過去との対峙 -1-
文字数 3,313文字
チェンタ族長国には山城 が多く、ディアムド帝国とトーラ王国の会談場所として選ばれたのも、そんな城のひとつであった。
外観はただの要塞のようではあるが、一歩内部に足を踏み入れると、その印象はがらりと覆 される。
防寒用の、暖かく色鮮やかな毛織物がそこかしこに敷き詰められ、内部は明るく暖かい。
チェンタ族長国の寒さを覚悟してきたディアムド帝国側だが、拍子抜けするほど快適な廊下を通されていた。
「城内は暑いくらいだな」
分厚い上着の襟 を緩めながら、副隊長がディデリスに囁 く。
「生活技術水準はかなり高いからな。小国だと侮 っては、」
「とはいえ、弱小国には違いないだろう」
シワとシミの目立つ顔を侮蔑的に歪 ませて、老齢の男が会話に割り込んできた。
「うちが鉱物を買ってやらなくなったら、こんな国はすぐに潰れる」
「クラディウス伯父上」
「伯父」とは呼んだものの、クラディウスとディデリスとは、直接の血のつながりはない。
(”すべての赤竜家は同一の血統とみなす”など、ばかばかしい慣習だ。この死にぞこないは、当主の座にいつまでしがみつくつもりだろうな)
心の中の毒吐 きなどおくびにも出さず、ディデリスは涼しいまなざしを後方に送る。
「チェンタの鉱物は特産が多く、諸国と広く交易があります。帝国は付き合いの長さから、優先的に融通していただいている立場です。尊重すべき隣国ですよ」
「っ!」
さっと顔を赤くしたクラディウスの唇が、ひくひくと痙攣 した。
「ああ、そのようなことは、長く竜家をご統率されている伯父上には、周知のことでしたね。若輩者が過ぎた口を利きました。先ほどのご発言は、昨今の帝国の方針である、チェンタとのつながりを強固にすることへの賛意でありましたか」
ここで否定すれば、国の方針に異を唱えたことになる。肯定すれば、ディデリスの意見を支持したことになる。
「むぅ……」
(ほぅ、少しは判断力が残っていたか。しかし、案内人が流暢 なディアムド語を扱っていた時点で、むやみな発言は足元をすくわれると、わかりそうなものを)
苦り切った顔をそらした老人に向けたディデリスの瞳は、酷薄で冷たいものだった。
「ディアムド帝国、特使の皆さまがお着きになられました」
「入ってもらえ」
案内人の合図に、ボジェイク老長のしわがれたディアムド語が返ってくる。
大きく開けられた扉からディデリスが部屋に入ると、黒の軍服に身を包んだ、大柄な剣士が立ち上がった。
(……ひとり、か?)
鷹 が彫られた銀の飾留 めが胸元で光り、黒の肩羽織がゆったりと揺れている。
その腰に佩 いているのは、彼以外の誰も扱えないだろう大剣 。
「ご無沙汰しております。ディアムド帝国皇帝直属赤竜軍、第一部隊長、ディデリス・サラマリス公」
深く頭を下げる剣士に、ディデリスは優雅な礼を返した。
「やはり貴殿でありましたか。書状をいただいたときにはまさか、と思っておりましたが。カザビアからディアムド、そしてトーラ。さすが伝承とまで言われる剣技をお持ちの方だ。フリーダ卿は、生き残るのがお上手でいらっしゃる」
「おほめいただき、ありがとうございます」
形ばかりの礼を口にするジーグを前に、ディデリスの左手が握り込まれる。
「固い挨拶はそこまでだ。親睦の会談だろう。ディアムドもトーラも楽にしてくれ」
特使たちに座るよう促 したボジェイクが、方卓を拳 で三回叩いた。
「失礼いたします」
その合図に呼応して、年若い使用人がお茶を持って入ってくる。
「夜なら酒なんだがな。……お代わりが入用 かもしれないから、お前は向こうで控えていろ」
ボジェイクが部屋の隅を目で示すと、両膝 を曲げて畏 まった使用人は、用意されていた衝立 の影に下がっていった。
