祈りの歌

エピソード文字数 3,303文字

 トーラ王子二人に儀礼的な挨拶をするころには、ディデリスはすっかり彫像に戻っていた。
「罪人を連れ一度戻るが、遠くないうちに親書を送ろう。その後また来訪する」
「何のために?」
 レヴィアの鋭いまなざしがディデリスに突き刺さる。
「帝国の不始末の謝罪と、引き起こされるはずだったさらなる悲劇を、未然に防いでもらった謝礼に」
「必要ありません。僕たちも助けられ、むぐ」
 いつになく強気な弟の口をクローヴァが(ふさ)いだ。
「お待ちしております。いずれ、チェンタ族長国とアガラム王国も含めた、一大合議を開催しようと思っております。ディアムド帝国に加わっていただけるのならば、これほど名誉で心強いことはありません」
 柔和な笑みと剣呑(けんのん)な瞳を同居させる第一王子を眺めながら、ディデリスは無言でトーラの礼を取って了承を伝えると(きびす)を返した。
 帝国竜騎士の姿が見えなくなってから、クローヴァがレヴィアの横顔を確かめる。
 弟は一目でわかるほど不機嫌な顔をしていた。
(まつりごと)に私情を(はさ)んでは駄目だよ」
 微笑ましく思いながらも一応兄として、為政に関わる者としてたしなめる。
「アルテミシアが最優先に決まっています」
 レヴィアはふい、と顔を背けた。
 おや。
 クローヴァは目を見張る。
 いつもならば、素直にうなずいてくれるだろうに。
 初めてクローヴァに反抗したレヴィアは、兄を振り返ることもなく、さっさと天幕の中へと入っていった。

