俺とアルテミシアが大笑いをしてしまって、かなり()ねていた…)
 まだ小さなラキスは悔し涙を流しながら、それでも声の限りに悪態をついていた。
 サラマリスは家族の情が薄い傾向があり、自分も兄弟で遊んだ記憶も、遊びたいと思ったこともない。
 だがアルテミシアはあんなにも人懐こい性格をしているし、その弟も、また違う感性を持っていたのかもしれない。もっと話を聞いてやればよかった。
 もう、何もかも遅いのだが。
 開いてしまった毒竜との距離をディデリスは詰めていく。
 一瞬でいい。あの毒竜の足を止めよう。
(目を狙う)
 ディデリスは短刀を握り締めた。
 一か八か。成功率は心許(こころもと)ない。だがアルテミシア一人に背負わせるつもりは、微塵(みじん)もなかった。
(駄目なら、ともに)
「ルベル、頼むぞ!」
 ディデリスの指笛が高らかに鳴り渡る。
 小柄な赤竜が、猛然と走る速度を上げた。  
  
 ディデリスに構い遅れる毒竜の気配を感じながら、アルテミシアはロシュの首を叩いた。自分の血で汚れた手のひらが、ロシュが浴びた斑竜(まだらりゅう)の血でさらに赤く染まる。
 脇腹から流れる血は止まる気配がない。体に力が入らなくなってきている。
「ねえ、ロシュ。レヴィとアルバスとお前。楽しかったわね。こんなに楽しい日々を過ごしたことはなかったわ」
「クルゥっ!」
 鮮緑(せんりょく)の目を細め、鋭くロシュが鳴いた。
「怒らないで聞いて。こうするしかないの。レヴィアを守りたいの」
 そしてアルテミシアは腕を伸ばし、ロシュの(くちばし)脇の着火装置に細工してあるゼンマイを巻き始めた。
「五に一回、噴け」
 指を鳴らし、指笛を交えた指示がロシュに与えられる。
「さあ行って!メイリの言うことをよく聞いてね!可愛い私のロシュ!」
 指笛を吹きながら、アルテミシアは軽やかに(くら)を飛び降りた。
「クルルルルルゥー!」
 体を反転させ、アルテミシアと別れて走るロシュの悲しげな鳴き声が、平原を貫いていった。
 
 ディデリスの視線の先で、アルテミシアの竜がその身を(ひるがえ)した。
(戻ってきたのか?)
 ディデリスが注視する中、空の(くら)を背負ったロシュが、ルベルの横を走り抜けていった。その(くら)に付着した大量の血液が、アルテミシアが確かにそこにいた証拠だ。
 ディデリスは慌てて前を向く。
 崖際(がけぎわ)に立つアルテミシアが両手を差し出し、微笑んでいた。
―ラキス―
 その唇が、弟の名を呼んだ。
「ねぇぇぇさあああまああああ」
 毒竜がアルテミシアに突進していく。
「止めろっ!止めてくれっ!アルティっ!」
 あと少し。もう少しで追いつく。
「アルテミシアぁっ!」
 血を吐くようにディデリスが絶叫する。
 差し出された腕の中に、毒竜の巨体が飛び込んだ。アルテミシアがその首を抱きしめる。
 元結の(ほど)けた、豊かで長い紅色(べにいろ)の巻き髪が、醜悪(しゅうあく)雛鳥(ひなどり)の体を包み込んだ。
 アルテミシアの体は雛鳥(ひなどり)もろとも崖から飛び出し、そのまま一塊(ひとかたまり)になって落ちていった。
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