(まだ子供のようだが、ディアムド語に不自由がないのか。……さすが、よく躾 けられている)
先ほどの案内人も、今の使用人も。
おそらく、数か国語を修得しているに違いない。
ディデリスは改めて、チェンタ族長国の力量に瞠目した。
供された茶を口に含んだ副隊長が、驚きの声を上げる。
「あれ?珍しい味ですね。帝国では飲んだことがない。すっきりしてるのに、ほのかに甘い。しかも、体が温まるようです」
「トーラの薬茶だ。美味いだろう?土産にもらったんだが、すっかり気に入ってな。今度から仕入れることにしたんだよ。
ボジェイクは目配せを送るが、クラディウスは返事もせず、茶に手を伸ばすこともしない。
その隣に座るディデリスは、洗練された所作で茶碗を口に運んだ。
「清涼味が何とも上品です。この味で薬茶でもあるとは。今までトーラと帝国は関係が薄かった。国交締結と同時に、交易の話も進めたいですね」
「交易に関して、私に権限はありません。外交についてはさらに門外漢です」
ディデリスの提案を、ジーグはにべもなく一蹴 する。
「ここで是も非も申し上げられない。正式な書状をトーラ国宛てにお送りいただければ、然るべき者が対処いたします」
(無駄な約束はしない、か)
何の感情も読ませない剣士を観察するディデリスの隣で、とうとうクラディウスがしびれを切らした。
「茶の話などもういいだろう、ジーグ・フリーダ!どうしてトーラに竜がいるんだ?お前が持ち出したのか?」
突然、金切声を上げたクラディウスを、ディデリスは横目でにらむ。
(これだから、こいつを連れてくるのは嫌だったんだ。サラマリス家の食客だったとはいえ、今は相手国の特使だぞ)
他国の竜に関する会談が、隣国チェンタで開催されるという話をどこで聞きつけたのか。
クラディウスは自分も出席させろと、しつこくディデリスに迫った。
サラマリス領に近い都市での開催ならば、赤竜一族の者として、同席を許されると踏んだらしい。
竜騎士同士の会談だからと断ると、ならばドルカ家の竜騎士、ディデリスの部下でもあるグイドを同伴させろと、さらにごり押しを続けた。
その粘着な行動は準備にも影響を与え始め、発言しないことを条件に同席を許したのだが。
ジーグが極めて軽い笑みを浮かべている。
「竜族ではない者には不可能なことでしょう」
「では、誰が!」
クラディウスは憤懣 を隠しもせずに語気を強めた。
「誰が竜を盗んだんだ!」
「クラディウス・ドルカ公」
重く硬質な声で、ディデリスは伯父の正式名称を呼ぶ。
「トーラ国の竜が帝国の竜ではないことは、赤竜軍、黒竜軍ともに了解しております。皇帝陛下もご承認済み。それを盗んだとは、皇帝陛下のご判断に疑義ありと?」
「……っ」
鼻にしわを寄せたクラディウスが口を閉じ、ジーグは笑みを張りつけたまま、赤竜族のふたりをじっと観察し続けた。
クラディウスからは、ディデリスに対する敬意や気遣いなどは微塵 も感じられない。
竜家以外の貴族でさえ、サラマリス家の人間にはもっと謙 るものを。
まして赤竜族の者が、領袖 家の人間に取る態度ではない。
(……もう少し、煽 ってみるか……)
ジーグは腹の内とは真逆の、神妙な表情を作ってみせる。
「確かに、竜は帝国あってのもの、と言えましょう」
その発言に、我が意を得たりと言わんばかりの顔をクラディウスが上げた。
「つまり、トーラの竜も、帝国の帰属であるべき、かもしれないと」
(試されている)
察したディデリスは即座に口を開く。
「そんなことは」
「当たり前だ!すべての竜は帝国の物だ!」
こちらの思惑を台無しにしてくれたクラディウスに、翡翠 の目が怒りを通り越して呆れを浮かべた。
