予兆

文字数 4,091文字

 ディアムド帝国、赤竜軍第一部隊の竜舎内は、ほとんどの赤竜が出払っているため、ひっそりとしていた。 

 非番の昼下がり。
 カイ・ブルムが相棒の赤竜の羽を整えていると、背後に迫る不穏な気配に気づいた。
「どうした、グイド。今の時間、上級騎士は新人の訓練中だろう。……よしよし、エリュローン。相っ変わらずふっかふっかだなあ。美人だなぁ」
 カイが自分の竜、エリュローンの頬羽をなでると、鋭い(くちばし)が器用に優しく、相棒の短い黒髪を()む。
「俺に伝言はありませんでしたか」
 副隊長であるカイの質問には答えないまま、グイドが一歩近づいてきた。
「伝言?誰からの」
「アルティですよっ」
 普段は張り付けた笑みを崩すことのないグイドが、苛立ちと怒りを露わにしている。

(おーや。めずらし)

「お前はドルカ家じゃないか。ご一緒した、そっちのご当主から話があったんじゃないのか?」
 そっけないカイの態度に、グイドの口の端がぴくりと震えた。
伯父貴(おじき)はずっと(ほう)けた状態で、口もきけません。治療も薬も、何もかも効果がない。医薬師も(さじ)を投げていますよ。”高地がよほど体に合わなかったようだ”?……久しぶりに顔を見せたかと思えば、あの人も……」
 誰をその胸の内に思い出したのか。
 冷えたとび色の瞳が細くなる。

(はぁん。こいつはこんな顔もするのか)

 片眉(かたまゆ)を上げながら、カイはグイドを観察した。
「それはお気の毒な。確かに途中、高山病の(きざ)しはあったが、それほど重症だったとは。ご高齢の身に、真冬のチェンタは厳しかったんだな」
「……高山病、ね……。それで?アルティは俺のことを、何か言っていませんでしたか」
「いや別に」
 言下の否定に、グイドの瞳がいっそう暗くなる。
「隊長はまた酒浸りですか。なんで出仕しないんですか。チェンタで何があったんですか。ディアムド出の騎士がトーラ騎竜隊にいる。それ以上の報告がないのはなぜですか」
 グイドがじりじりとカイに詰め寄った。
「一度に聞くには質問が多いぞ。”赤の惨劇”の背景はまだ不明だ。そんな状態で、他国にいるディアムド竜騎士の詳細を、俺ごときがホイホイ言えるか」
 呆れたようなため息をついて、グイドから目をそらしたカイは、エリュローンの手綱(たづな)を手に取る。
「よし、今日はちょっと遠くまで行ってみるか。せっかくの非番だし、逢瀬(おうせ)と洒落込もうじゃないか。な、俺の美人ちゃん」
 遠乗りに連れ出してもらえそうな雰囲気に、エリュローンが軽快な足踏みを繰り返した。
「知りたきゃディデリスつかまえろよ」
 赤竜とともに通り過ぎようとする副隊長に、グイドのくすんだまなざしが注がれる。
「俺なんかにつかまりはしませんよ。第一、あの人が話してくれると思うんですか?アルテミシアのことを」
「まぁねぇ。超絶可愛がってたもんなぁ。でも、ちょっと反省したみたいだぜ、さすがに」
 グイドをちらりとも見ないで、カイが片頬で笑う。
「ああ、やっぱどうかな。キレイに、というより、色っぽくなってたからなぁ。トーラで好いた男でもできたかね」
 竜舎を出ていくカイの背中を、グイドはじっとりとした目で追った。

