隠れ人-3-

文字数 1,644文字

 その日、朝から間断なく降り続く細かい雨は、日暮れ時になってもやむ気配がなかった。
 
 作業部屋で大剣(たいけん)の手入れをしていたジーグは、ふと顔を上げる。

(今日は顔を出さない、か。さすがにこの天気だ。屋敷でやりたいこともあるだろう。こちらのことばかりに、時間を使っているようだったからな……)

 気配を探るジーグの耳に届くのは、本格的に振り出した雨の音ばかり。
 
 出会ってしばらく経つが、レヴィアはジーグに何一つ聞いてはこない。
 その献身に下心などなさそうで、礼を言うたび不思議そうな顔をして、「当たり前だ」と答える。  
 時折り話す過去の断片からは、他人と親密に触れ合わずに育ったことが、うかがえるのに。
 レヴィアは他人を(うと)まず、手を差し伸べることを躊躇(ちゅうちょ)しない。

(優しい子だ。人恋しさもあるのだろうが)
 
 ジーグは剣を作業机の上に置いて、外の様子を見るために腰を上げた。

 (きし)んだ音を立てる木窓を開けると、外はすでに暗く、畑にはところどころ水たまりができている。

(……ん?)

 畑の向こうに、大きな(かご)を抱えた小さな影が見えた。
 ジーグが見守るなか、影はどんどんとこちらに近づいてくる。

(レヴィアっ?!)

 窓を閉め、手近にあった布をつかんだジーグが急いで扉を開けると、濡れた足音を立ててレヴィアが飛び込んできた。
「びしょ濡れじゃないか!風邪をひくぞ」
 ぽたぽたと雫が(したた)り落ちる濡羽(ぬれば)色の髪に、ジーグが勢いよく布をかぶせる。
「だ、だいじょぶ。屋敷に行って、着替えるから。それより、これ」
 身をよじってジーグの腕から抜け出したレヴィアは、赤く艶やかな、親指の頭ほどの実がぎっしりと詰まった(かご)を差し出した。
「キイチゴ。造血と、浄血作用が、あるんだよ。このまま、食べられるし」
「お前、なにもこんな雨の中……」
 足元は泥水に濡れて、(かご)持つ小さな手は引っかき傷だらけ。
 そんなレヴィアを前にジーグは言葉が続かない。
「今の時期に、熟すんだ。早くしないと、(けもの)とか鳥に、全部食べられちゃう。食欲、少し出た、でしょう?果物なら、もっと食べられると、思って」
 ぐいぐいとジーグに(かご)を押しつけると、レヴィアはそのままくるりと背を向けてしまう。
「小屋を汚すから、もう行くね。また、明日」
 そして、ジーグが止める間もなく、レヴィアは出て行ってしまった。


『……そんなことがありまして』
 ディアムド語で(ささや)きながら、寝台の横に座るジーグは、キイチゴの実をひとつ(つま)んで、怪我人の口に入れた。
『ん。甘酸っぱい。……おいしい』
 色の薄い唇が緩慢(かんまん)に動き、果実を(つぶ)す。
『たくさん召し上がってください。苦労して採ってきてくれたのですから』
『……苦労して?』
『この種類は(とげ)が多く、森の中に密生した(やぶ)を作ります。手が傷だらけでした』
 大きな手のひらに転がした一粒の赤い実を、ジーグはしみじみと眺めた。
芒果(マンゴー)も、その子なんでしょう?』
『はい。あれから食欲が戻られましたね』
『とても美味しかったわ。でも、高価なものを屋敷から持ち出して、叱られなかったかしら』
『頬を()らしておりました。森でぶつけたと言っておりましたが』
『……そんな思いまでして。顔も知らない者のために。レヴィア、だったわね。いつか、顏を見てお礼が言いたいわ』
 その声はまだ頼りないが、未来を望む力が戻ってきている。
『お元気になられましたら』
『ねえ、ジーグ。諸国を(まわ)っていたころ、大道芸で路銀(ろぎん)を稼いでいたと言っていたでしょう?』
『はい』
『ここでもできる?』
『そう、ですね……』
 ジーグはあごに指を添え、視線を落とした。

 本来ならば、あまり目立つ行動は避けたいところだ。自分たちの存在を知られる危険性が増してしまう。
 だが、それを承知しながら、それでも願うのならば。

『ここは首都から遠い地方都市です。剣技(けんぎ)芸などは、珍しがられるかもしれません』
『やってみてくれる?できれば、レヴィアにお礼のひとつでも』
(かしこ)まりました』
 すがるように(そで)を握る細い手を、ジーグは幼子(おさなご)をなだめるように、ゆっくりと叩いた。
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