届く声 -1-

文字数 3,082文字

 (おとうと)弟子と火花を散らす愛弟子(まなでし)に狙いを定め、リズワンはぎりっと奥歯を噛み締めた。
 
 

ジーグが押されている。
 (まだら)の竜は倒した。
 これ以上アルテミシアを、

でいさせるわけにはいかない。
 ただの虐殺者となり果て、正気に戻ったとき、受ける心の傷の深さは計り知れないだろう。
 だが、今やアルテミシアの剣術はジーグを(しの)いでいる。

(アルテミシア竜の血のせいか。よほど親和性が高いらしい)

 死闘を繰り広げるふたりの動きを、リズワンの目が追い続けた。

 (あるじ)の短剣を弾き返しながら、ジーグは待っている。
 アルテミシアに(すき)が生まれる、その瞬間を。
 これまでの経験上、もうそろそろ、竜の血の効力が薄れてもいいころだ。
 
 鳩尾(みぞおち)に二発。
 それが(あるじ)

解除の方法。
 これまで失敗したことはないのだが……。
 
 衰える様子もない(あるじ)の動きに、ジーグはいつにないほどの焦りを感じていた。
 
 それほどまでに、心潰れる何かを知ったのか。
 怒りに飲み込まれ、竜の血に縛られてしまうほどの。
 
 短剣がうねりを上げて振り抜かれて、その切っ先がジーグの頬をかすめる。
 縮まった距離にすかさずジーグは蹴りを繰り出すが、アルテミシアの身のこなしは、それよりも速かった。
 がら空きのジーグの足元に体をねじ込んだアルテミシアは、大柄な剣士を投げ飛ばし、倒れたところに短剣を突き立てる。
 間一髪で転がり刃をよけたジーグは、アルテミシアに足払いを掛け、よろけたその鳩尾(みぞおち)(かかと)をめり込ませた。
「ぐっ……」
 体をくの字に折って、それでも膝はつかずにアルテミシアが後ずさっていく。
 同時にジーグも立ち上がるが、攻撃体制を整える暇はなかった。
 何の痛手も受けなかったかのようなアルテミシアが、再び襲いかかってくる。
 体をそらし、かろうじて斬り裂かれるのを免れたジーグの背に、冷や汗が流れた。

 息の根を止めようとしてくる(あるじ)を傷つけずに、その動きを封じる。
 封じなければならない。
 ただの幸運に過ぎないが、一発は入った。
 あと、もう一発。

(リズに頼ることになるか)

 剣を握る両手に、ジーグはぐっと力を入れた。

 リズワンをもうひとりの

としたのは、アルテミシアの願いだった。
「あたしは帝国の者じゃないし、根無し草だから、意味はないんじゃないか?」
 当初、断ろうとしたリズワンだったのだが。
「でも、私より強くないと意味がないんだもの。……ジーグも

できないなら、きっと私は厄災のような存在になる。そんな弟子を、師匠は放っておかないでしょう?」

 そのときはまさかと思っていた。
 リズワンも、自分も。
 アルテミシアが厄災になるなど。
 だが、諦めた潔い笑みを浮かべるアルテミシアに、リズワンは

となる暗示儀式を受けれたのだ。

(”二度と儀式はごめんだ”と怒らせてしまったが……。リズィエの判断は、間違ってなかったというわけだ)

 ジーグの視界の端に、弓を構える姉弟子がいる。
 ひとつ深呼吸をして、ジーグは集中を高めた。
 
 竜騎士を見守るレヴィアの瞳は、戸惑いに揺れるばかりだ。
 斑竜(まだらりゅう)が血の海に沈み、ヴァイノが傷つき、ジーグは焦燥を浮かべている。
 すべて、あの慕わしい竜騎士の仕業だ。
 深手を負ったヴァイノの額に(さらし)をきつく巻きながら、レヴィアの鼓動は、不規則に乱れている。

(あれが、”竜騎士の本当の姿”なの?)

