予兆

エピソード文字数 4,629文字

 カイ・ブルムが竜舎で自分の赤竜の羽を整えていると、背後に人が立つ気配がした。
「どうした、グイド。上級騎士は初級騎士の訓練中だろう。…よしよし、エリュローン。相っ変わらずふっかふっかだな。美人だなぁ」
 カイの竜、エリュローンがその鋭い(くちばし)で器用に優しく、カイの短い黒髪を()む。
「俺に伝言はありませんでしたか」
 副隊長であるカイの質問には答えないまま、グイドが一歩近づいた足音がする。
「伝言?」
 エリュローンの首の羽をなでながら、カイは振向いた。
「誰からの」
「アルティですよっ」
 グイドはアルテミシアの愛称を叫ぶ。
 あまり感情を動かさない竜家の者らしく、グイドも普段は快活そうな笑みを崩さない。
 それが今は笑顔の欠片もなく、若干の怒りを浮かべてカイを見据(みす)えていた。
「お前はドルカ家じゃないか。一緒にいらしたご当主から話はなかったのか」
 グイドは真一文字に口を結ぶ。
伯父貴(おじき)はずっと(ほう)けた状態で口もきけません。“高地がよほど体に合わなかったようだ”と隊長はおっしゃっていましたが。治療も薬も、何もかも効果がない。医薬師も(さじ)を投げていますよ」
 冷えたとび色の瞳が細められた。
 ああ、こいつはこんな顔もするのか。
 片眉(かたまゆ)を上げながら、カイはグイドを注意深く観察した。
「それはお気の毒な。確かに途中高山病の(きざ)しはあったが、それほど重症だったとは。ご高齢の身に、真冬のチェンタは厳しかったんだな」
「…高山病、ね」
 グイドは皮肉そうな笑みを浮かべる。
「それで?アルティは俺のことは、何か言っていませんでしたか」
 すくい上げるようなとび色の瞳は、もはや部下のものではなかった。
「いや別に」
 言下の否定に、グイドの瞳がいっそう暗くなる。
「隊長はまた飲んだくれているんですか。何で出仕(しゅっし)しないんですか。チェンタで何があったんですか。ディアムド出身の騎士がトーラ騎竜隊にいる。どうしてそれだけなんですか」
 一歩、また一歩と詰め寄ってくるグイドに呆れたようなため息をつき、カイはエリュローンの手綱(たづな)を取った。
「一度に聞くには質問が多いな。”赤の惨劇”の背景はまだ不明だ。そんな中で、他国にいるディアムド竜騎士の詳細を、俺ごときがほいほい言えるか。国を揺るがす大事(おおごと)だぞ」
 カイは(こぶし)を震わせているグイドから目をそらす。
「よし、今日はちょっと遠くまで行ってみるか。いつも訓練場じゃあ、つまんないよなぁ、俺の美人ちゃん」
 遠乗りに連れ出してもらえそうな雰囲気に、エリュローンが嬉しそうに足踏みをした。
「知りたきゃディデリスつかまえろよ」
 赤竜とともに横を通り過ぎようとする副隊長に、グイドのくすんだまなざしが注がれる。
「俺なんかにつかまりはしませんよ。それにあの人が話してくれると思うんですか?アルテミシアのことを」
「まぁねぇ。超絶可愛がってたもんなぁ。でも、ちょっと反省したみたいだぜ、さすがに」
 エリュローンを連れたカイは、グイドをちらりとも見ない。
「ああ、やっぱどうかな。きれいになっていたからな。きれいというより色っぽい、かな。トーラで好いた男でもできたかね」
 竜舎を出て行くカイの背中を、グイドはじっとりとした目をしながら見送った。

 首都の外れ。地方都市へと向かう街道筋までエリュローンを走らせたカイは、山脈回りの道へと至る脇道にエリュローンを(いざな)った。
 鬱蒼(うっそう)と木々が茂る暗い森の中、道の分岐を示す大岩の影に旅装束がちらりと見える。
 カイは大岩の前でエリュローンを止め、その陰に声を掛けた。
