赤竜の騎士

文字数 3,378文字

 竜の翼で隠されていた竜騎士たちが、再び戦場に姿を現した。
 血濡れたロシュの頬に口付けをするアルテミシアと、その白い手に流れ落ちる血を()め取っていく、竜の厚く大きな舌。
 
 妖しく、どこか(なま)めかしい、紅い稲妻模様の竜と紅髪(あかがみ)の竜騎士。
 アルテミシアとともに姿を隠し、ともに現れ、すべてを了解したような顔で赤竜に騎乗する、黒装束の竜騎士。
 それらのすべてが、レヴィアの心を激しく揺さぶった。

『うわぁぁぁぁ!』
 斑竜(まだらりゅう)に騎乗するグイドが、気の触れたような雄たけびを上げて突進してくる。
 気づいたアルテミシアとロシュが、指笛の指示もないまま、同時に大地を蹴った。
 真正面から向かってきたロシュに斑竜(まだらりゅう)の爪が襲いかかる。
「ギィ!」
「グルゥ」
 斑竜(まだらりゅう)の蹴りを受けながらも、ロシュはその首にかじりつき、剣を向けてくるグイドごとその体をねじって、上空へとくわえ上げた。
 (くら)から投げ出されたグイドが山なりに飛んで、レゲシュ兵たちの間へと落ちていく。
 そのままロシュは首を振り下ろして、斑竜(まだらりゅう)を地面に叩きつけた。
 
 消えたグイドを追って疾走する赤毛の竜騎士を、剣を構えたレゲシュ兵が次々と取り囲む。
「かかれっ」
「死ねぇ!!」
 だが、アルテミシアは表情ひとつ、顔色ひとつ変えない。
『……邪魔』
「ぐあっ!」
「ぎゃあ」
「っ!!!」
 諸手の短剣がうなりを上げて、幾人もの兵士を一太刀のもとに斬り捨てていった。
 絶叫がこだまして、竜騎士の頬に返り血が飛ぶ。
「怯むなっ、続け!」
「このやろ、っ?!……がはっ」
 なお攻撃してくる右側の兵士を蹴り飛ばし、竜騎士は振り向きざまに、左側の兵士に短剣をめり込ませた。

「……なにやってんだよっ」
 人が変わってしまったようなアルテミシアに、ヴァイノはギリギリと歯噛みをする。

――消耗し尽くす戦闘はするな――

 そう教えてくれたはずだ。

――戦意を喪失させれば、こっちのものだから――

 あのときは悪戯(いたずら)に笑っていたのに。

――この(いくさ)が終わればわかる。竜騎士の本当の姿が――

 苦しそうに告げていた「本当の」アルテミシアが、竜騎士本来の姿が、

だというのか。

「そんなはず、ねーんだよっ!」
 自分に言い聞かせるようにヴァイノは怒鳴り、馬に(むち)を入れた。
 
「なんだ、ありゃあっ!」
「あのバケモノもあの娘もっ、あれはまるで……」
『帝国騎竜軍にサラマリス()り!その無慈悲なること嵐の如し!』
 (おび)えと狼狽が広がっていく戦場に、耳を奪わずにはいられない美声が獅子吼(ししく)を放つ。
 ルベルを走らせながら、ディデリスは矢を放とうとするレゲシュ兵を軽々と斬り捨てていった。
 数多(あまた)の剣をかいくぐり、数人の兵士を一気にアルテミシアが()ぎ払う。
『その苛烈なること鬼神の如し!』
 深紅の髪を振り乱す背に襲い掛かる何本もの矢を、小柄な赤竜の羽が跳ね返した。
「……鬼神の、如し……」
 何人もの兵士たちが、竜騎士と竜に目を奪われて、呆然と立ち尽くしている。
 「赤竜騎士サラマリス」を恐れ(たた)える(ことば)の真実を、この戦場にいる誰もが目にしていた。

 容赦なく、何度もロシュによって地面に叩きつけられた斑竜(まだらりゅう)が、とうとう動かなくなった。
 頑丈な(くちばし)(かじ)られ続けた首部分の羽が抜け落ち、地肌がむき出しになっている。
 斑竜(まだらりゅう)の首を、ロシュが高々とくわえ上げた。

ピュィィィー!!

 ディデリスの鋭い指笛に、アルテミシアの足がピタリと止まる。
 鮮緑の瞳がギョロリと動き、ぐったりとした斑竜(まだらりゅう)を捉えた。
「う、うああああ!」
「こっち来んなぁああっ!」
 大狂乱に陥り、逃げまどう兵士たちのただ中を、アルテミシアはつむじ風のように走り抜けていく。
 そして、ロシュの足元で勢いをつけて跳躍すると、短剣を握る両腕を大きく振るった。
「ギィ、ギャァァ!!」
 斑竜(まだらりゅう)の断末魔が響き渡り、大量の血潮が辺りに降り注ぐ。
 