 (さらし)を巻く指先の震えを押さえることができずに、何度も失敗してはやり直した。
「デンカっ!」
 ヴァイノの大声に顔を上げると、アルテミシアを羽交い絞めにしたジーグが目に飛び込んでくる。
「リズ!」
 暴れるアルテミシアの動きを全身で封じ、ジーグはその体の正面をリズワンに向けた。
 リズワンは矢じりの代わりに鉄球を取り付けた、特別製の矢を素早くつがえ、アルテミシアに狙いを定める。

「だめっ」
 大弓を引き絞るリズワンを見て、レヴィアは青ざめた。
「だめだよ!ミーシャを、殺さないで!」
「馬鹿者!リズを信じろ!来るなっ」
 拘束を振りほどこうと猛り狂うアルテミシアを押さえつけながら、ジーグが怒鳴る。
「来るな、戻れ!……ぐぅっ」
 走り出したレヴィアに気を取られたジーグのあごに、アルテミシアの後頭部が思い切りぶつけられた。
 緩んだジーグの腕からしなやかに抜け出した赤毛の騎士は、猛然とレヴィアに向かっていく。
「逃げろ、レヴィア!いつものリズィエではないんだっ」
「竜騎士になった貴女(あなた)がどんな存在でも!ミーシャはミーシャだよ!僕が、貴女(あなた)を恐れるはずがないよ!」
 あの夜、離宮の畑で。
 サラマリスであることに諦めきっているアルテミシアに伝えた、そのままの言葉をレヴィアは叫ぶ。
「ミーシャは、ミーシャだよ!!」
 力一杯、全霊でその存在を呼びながら、無表情で短剣を振りかぶって走るアルテミシアに、レヴィアは両手を差し出した。
「「!」」
 リズワンとジーグ。
 ふたりの

の視線の先で。
 レヴィアの喉元(のどもと)を切り裂く寸前で、アルテミシアの短剣がピタリと止まる。
「アルテミシア。僕の、竜騎士」
 首に刃の冷たさを感じながらも、レヴィアは両の手のひらでアルテミシアの頬を包み込んだ。
 若草色の瞳に生気が(とも)り、揺らぎ、レヴィアに焦点が合わせられていく。
「……レヴィ?」
「うん。お帰り、アルテミシア」
「……レヴィ……」
 短剣を握る両手がだらりと下がり、アルテミシアの瞳から、湧水(わきみず)のように涙があふれだした。
 頬にこびりついた返り血が一筋、また一筋と消えていく。
「名前、上手に呼べるようになったよ。改名しなくて、よかったでしょう?」
 得意そうな顔をするレヴィアに、アルテミシアの微笑が返された。

(解除が成った?だが、なぜ……)

 信じられない思いで、ジーグはアルテミシアとレヴィアを見つめる。
 (あらかじ)め定められた「契約者」による、(あらかじ)め決められた部位への打撃。
 それが、竜の血を用いた強力な戦闘暗示の解除方法だと、サラマリス当主と(あるじ)から伝えられていたのだが。
 
(不十分だったはずだ……。が、今は良しとすべきか)

 疑問は後回しにして、ジーグは頭を切り替える。

(この(いくさ)に決着をつけるほうが先だ)

「ここで引いては、我らの未来はないぞ!」
 屈せず戦うレゲシュ軍将の呼号がいまだ平原に響き、ここを背水の陣と、従う兵士たちの殺気も高まっているようだ。
 
 戦況を見極めるため、ジーグがふたりから目を離した、そのとき。
「ジグワルド!」
 リズワンの叱咤(しった)する声が鼓膜に刺さった。
 ジーグが目を戻すと、思い切りレヴィアを突き飛ばしたアルテミシアが、攻撃態勢を取っている。

 キィン!
 
 金属音とともに、忌々しげな舌打ちがレヴィアの耳を打つ。
「……カーフ?」
 尻もちをついたレヴィアが見上げる先にいるのは、目深(まぶか)にかぶった革兜(かわかぶと)で顔は隠されているが、確かにトレキバの家令だ。
 細身の剣がアルテミシアの激しい攻撃を受け、火花を散らしている。
「くそっ」
 いったん距離を取ったカーフレイが、腰を落として顔面に剣を構えた。
「小賢しい」
 繰り出された剣さばきは鮮やかであったが、アルテミシアの敵ではない。
 右手の短剣でカーフレイの刃を跳ね除けると、左手の短剣が革兜(かわかぶと)を斬り裂いた。
「っ!!」
 忌まわしげな(なまり)色の瞳が、露わになる。
「帝国貴族のお前が、なぜトーラの混じり者ごときを守り戦うのだ!」
「なぜ?馬鹿なことを聞くなっ」
 大地を蹴ったアルテミシアが、目にもとまらぬ速さでカーフレイに斬りかかっていく。
「私の大切な(あるじ)だからだ!二度と手を出すな!!」
 カーフレイの剣を弾き飛ばした二本の短剣が、陽射しを反射させてギラリと光った。 
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