 レヴィアは小走りになるほど急いで、アルテミシアの枕元にひざまずいた。
 褐色の手が柔らかくアルテミシアの首元に当てられ、その熱を計る。
「あまり下がらないね。痛みは?…そう。別の薬茶を調合するね」
 レヴィアを見つめる、熱のせいだけではなく潤む若草色の瞳が切ない。
「ミーシャ。もう、我慢しなくていいよ。いいんだよ。大丈夫だよ。ミーシャは、頑張ったよ」
 ゆったりとしたレヴィアのトーラ語を聞いた途端(とたん)、アルテミシアの涙が(あふ)れ出した。
 レヴィアの腕に(すが)りつき、嗚咽(おえつ)を殺しながらアルテミシアは泣き続ける。
 どのくらい辛かっただろう。辛いだろう。いくら泣いたって、アルテミシアの悲しみは、きっと消えない。
 ただこの美しい涙が、アルテミシアの大切な人に届きますように。
 レヴィアはそう祈りながら、アルテミシアの肩を(さす)り続けた。
「あの彫像騎士は」
 少し離れた場所で二人を見守りながら、クローヴァは落とした声でジーグに尋ねる。
「リズィエの前だとどこにでもいる、いや、どこにでもはいないけれど、普通に血の通った人間のようなんだね」
 ジーグから尋ね顔を向けられ、クローヴァは悪戯(いたずら)そうな顔をしながら、(ふところ)に忍ばせた小さな鏡をちらりと見せた。
「寝台に縛りつけられた生活が長かったからね。ダヴィドに頼んで、差し入れてもらった物だよ。寝首を掻かれないようにね。…まあ、話している詳しい内容までは、さすがにわからなかったけれど」
 なるほど。ジーグは納得した。
 監禁中、命を守るために身に付けた(すべ)を用いて、天幕の外にいながら中の様子をうかがっていたのか。
 落ち着いてきたアルテミシアが、レヴィアの腕から顔を上げた。
 若草色の瞳に()まった涙を優しい指で(ぬぐ)うと、レヴィアは微笑みを向けながらゆっくりと立ち上がる。
 クローヴァがさらに声を落とした。
「それにしても、あれは帝国での普通の挨拶?」
 琥珀(こはく)の瞳がクローヴァを凝視する。
「普通の、挨拶…。額への口付けですか?」
 ジーグも声を低くした。
「そう。トーラでは口付けは恋人同士のものか、家族でも幼子へのものだからね。従兄妹(いとこ)同士だとしても過度な触れ合いだと思ったけれど、副隊長もしていた。あれは、帝国の流儀なの?」
「帝国と言うより、竜族の慣習です。無防備な頭部への口付けは信頼の(あかし)。ただし、上の者が下の者に許す行為です」
「リズィエはあの彫像騎士よりも上の立場なの?サラマリス当主の姫だから?」
「それもありますが」
 ジーグの視線は床に落ちる。
「サラマリスの血を引く女性は特別の存在です。もともとサラマリス家の子女(しじょ)は病を得がちで育ちにくい。加えて何かと暗殺の対象となるので、子どもの死亡率が高いのです。実際リズィエもあの男も、幼少期何度か危険に(さら)されています」
 主筋(あるじすじ)であったサラマリス家の竜騎士を、ジーグは複雑そうに「あの男」と呼ぶ。
 胸に引っ掛かりを感じながら、クローヴァは剣士を見つめ続ける。
「ですからサラマリスの者が成人すると、一族あげての祝賀の(うたげ)が設けられますし、特に子を成すことのできる女性は、特別の存在なのです。当主には年の離れた妹御がいらっしゃるのですが、当主もその兄上も妹御には逆らえず、言いなりと言ってよいほどでした。とはいえ、サラマリス一族はあまり表情を動かさないので、(はた)から見れば、奇妙な可愛がり方でしたが」
 ジーグは懐かしそうな苦笑いを浮かべた。
「あの冷静な当主も、滅多に表情筋を動かさない兄上も。妹御の額に口付けるときだけは、“慈しんでいる”と、誰もがわかるお顔をされていらっしゃいました」
「そう、なんだね。ならば後で、レヴィアに教えてあげないと」
 クローヴァが小さく笑う。
「口付けられるリズィエが鏡に映るたび、それは怖い顔をしていたから」
 兄と師匠が見守る中、レヴィアは調合した薬草と茶葉に、丁寧に湯を注いでいる。
「あの子は、自分の気持ちに気がついたんだね。あとはどういう意図があるのか…」
 クローヴァの瞳が、探る色を浮かべてアルテミシアに注がれていた。
 さらに熱が上がったのか、アルテミシアの唇から浅く、速い呼吸が漏れている。
「少し、無理しちゃったね」
 十分冷ました薬茶を持って戻ったレヴィアが、その乾いた唇に優しく吸い口を乗せた。
 アルテミシアの白い(のど)がゆっくりと動き、薬茶を飲み込んでいく。
 苦しそうな息遣いの中、アルテミシアが短く笑った。
「これ、(すみれ)の香りがする。トレキバで()れてくれた味だ」
―ミーシャは心が痛いんだよ―
 まだ人の手を怖がっていた小さなレヴィアが、自分のために()れてくれた薬茶の味が舌によみがえる。
「うん。砂糖漬けを入れたんだ。口に合う?」
「いい香り。美味しい。もっと飲みたい」
「お腹は?苦しくない?」
 吸い口を傾けるレヴィアは心配そうだ。
「ない。…ん、本当に美味しい」
 用意した半分以上も飲むことができたアルテミシアに、レヴィアの表情がほっと緩む。
「だいぶ汗をかいたね。メイリを呼んで、体を()いてもらおうね。それから張り薬を換えて…、あ、その前に、少し眠る?疲れたよね」
 レヴィアを見ている若草色の瞳に笑みが浮かぶ。
「そうだな。少し眠い。眠り草を入れた?」
「入れてないよ。自然に眠くなったのならよかった。ゆっくり休んで。また、来るから」
 立ち去ろうとしたレヴィアの(そで)を、アルテミシアがきゅっとつかんだ。
「どうしたの?まだ、辛い?」
 気遣わしそうなレヴィアに、アルテミシアはゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫。でもレヴィ、歌って?お母様の歌。あの旋律は、すごく好きなんだ」
 旋律というより、レヴィアの歌声が好きなんだ。
 そう続けようとして、アルテミシアは口を閉じた。なぜだか言葉に出せなかった。
「いいよ、もちろん」
 アルテミシアが迷っているうちに、レヴィアが再び枕元に(ひざ)をつき、歌い始める。
「懐かしく愛しい、遥かなる者。今は安らぎ、静かに眠る…」
 アルテミシアが目を閉じた。異国の調べとレヴィアの柔らかいアガラム語の歌声が、心と体の痛みを(ぬぐ)っていく。
 兄と従者は足音を立てないように、二人を残して静かに天幕を後にした。
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