 ぼとり。
 びちゃり。
 
 二本の短剣によって分かたれた斑竜(まだらりゅう)の首と胴体が、自らの血だまりの中に落ちて転がった。

『ああああっ!フェティを()っちゃったんだぁ?!かっわいそーにー!』
 血走った目でげらげらと笑うグイドが、レゲシュ兵の間からゆらりと立ち上がる。
『いやそうでもないか?姉上に()られたんならよかったのかなー、いやあよかったよかった』
『……殺す……』
 アルテミシアはつぶやくと同時に走り出した。
「ひぃぃっ!」
 逃げ遅れた兵士を淡々と斬り払い、さらに、もうひとりの背に短剣が振り下ろされようとした、そのとき。
「バカ!!」
 無秩序に混乱した軍勢の中から飛び出してきたヴァイノが怒鳴り、金属音が響き渡った。

 短剣を止められた鮮緑(せんりょく)の瞳が、銀髪の剣士をとらえる。
「戦意の無いヤツは()るなって、ふくちょが言ったんじゃん!」
『邪魔』
 ディアムド語で低くつぶやくと、アルテミシアは猛然とヴァイノに襲いかかった。
「どうせ、くよくよするくせに!サージャたちのことだって、すっげぇ気にしてたじゃんかっ。…ぅわぁ!」
 騎乗者を失い暴れる馬がヴァイノの背中にぶつかり、跳ね飛ばされた銀髪の少年にアルテミシアの短剣が迫る。
 ヴァイノは体を(ひね)ってその攻撃をかわすが、その先には、アルテミシアのもう片方の切っ先が待ち構えていた。
「……ぐぅっ!」
 額から吹き出した血で銀髪を染める少年に、さらに容赦もなく、アルテミシアは短剣を振りかぶった。
 
 襲い掛かってきたふたつの風切り音にアルテミシアは素早く振り返る。
 そして、自らに刺さる寸前の二本の矢を斬り払い落として、ヴァイノから距離を取った。
「よし!」
 リズワンから短くほめられても、さらに矢を(つが)えたアスタの目には、涙が浮かんでいる。
 だが、その潤む視線の先では、アルテミシアの刃先が再びヴァイノに向けられていた。
 半端ではないその殺気を感じても、押さえても吹き出す血に視界を(ふさ)がれて、ヴァイノには為す術もない。
 アルテミシアの右腕がしなり上がる。
「!」
 今まさに、剣を振り下ろそうとした、その瞬間。
 警戒を浮かべたアルテミシアが、大きく飛び退()いた。
 なぜとヴァイノが思うのと同時に、黒の肩羽織が視界一杯に広がっていく。
「……隊、長……」
「よく頑張った。ここからは私の仕事だ。下がって手当を受けろ」
 ジーグが見据える先には、腰を落として短剣を構えている(あるじ)がいる。
 返り血がこびりついた顔は、凪いだ海のようにのっぺりとしていて、ただ、鮮緑(せんりょく)の瞳がギラギラと光るばかり。
 大剣の柄を握るジーグの手の平に、じっとりと汗がにじんだ。

『とうとう()っちゃたんだぁ!』
 耳障りな笑い声をあげたグイドが両手剣をひと振りすると、まさに今、自分の背中に突き立てられようとしていた、細身の剣が弾き飛んでいった。
『なんだよ』
 グイドは皮兜(かわかぶと)をかぶった男を眺めて、鼻で笑う。
『お前もあの()が欲しいの?ダメだよあれは俺のだよ、

になっちゃったみたいだけど、どうせ止めるよ、あのデカブツ従者が、フェティは死んじゃったからね』
 ベラベラとしゃべりながらも、その剣さばきはありえない速さで、カーフレイは予備の剣を手にする暇もない。
『手ごたえないなぁ……、ぎゃあ!』
 カーフレイの目の前で、剣を握ったままのグイドの手が宙を舞って飛んでいった。
『うわぁぁぁぁぁぁぁっ』
 手首を失った右腕を左手で押さえたグイドが、地面を転げ回っている。

(いつの間に、こんな近くに……!)

 冷酷な瞳でグイドを見下ろしている竜騎士の威圧感に、カーフレイは覚った。
 この黒衣の竜騎士に、ひとりで立ち向かうなど無謀でしかない。
 正面から攻めて敵う相手ではないのだ。

 カーフレイは、美麗な竜騎士の意識がこちらにないことをこれ幸いと気配を消して、撤退していった。
 
 血が吹き出る手首を(ふところ)から出した(さらし)で縛り上げながら、グイドは瞳をきらめかせてディデリスを見上げる。
『ディデ兄はあの()のために来たんだよね、でもあの()はディデ兄のものにはならないよね』
 美しい(まゆ)(ひそ)めながら、ディデリスはグイドの腹を思い切り蹴り飛ばした。
『ぐはぁあ』
 体を丸め転がりながら、グイドはなおディデリスに顔を向ける。
『だってサラマリスだから、サラマリス同士は添えないんだから、手に入らないんだから、あの()といるときだけだよね、ディデ兄が笑うのは、俺の名前だってあの()といたから覚えてくれたんでしょう、うちでやった春礼祭覚えてる?』
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