美しい日-1-
文字数 3,102文字
ギードの教えてくれた平原は広く、スィーニは嬉しそうに何度も空を舞う。
濃藍 から青藍 の濃淡を持つ翼が陽にきらめき、「青の女王」とでも言いたいほどの美しさだ。
レヴィアが節をつけた指笛を吹くと、上空を旋回していたスィーニが羽を折りたたみ、急降下を始める。
そして、ふたりの頭上で再び羽を広げると、ふわりと大地に降り立った。
「賢いな!一回で覚えるなんてさすがだ」
スィーニは「竜にしては華奢 だ」とアルテミシアが言う首を伸ばして、紅い巻き毛がかかる頬に嘴 を擦 りつける。
全身青いスィーニの羽の中で、そこだけ鮮やかに紅 い冠羽が、アルテミシアの長い髪と絡まった。
「ふふ、スィーニは本当に器量良 しだな。こんなに美しい仔は見たことがない。……飛ぶ仔も」
ディアムズは早く走る脚が発達している代わりに、羽根が退化している鳥類である。
だから、成長するにつれて羽根が伸びだしたスィーニに、さすがのアルテミシアも度肝を抜かれた。
そんなディアムズは見たことがなかったから。
「よし、次は騎乗して指示を出そう」
アルテミシアが言葉にしたとたんに、スィーニはふたりが乗りやすいよう体をかがめる。
「聡 い仔だな」
その頬から首にかけてをなでながら、アルテミシアは鞍 に飛び乗った。
「レヴィ」
伸ばされたアルテミシアの手を取り、レヴィアがその背中を抱 えるように騎乗する。
「急旋回 させながら、あの敵に見立てた丸太に弓を引け。スィーニの動きに、体がぶれないように」
「うん!」
レヴィアの指笛が平原に響き渡ると、スィーニが大きく羽を広げて大空へと舞い上がった。
スィーニとレヴィアは息を合わせて、互いの負担にならない乗り方を工夫していく。
二、三度騎乗するうちに、レヴィアからはぎこちなさも緊張もすっかり取れていった。
「うん、ふたりとも最高だ!」
「クるるる」
アルテミシアの称賛に、スィーニがわずかに首を曲げて振り返る。
「ふふ、嬉しいんだね」
「クる、クるるる」
「のどが、乾いたんだね。向こうに川が見えたよ。行こう?」
レヴィアが言い終わる前に、スィーニは羽ばたきながら方向を変えた。
「スィーニは相変わらず舌を巻かないな。しかも、本当に賢い。さすがレヴィの竜だ」
「ロシュも、指笛吹く前に、行動するよね」
「ん。とびきり優秀な仔たちだ。今度はロシュとも来よう。疑似戦闘訓練もしないと」
「じゃあ、二頭で来るんだね」
「そうだな。そのときは遠乗りにならないが仕方ない。レヴィと一緒に乗るほうが楽しいけれど」
残念そうなアルテミシアの声にレヴィアの胸が騒ぐ。
聞きたいことがあるような気がするけれど、それが何なのかがわからず、モヤモヤした気分になるのだ。
◇
アスタがリズワンの弟子になる、少し前のこと。
闘技場として使っている、かつてレヴィアが父王と剣を交えた広間の前で、ラシオンがアルテミシアに声をかけた。
「お嬢!」
ラシオンは親指を立てて、くいくいと室内を指し示した。
「リズ姐仕込みの体術ってやつ、俺に教えてくんねぇ?こないだ姐さんに手合せ願ったら、ボッコボコにされて天国が見えてさぁ。俺は貴女 の敵ですかってくらいよ」
「はは!リズは手加減しないからな。私もしないぞ?」
「いやそこはさ、教えを乞うているわけですから、リズィエ」
「まあ、いいだろう。もうすぐレヴィアも来るし」
「殿下も?」
イタズラそうに目を輝かせるラシオンに、アルテミシアがうなずく。
「ジーグの座学のあとでな」
「まだ教わることがあんのか?」
「いや、主にヴァイノたちの監視」