「おや、旅の人。道行はご安泰でしたか?」
「木戸銭は渡してきました。後はどんな見世物がかかるか…。楽しみです」
 岩向こうからくぐもった声が返ってくる。
「そちらはいかがでしたか?」
「ええ、そりゃあもう」
 カイはほくそ笑んだ。
「目当ての魚が掛かりましたよ」
「早速のご釣果(ちょうか)、お喜び申し上げます。ところで、またしばらく旅に出ます。留守を頼めますか」
「えっ、今度はどこに行くんだよ」
 素に戻ったカイが旅装束に問いかける。
「…お前は間諜(かんちょう)にだけは向かないな」
 目深(まぶか)に巻いた襟巻(えりまき)を外しながら、ディデリスが岩陰から姿を現す。
「誰かに聞かれていたらどうする」
「誰かなんて、いたらとっくの昔にお前が始末してるだろ。で、どこに行くんだよ。また隊長は飲んだくれて出仕(しゅっし)しないのかって(うわさ)になってるぞ。ま、それで隊長の不在が納得されちまうんだから、いいんだか悪いんだか。陛下から命じられる前に、とっくにイハウの尻尾はつかんでたじゃないか。木戸銭だって、上手く握らせたんだろ」
「先ほど俺の情報屋が面白い話を持って帰ってきた。イハウからスバクルに、やたら大きな荷物が運ばれたらしい」
「…へーえ。でもお前の情報どおりなら、そんじょそこらの者では扱えないだろう。腕のいい竜守でもついているのか?」
「あれに竜守などいない。眠らせて連れて行ったらしいが、運び役の人間すべてが死んでいる」
「ありゃりゃ。じゃあ今、誰が竜を抑えてるんだ?」
(えさ)を食べると寝てしまうらしい。眠り草でも仕込んでいるか…」
「ありゃりゃりゃりゃ。竜は眠り草と相性が悪いのは常識じゃないか。一時(いっとき)大人しくさせたって後が怖い。だから運び役が死んだんだろうに。そんなデタラメなやり方をさせてるとなると…」
「イハウ、グリアーノの者だろう。奴らは散々汚い手を使って、現イハウ政権を掌握した一派だ。スバクルのレゲシュ家はその策略には気がついていないようだし、トーラと事を構えている最中だ。戦場に出すつもりだろう。そうなると、近いうちに魚が遊泳する。あれも赤竜一族の端くれだ。“悪魔の雫”の使い方は心得ている。今日お前の針に掛かったのならば、近日中だな。(あお)っておいてくれたか」
(あお)りはしない。正直に答えた。“色っぽくなってた”ってな」
 翡翠(ひすい)色の瞳が不機嫌にカイを見上げた。
「怒るなよ。ホントのことじゃないか」
 カイは片頬(かたほほ)で笑う。
「また出掛けるというと、どうせトーラに行くんだろ。いや、合戦地のスバクルか。帝国騎竜隊隊長の立場としてはどうかと思うが、構わないんだよな、愛しのリズィエのためなら。な、兄さん」
「兄じゃない。従兄(いとこ)だ」
「同じようなもんだろ」
「違う。従兄(いとこ)は婚姻可能だ」
「サラマリス同士は添わないって(おきて)は」
「明示された決め事ではない。俺の代でどうにかする」
 表情は動かないものの、その瞳の中に思慕と切望を見たカイが、呆れ混じりのため息をついた。
「その気持ちを素直に伝えたらいいじゃないか。いくらサラマリスが面倒な一族だからって、()れた女に回りくどいことをするなよ。今回だって、トーラ・スバクル紛争は直接帝国には関係ない。スバクルが一杯食わされてから、竜の件だけ口を(はさ)めばいいものを、わざわ」
「カイ、念のため、エリュローンと休暇を取れるよう調整しておいてくれ」
 話を(さえぎ)られたカイが大声を出す。
「はぁ?!隊長のお前が欠勤中で魚も遊泳中に、副隊長の俺まで休暇取れってか。赤竜軍をどうするんだよ」
「陛下に頼む」
 ディデリスの声は、まるで部下を使いに出すような気安さだ。
「え…」