(木屑 でもあるまいし。こんなに簡単に焚 きつけられて。……それにしても、ずいぶんと固執するな。ドルカ如 きが)
ディデリスは横目で、名ばかりの伯父を注視した。
「竜に関して、私が話せることはありません。ドルカ家当主殿のお望みのお話は、わが国の竜騎士がいたします。入れ」
「失礼いたします」
廊下から聞こえてきたのは、凛とした涼やかな声。
ディデリスは即座にクラディウスから目をそらし、扉に顔を向ける。
軽い音を立てて、扉が開いていく。
ひとつ大きく息を吸い込んだディデリスは、魂を奪われたかのように、そのまま呼吸を止めた。
外観はただの要塞のようではあるが、一歩内部に足を踏み入れると、その印象はがらりと
防寒用の、暖かく色鮮やかな毛織物がそこかしこに敷き詰められ、内部は明るく暖かい。
チェンタ族長国の寒さを覚悟してきたディアムド帝国側だが、拍子抜けするほど快適な廊下を通されていた。
「城内は暑いくらいだな」
分厚い上着の
「生活技術水準はかなり高いからな。小国だと
「とはいえ、弱小国には違いないだろう」
シワとシミの目立つ顔を侮蔑的に
「うちが鉱物を買ってやらなくなったら、こんな国はすぐに潰れる」
「クラディウス伯父上」
「伯父」とは呼んだものの、クラディウスとディデリスとは、直接の血のつながりはない。
(”すべての赤竜家は同一の血統とみなす”など、ばかばかしい慣習だ。この死にぞこないは、当主の座にいつまでしがみつくつもりだろうな)
心の中の
「チェンタの鉱物は特産が多く、諸国と広く交易があります。帝国は付き合いの長さから、優先的に融通していただいている立場です。尊重すべき隣国ですよ」
「っ!」
さっと顔を赤くしたクラディウスの唇が、ひくひくと
「ああ、そのようなことは、長く竜家をご統率されている伯父上には、周知のことでしたね。若輩者が過ぎた口を利きました。先ほどのご発言は、昨今の帝国の方針である、チェンタとのつながりを強固にすることへの賛意でありましたか」
ここで否定すれば、国の方針に異を唱えたことになる。肯定すれば、ディデリスの意見を支持したことになる。
「むぅ……」
(ほぅ、少しは判断力が残っていたか。しかし、案内人が
苦り切った顔をそらした老人に向けたディデリスの瞳は、酷薄で冷たいものだった。
「ディアムド帝国、特使の皆さまがお着きになられました」
「入ってもらえ」
案内人の合図に、ボジェイク老長のしわがれたディアムド語が返ってくる。
大きく開けられた扉からディデリスが部屋に入ると、黒の軍服に身を包んだ、大柄な剣士が立ち上がった。
(……ひとり、か?)
その腰に
「ご無沙汰しております。ディアムド帝国皇帝直属赤竜軍、第一部隊長、ディデリス・サラマリス公」
深く頭を下げる剣士に、ディデリスは優雅な礼を返した。
「やはり貴殿でありましたか。書状をいただいたときにはまさか、と思っておりましたが。カザビアからディアムド、そしてトーラ。さすが伝承とまで言われる剣技をお持ちの方だ。フリーダ卿は、生き残るのがお上手でいらっしゃる」
「おほめいただき、ありがとうございます」
形ばかりの礼を口にするジーグを前に、ディデリスの左手が握り込まれる。
「固い挨拶はそこまでだ。親睦の会談だろう。ディアムドもトーラも楽にしてくれ」
特使たちに座るよう
「失礼いたします」
その合図に呼応して、年若い使用人がお茶を持って入ってくる。
「夜なら酒なんだがな。……お代わりが
ボジェイクが部屋の隅を目で示すと、
(まだ子供のようだが、ディアムド語に不自由がないのか。……さすが、よく
先ほどの案内人も、今の使用人も。
おそらく、数か国語を修得しているに違いない。
ディデリスは改めて、チェンタ族長国の力量に瞠目した。