 地方都市へと向かう街道筋までエリュローンを走らせたカイは、山脈回りの道へとリュローンを(いざな)った。
 
 鬱蒼(うっそう)と木々が茂る暗い森の中をしばらく進むと、道の分岐を示す大岩が見えてくる。
 カイがエリュローンを寄せると、その陰に旅装束(たびしょうぞく)(すそ)がちらりと見えた。
「おや、旅の人。道行(みちゆき)はご安泰でしたか?」
「木戸銭は渡してきましたよ。さて、どんな興行が打たれるのか……。そちらはいかがでしたか?」
 返されたくぐもった声に、カイがほくそ笑む。
「そりゃもう、ばっちり。目当ての魚が掛かりましたよ」
「早速のご釣果(ちょうか)、お喜び申し上げます。ところで、またしばらく旅に出ます。留守を頼めますか」
「えっ、またかよ?!」
 ぞんざいな口調になって、カイは声を荒らげた。
「いい加減、俺を働かせ過ぎじゃないか?今日だって、久しぶりの非番なのに仕事がらみだし」
「……お前は間諜(かんちょう)にだけは向かないな」
 目深(まぶか)に巻いた襟巻(えりまき)を外しながら、岩陰からディデリスが姿を現す。
「誰かに聞かれていたらどうする」
「そんなヤツがいたら、とっくの昔にお前が始末してるだろ。で、どこに行くんだよ。また隊長は飲んだくれて出仕(しゅっし)しないんだなって、(うわさ)になってるぞ。陛下から命じられる前に、とっくにイハウの尻尾はつかんでたくせに」
「裏取りは必要だからな。それより、俺の情報屋が面白い話を持ってきた」
 ディデリスがカイに渡した紙切れには、四角い図形のようなものが書かれていた。
「イハウからスバクルに、やたら大きな荷物が運ばれたらしい」
「へーえ。こりゃ竜が入りそうな箱ですなあ。でも、お前の見込みどおりなら、そんじょそこらの者では扱えないだろう。腕のいい竜守でもついているのか?」

に竜守などいない。眠らせて連れていったらしいが、運び役のすべてが消えている」
「ありゃりゃ。じゃあ、誰が竜を抑えてるんだ?」
(えさ)を食べると動かなくなるらしいから、眠り草でも仕込んでいるか……」
「おやおや。竜が眠り草と相性が悪いのは、常識だけどな。一時(いっとき)大人しくさせたって、あとが怖い。ああ、だから、運び屋が全滅したのか。そんなデタラメなやり方をさせてるのは……」
「イハウのグリアーノの者だろう。奴らはさんざん汚い手を使って、現イハウ政権を掌握した一派だ。スバクルの統領(とうりょう)家はまだ気づいていないようだし、戦場で使うだろう。そうなると、近いうちに魚が遊泳する。今日お前の針に掛かったのならば、近日中だな。(あお)っておいてくれたか」
(あお)りはしない。正直に答えた。”色っぽくなってた”ってな」
 翡翠(ひすい)色の瞳に不機嫌に見上げられたカイが、ニヤリと笑う。
「怒るなよ。ホントのことだろ。お前、どうせトーラに行くつもりだろ。いや、合戦地のスバクルか。帝国騎竜隊長の立場としてはどうかと思うが、構わないんだよな、愛しのリズィエのためなら。な、兄さん」
「兄じゃない。従兄(いとこ)だ」
「同じようなもんだろ」
「違う。兄では婚姻できない」
「”サラマリス同士は添わない”って(おきて)は」
「明示された決め事ではない。俺の代でどうにでもする」
 表情は動かないものの、その瞳の中に思慕と切望を見たカイが、呆れ混じりのため息をつく。
「その気持ちを素直に伝えろって。今回だって、トーラ・スバクル紛争は、直接うちには関係ない。スバクルが一杯食わされてから、竜の件だけ口を(はさ)めばいいものを、わざわ」
「カイ、念のため、エリュローンと休暇を取れるよう調整しておいてくれ」
「はぁ?!隊長のお前が欠勤中で魚も遊泳中に、副隊長の俺まで休暇取れってか。赤竜軍をどうするんだよ」
「陛下に頼む」
「え……。ちょ、陛下って……」
 まるで部下を使いに出すような気安い様子のディデリスに、カイは絶句するしかない。
「そりゃあ、確かに?赤竜軍は皇帝陛下直属だし、究極の上官は陛下だろうけどさ。だけどお前、それ俺に言わせんの?陛下に?”休み頂戴するんで、赤竜軍をよろしく!”って?」
「グル、グルグルグルグル」
 カイの気分を察したエリュローンの喉が、不穏に震えだした。
「怒るなエリュ。お前の彼氏に悪さなんかしない」
 (くちばし)を軽くひとなでするディデリスの優しい手つきに、たちまちエリュローンの(うな)り声がやむ。
「竜たらしめ。俺の美人ちゃんを口説くな」
 カイが手を伸ばして、エリュローンの頬をくすぐった。
(だま)されるなよー、美人ちゃん。こいつには、十年前からしつこく追っかけてる本命がいるんだから」
「悪いのか」
「うぇ、本当なのかよっ。冗談だったのに!リズィエそのときいくつよ。そりゃあ、フリーダ卿も警戒するわ。このヘンタ」
「幼女趣味はない。それから、お前が陛下に奏上(そうじょう)する必要もない。”カイ・ブルムが休暇を申請したときには、陛下未承認の竜が現れたということ。諸々ご準備を”とお伝えしてある」
「陛下は、……ご存じなのか」
 カイの声が硬くなる。
「ああ」
「どこまで?」
「大よそ」
「お怒りだろう」
「魚の一、二種類が絶滅するな。まあ、無くなっても、何の影響もない雑魚(ざこ)種だが」
 世間話をするような軽さで、ディデリスが(わら)った。
「それにしても、なんで俺まで?お前が行くなら、それで解決するだろ」
「惨劇の現場にいたのは二頭だ。だが、スバクル入りをしたのは一頭。どこかに、まだいる。必ずこの騒乱に使われる」
「制御不能の竜、か。……恐ろしいな」
 