「あー、あいつら、すぐ逃げっからなぁ。でも、だいぶ作法も身についてきたよな。あれならトゥクースに連れて行ける。トーレなんか、貴族の若でも通るくらいだ。よし、俺も精進だ!お嬢師匠、よろしくお願いいたします!」
「了解!」
ラシオンとアルテミシアの拳 がコツンとぶつけられた。
そんなレヴィアが広間に顔を出したのは、アルテミシアとラシオンが組手をしているさなかであった。
身長差をものともせず、ラシオンの懐 に入ったアルテミシアの拳 が繰り出される。
すかさずラシオンはその腕をつかむが、容易 く足払いを食らい、肩をひねられて床に投げ落とされた。
「うっわ、今のなに!どうやってんの?」
驚嘆しながら起き上がったラシオンの目に、入り口にたたずんでいるレヴィアが映る。
組み手をしている自分たちに戸惑い、声をかけあぐねている様子だ。
(……ふーん……)
ラシオンはニヤニヤしながら立ち上がると、背を向けているため、レヴィアに気がついていないアルテミシアに体を寄せる。
「お嬢、今の教えてよ。俺がこう、腕を取っただろ?」
するりと。
ラシオンの手が、アルテミシアの二の腕から手首までをなで下ろす。
「そんなゆっくりじゃなかったろう。それだと相手の反動を使えない。もう少し」
「こうかなぁ」
今度は肩に腕を回して、ラシオンはアルテミシアを自分の胸元に抱き込んだ。
「お嬢、なんかいいニオイすんなぁ」
頬を寄せてのぞき込んでくるラシオンを、冷たい鮮緑の瞳がにらみ上げ……。
ドズ!
鈍い音が広間に響いた。
「ふざけるなら、もう教えないぞ!」
「ぐはっ」
鳩尾 に一発食らったラシオンの体がくの字に折れる。
「あの、ミーシャ……」
「レヴィ!遅かったな!……どうした?」
温度のない目をラシオンに向けているレヴィアに、アルテミシアは首を傾けた。
「ラシオンが気になるのか?」
未だ腹を抱えているラシオンの頭に、アルテミシアは肘 をぐりぐりとめり込ませる。
「リズにボコボコにされたから、一緒に稽古 をしたいそうだ。構わないだろう?」
「いい、けど」
レヴィアは無表情のまま、あごを下げる。
(なんか、気持ち悪い……)
不安と不快が混ざった、ざらざらした気持ちが腹の底から湧き上がり、その強い感情が、レヴィアから表情と言葉を奪ってしまっていた。
その後、レヴィアがラシオンと組手をしていたとき。
アルテミシアの肩を抱き、顏を寄せていたあの姿が胸をよぎった瞬間、レヴィアの本気の回し蹴りがラシオンの横腹にさく裂した。
「ぐはっ」
「ラシオン!」
駆け寄ったアルテミシアが、床に倒れたラシオンを抱き起しながらレヴィアを振り仰ぐ。
「レヴィ、やり過ぎだ。らしくないぞ」
「あ……、あの、ごめん、なさい」
「あー、自業自得だな、こりゃ。悪かったな、レヴィア」
しょげた様子で座り込むレヴィアに、ラシオンは軽く笑いかけた。
「何でラシオンが謝る?」
「からかい過ぎたからさ」
ラシオンはひょいと身軽に立ち上がって、アルテミシアの肩をぽんと叩く。
「ありがとな、お嬢。……うっし、汗かいたことだし、湯でも使ってくるわ。あとはおふたりさんでどーぞ。……イテテ、結局ボコボコじゃねぇか……」
広間を出てくラシオンに、アルテミシアは目をぱちくりとさせるばかりだ。
「まあ、ああ言っているから、ラシオンは大丈夫だろう。それより、レヴィ」
上目遣いで見上げるレヴィアの頬に、アルテミシアがそっと手を伸ばした。
「何か嫌なことでもあったか?レヴィが加減できないなんて、よほどだろう」
「よほど」「嫌なこと」。