供された茶を口に含んだ副隊長が、驚きの声を上げる。
「あれ?珍しい味ですね。帝国では飲んだことがない。すっきりしてるのに、ほのかに甘い。しかも、体が温まるようです」
「トーラの薬茶だ。美味いだろう?土産にもらったんだが、すっかり気に入ってな。今度から仕入れることにしたんだよ。
年寄り
の体には、特にいいらしい」ボジェイクは目配せを送るが、クラディウスは返事もせず、茶に手を伸ばすこともしない。
その隣に座るディデリスは、洗練された所作で茶碗を口に運んだ。
「清涼味が何とも上品です。この味で薬茶でもあるとは。今までトーラと帝国は関係が薄かった。国交締結と同時に、交易の話も進めたいですね」
「交易に関して、私に権限はありません。外交についてはさらに門外漢です」
ディデリスの提案を、ジーグはにべもなく
「ここで是も非も申し上げられない。正式な書状をトーラ国宛てにお送りいただければ、然るべき者が対処いたします」
(無駄な約束はしない、か)
何の感情も読ませない剣士を観察するディデリスの隣で、とうとうクラディウスがしびれを切らした。
「茶の話などもういいだろう、ジーグ・フリーダ!どうしてトーラに竜がいるんだ?お前が持ち出したのか?」
突然、金切声を上げたクラディウスを、ディデリスは横目でにらむ。
(これだから、こいつを連れてくるのは嫌だったんだ。サラマリス家の食客だったとはいえ、今は相手国の特使だぞ)
他国の竜に関する会談が、隣国チェンタで開催されるという話をどこで聞きつけたのか。
クラディウスは自分も出席させろと、しつこくディデリスに迫った。
サラマリス領に近い都市での開催ならば、赤竜一族の者として、同席を許されると踏んだらしい。
竜騎士同士の会談だからと断ると、ならばドルカ家の竜騎士、ディデリスの部下でもあるグイドを同伴させろと、さらにごり押しを続けた。
その粘着な行動は準備にも影響を与え始め、発言しないことを条件に同席を許したのだが。
ジーグが極めて軽い笑みを浮かべている。
「竜族ではない者には不可能なことでしょう」
「では、誰が!」
クラディウスは
「誰が竜を盗んだんだ!」
「クラディウス・ドルカ公」
重く硬質な声で、ディデリスは伯父の正式名称を呼ぶ。
「トーラ国の竜が帝国の竜ではないことは、赤竜軍、黒竜軍ともに了解しております。皇帝陛下もご承認済み。それを盗んだとは、皇帝陛下のご判断に疑義ありと?」
「……っ」
鼻にしわを寄せたクラディウスが口を閉じ、ジーグは笑みを張りつけたまま、赤竜族のふたりをじっと観察し続けた。
クラディウスからは、ディデリスに対する敬意や気遣いなどは
竜家以外の貴族でさえ、サラマリス家の人間にはもっと
まして赤竜族の者が、
(……もう少し、
ジーグは腹の内とは真逆の、神妙な表情を作ってみせる。
「確かに、竜は帝国あってのもの、と言えましょう」
その発言に、我が意を得たりと言わんばかりの顔をクラディウスが上げた。
「つまり、トーラの竜も、帝国の帰属であるべき、かもしれないと」
(試されている)
察したディデリスは即座に口を開く。
「そんなことは」
「当たり前だ!すべての竜は帝国の物だ!」
こちらの思惑を台無しにしてくれたクラディウスに、
(
ディデリスは横目で、名ばかりの伯父を注視した。
「竜に関して、私が話せることはありません。ドルカ家当主殿のお望みのお話は、わが国の竜騎士がいたします。入れ」
「失礼いたします」
廊下から聞こえてきたのは、凛とした涼やかな声。
ディデリスは即座にクラディウスから目をそらし、扉に顔を向ける。
軽い音を立てて、扉が開いていく。
ひとつ大きく息を吸い込んだディデリスは、魂を奪われたかのように、そのまま呼吸を止めた。