 ここ何十年、竜を育成し損じた例はない。
 しかし、過去の惨事は危険な訓話として、竜騎士たちは教え込まれている。

「そうだな。そして、それが

の言うとおりなら……」
 滅多に見ないほど顔を強張らせている隊長の頭を、副隊長が軽く(はた)く。
「光栄ですよ。そんな難局のお供にご指名いただけて。戻り次第、すぐ準備する。お前は?ルベルはどうする?」
 その名をカイが呼んだ直後、弦楽器を爪弾(つまび)くような鳴き声が森にこだました。
「お、相変わらず、相棒に似て美声だな。準備のよろしいことで。じゃあ、リズィエによろしく。それから、フリーダ卿に喧嘩は売るなよ。次は殺されるぞ」
「……うるさい」
「ははは!娘を持つオヤジってのはそんなもんだって!」
 陽気な笑い声を上げながら、カイはエリュローンの手綱(たづな)を取る。
「ご武運を、隊長!」
 遠ざかるエリュローンの足音を聞きながら、ディデリスは(きびす)を返した。

(まったく、あいつは)
 
 頼もしくも忌々しい腹心に、内心で舌打ちしたディデリスは指笛を吹く。
「ルベル!」
「クルルルゥ」
 呼びかけに応えて、尾に立派な飾り羽を持ちながら、エリュローンより一回り小柄な赤竜が木陰から顔を出した。
「行こうか。向こうの竜はどんな仔だろうな。十中八九”アルテミシア竜”だろう。懐っこくて可愛いのか、猪突猛進で聞かないのか」
 
 チェンタでの別れ(ぎわ)、誰にもわからないように振り返り、顏をしかめて舌を出してみせた愛しい従妹(いとこ)
 出会ってから何も変わらない、そのやんちゃで可愛い姿を思い出すと心が温かくなる。
 
 ディデリスは含み笑いをしながら、颯爽とルベルに騎乗した。
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