そう言われてレヴィアが思い浮かべるのは、ラシオンの胸に抱き寄せられていたアルテミシアの姿。
「……わからない。とうして、こんな気持ちになるのか」
「ふーん?……ま、そういうときもあるな。よし、そんなものは体を動かして、さっさと忘れるに限る。レヴィ、本気を出せよ。私はラシオンより強いから、何も心配いらないぞ」
「……うん」
相変わらずのアルテミシアを見ているうちに、ほんの少し、レヴィアの胸のモヤモヤが薄らいだ。
レヴィアが節をつけた指笛を吹くと、上空を旋回していたスィーニが羽を折りたたみ、急降下を始める。
そして、ふたりの頭上で再び羽を広げると、ふわりと大地に降り立った。
「賢いな!一回で覚えるなんてさすがだ」
スィーニは「竜にしては
全身青いスィーニの羽の中で、そこだけ鮮やかに
「ふふ、スィーニは本当に
ディアムズは早く走る脚が発達している代わりに、羽根が退化している鳥類である。
だから、成長するにつれて羽根が伸びだしたスィーニに、さすがのアルテミシアも度肝を抜かれた。
そんなディアムズは見たことがなかったから。
「よし、次は騎乗して指示を出そう」
アルテミシアが言葉にしたとたんに、スィーニはふたりが乗りやすいよう体をかがめる。
「
その頬から首にかけてをなでながら、アルテミシアは
「レヴィ」
伸ばされたアルテミシアの手を取り、レヴィアがその背中を
「
「うん!」
レヴィアの指笛が平原に響き渡ると、スィーニが大きく羽を広げて大空へと舞い上がった。
スィーニとレヴィアは息を合わせて、互いの負担にならない乗り方を工夫していく。
二、三度騎乗するうちに、レヴィアからはぎこちなさも緊張もすっかり取れていった。
「うん、ふたりとも最高だ!」
「クるるる」
アルテミシアの称賛に、スィーニがわずかに首を曲げて振り返る。
「ふふ、嬉しいんだね」
「クる、クるるる」
「のどが、乾いたんだね。向こうに川が見えたよ。行こう?」
レヴィアが言い終わる前に、スィーニは羽ばたきながら方向を変えた。
「スィーニは相変わらず舌を巻かないな。しかも、本当に賢い。さすがレヴィの竜だ」
「ロシュも、指笛吹く前に、行動するよね」
「ん。とびきり優秀な仔たちだ。今度はロシュとも来よう。疑似戦闘訓練もしないと」
「じゃあ、二頭で来るんだね」
「そうだな。そのときは遠乗りにならないが仕方ない。レヴィと一緒に乗るほうが楽しいけれど」
残念そうなアルテミシアの声にレヴィアの胸が騒ぐ。
聞きたいことがあるような気がするけれど、それが何なのかがわからず、モヤモヤした気分になるのだ。
◇
アスタがリズワンの弟子になる、少し前のこと。
闘技場として使っている、かつてレヴィアが父王と剣を交えた広間の前で、ラシオンがアルテミシアに声をかけた。
「お嬢!」
ラシオンは親指を立てて、くいくいと室内を指し示した。
「リズ姐仕込みの体術ってやつ、俺に教えてくんねぇ?こないだ姐さんに手合せ願ったら、ボッコボコにされて天国が見えてさぁ。俺は
「はは!リズは手加減しないからな。私もしないぞ?」
「いやそこはさ、教えを乞うているわけですから、リズィエ」
「まあ、いいだろう。もうすぐレヴィアも来るし」
「殿下も?」
イタズラそうに目を輝かせるラシオンに、アルテミシアがうなずく。
「ジーグの座学のあとでな」
「まだ教わることがあんのか?」
「いや、主にヴァイノたちの監視」
「あー、あいつら、すぐ逃げっからなぁ。でも、だいぶ作法も身についてきたよな。あれならトゥクースに連れて行ける。トーレなんか、貴族の若でも通るくらいだ。よし、俺も精進だ!お嬢師匠、よろしくお願いいたします!」