 言っている内容と声の調子がそぐわない隊長に、カイは絶句する。
「そ、りゃあ、確かに。赤竜軍は皇帝陛下直属だ。究極の上官は陛下だが…。いやお前、それ俺に言わせんの?陛下に?“休み頂戴するんで、赤竜軍をよろしく!”って?」
 カイの嫌がっている雰囲気を察し、エリュローンが低く喉を鳴らす。
「怒るなエリュ。お前の彼氏に悪さなんかしない」
 ディデリスは機嫌の悪い赤竜の(くちばし)を軽くひとなでして優しく叩くと、たちまちエリュローンは(うな)るのを止めた。
「竜たらしめ。俺の美人ちゃんに手を出すな」
 カイが手を伸ばしてエリュローンの(ほほ)をくすぐる。
(だま)されるなよー、美人ちゃん。こいつは十年前から、本命一筋なんだから」
「悪いのか」
 顔色ひとつ変えないディデリスに、カイが体をのけぞらせた。
「うへぇ、冗談で言ったんだよっ!本当なのかよっ。リズィエそのときいくつよ。そりゃあフリーダ卿も警戒するわ。このへんた」
「小さいから好きだったわけじゃない。彼女だからだ。それからお前が陛下に奏上(そうじょう)する必要はない。”よろしく”はすでにご了承済みだ。“カイ・ブルムが休暇を申請したときは、陛下未承認の竜が現れたということ。赤竜軍の統率と、仕出かした(やから)の処罰のご準備をお願いします”とお伝えしてある」
「…っ。陛下は、…ご存じなのか」
 カイの声が硬くなる。
「ああ」
「どこまで?」
「大よそ」
「お怒りだろう」
「魚の一、二種類が絶滅するな。まあ、いなくなっても構わない雑魚(ざこ)種だが」
 ディデリスの瞳が冴え渡った。
「それにしても何で俺まで?お前が行くなら、それで解決するだろう」
「赤の惨劇の現場にいたのは二頭だ。スバクル入りをしたのは一頭。どこかに、まだいる。必ずこの騒乱に使われる」
「制御不能の竜、か…。…恐ろしいな…」
 ここ何十年、竜を育成し損じた例はない。しかし過去の惨事は危険な訓話として、竜騎士たちは繰り返し聞かされている。
「そうだな。そしてそれがあいつの言うとおりなら…」
 滅多に見ないほど硬い表情をする隊長の頭を、副隊長が軽く(はた)く。
「光栄ですよ。そんな難局のお供にご指名いただけて。戻りすぐ準備する。お前は?ルベルはどうする?」
 その名がカイの口から出た途端(とたん)、弦楽器を爪弾(つまび)くような鳴き声が聞こえた。
「お、相変わらず相棒に似て美声だな。準備のよろしいことで。リズィエによろしくな。それからフリーダ卿に喧嘩(けんか)売るなよ。…次は殺されるぞ」
「…うるさい…」
 宿敵の名を出され、不機嫌にディデリスが背を向ける。
「ははは!娘を持つ親父ってのはそんなもんだよ!ご武運を!隊長!」
 陽気に笑いながら、カイはエリュローンの手綱(たづな)を引いた。
 走り去る赤竜の足音を耳にしながら、ディデリスはふっと笑う。
 未承認の、未確認の力を持つ竜に対してさすがに不安を感じていたが、カイの快活さに救われた思いだ。
「ルベル!」
 ディデリスが指笛を吹く。
「クルルルゥ」
 尾に立派な飾り羽を持ちながら、エリュローンより一回り小柄な赤竜が木陰から顔を出した。
「行こうか。向こうの竜はどんな仔だろうな。恐らく“アルテミシア竜”だろう。懐っこくて可愛いのか、猪突猛進で聞かないのか」
 チェンタでの別れ(ぎわ)、誰にもわからないように振り返り、顏をしかめて舌を出してみせた愛しい従妹(いとこ)
 出会ってから何も変わらない、そのやんちゃで可愛い姿を思い出すと心が温かくなる。
 ディデリスは含み笑いをしながら、颯爽とルベルに騎乗した。
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