「了解!」
ラシオンとアルテミシアの
そんなレヴィアが広間に顔を出したのは、アルテミシアとラシオンが組手をしているさなかであった。
身長差をものともせず、ラシオンの
すかさずラシオンはその腕をつかむが、
「うっわ、今のなに!どうやってんの?」
驚嘆しながら起き上がったラシオンの目に、入り口にたたずんでいるレヴィアが映る。
組み手をしている自分たちに戸惑い、声をかけあぐねている様子だ。
(……ふーん……)
ラシオンはニヤニヤしながら立ち上がると、背を向けているため、レヴィアに気がついていないアルテミシアに体を寄せる。
「お嬢、今の教えてよ。俺がこう、腕を取っただろ?」
するりと。
ラシオンの手が、アルテミシアの二の腕から手首までをなで下ろす。
「そんなゆっくりじゃなかったろう。それだと相手の反動を使えない。もう少し」
「こうかなぁ」
今度は肩に腕を回して、ラシオンはアルテミシアを自分の胸元に抱き込んだ。
「お嬢、なんかいいニオイすんなぁ」
頬を寄せてのぞき込んでくるラシオンを、冷たい鮮緑の瞳がにらみ上げ……。
ドズ!
鈍い音が広間に響いた。
「ふざけるなら、もう教えないぞ!」
「ぐはっ」
「あの、ミーシャ……」
「レヴィ!遅かったな!……どうした?」
温度のない目をラシオンに向けているレヴィアに、アルテミシアは首を傾けた。
「ラシオンが気になるのか?」
未だ腹を抱えているラシオンの頭に、アルテミシアは
「リズにボコボコにされたから、一緒に
「いい、けど」
レヴィアは無表情のまま、あごを下げる。
(なんか、気持ち悪い……)
不安と不快が混ざった、ざらざらした気持ちが腹の底から湧き上がり、その強い感情が、レヴィアから表情と言葉を奪ってしまっていた。
その後、レヴィアがラシオンと組手をしていたとき。
アルテミシアの肩を抱き、顏を寄せていたあの姿が胸をよぎった瞬間、レヴィアの本気の回し蹴りがラシオンの横腹にさく裂した。
「ぐはっ」
「ラシオン!」
駆け寄ったアルテミシアが、床に倒れたラシオンを抱き起しながらレヴィアを振り仰ぐ。
「レヴィ、やり過ぎだ。らしくないぞ」
「あ……、あの、ごめん、なさい」
「あー、自業自得だな、こりゃ。悪かったな、レヴィア」
しょげた様子で座り込むレヴィアに、ラシオンは軽く笑いかけた。
「何でラシオンが謝る?」
「からかい過ぎたからさ」
ラシオンはひょいと身軽に立ち上がって、アルテミシアの肩をぽんと叩く。
「ありがとな、お嬢。……うっし、汗かいたことだし、湯でも使ってくるわ。あとはおふたりさんでどーぞ。……イテテ、結局ボコボコじゃねぇか……」
広間を出てくラシオンに、アルテミシアは目をぱちくりとさせるばかりだ。
「まあ、ああ言っているから、ラシオンは大丈夫だろう。それより、レヴィ」
上目遣いで見上げるレヴィアの頬に、アルテミシアがそっと手を伸ばした。
「何か嫌なことでもあったか?レヴィが加減できないなんて、よほどだろう」
「よほど」「嫌なこと」。
そう言われてレヴィアが思い浮かべるのは、ラシオンの胸に抱き寄せられていたアルテミシアの姿。
「……わからない。とうして、こんな気持ちになるのか」
「ふーん?……ま、そういうときもあるな。よし、そんなものは体を動かして、さっさと忘れるに限る。レヴィ、本気を出せよ。私はラシオンより強いから、何も心配いらないぞ」
「……うん」
相変わらずのアルテミシアを見ているうちに、ほんの少し、レヴィアの胸のモヤモヤが薄らいだ。