妹弟子の指導
文字数 3,478文字
アルテミシアは傷が癒 えたとはいえ、少し無理をすると、熱を出して寝込む日々が続いている。
うまく眠れない夜もあるらしく、深夜にもかかわらず、外でぼんやりしている姿も、たびたび目撃されていた。
日中は、明るい笑顔を絶やさないアルテミシアなのに。
星影にたたずむ儚いその姿は、見た者を不安にさせるものだった。
そのため、起きて動けるようになってからはジーグを筆頭に、レヴィア隊の誰かが必ずアルテミシアに付き添い、ひとりにしないよう心を配っていたのだが。
終戦協定の締結と、関係各国の合議が行われる日も迫ってくれば、当事者のジーグやレヴィアも仕事に駆り出されてしまう。
また、アガラム王国との間ではスライが、チェンタ族長国との間ではリズワンが、その幅広い人脈を駆使して調整を取り仕切っていた。
だから、最近のアルテミシアの護衛は愚連隊に任せられていて、常に誰かがそばにいる。
それはそれで、彼女自身は楽しそうではあるのだが……。
「従者殿の監督があったら、あの恰好は許されたかねぇ」
ラシオンとアスタが見守るなか、装飾品を扱う店から出てきたひとりの青年が、でれっとした笑顔でアルテミシアに声をかけている。
(え、やべぇんじゃねぇの、あれ)
ラシオンは思わず辺りを見回して、ほっと胸をなでおろす。
(よーし、ジーグもレヴィアもいないな)
あの青年の命は保証されたようだ。
……取りあえず、今は。
「ジーグ隊長は」
アルテミシアを見守りながら、満足そうにアスタはうなずく。
「あの服をお見せした際、大変苦い顔をされていました。アルテミシア様も”こんなのは嫌だ”とおっしゃっていました」
(ジーグの指導が入ったのか。じゃあ、お嬢はなんでその服を着てるんだ?)
ラシオンがアスタに尋ね顔を向けた。
「ですが」
返されたのは、きっぱりと厳しいアスタのまなざし。
「いつまでアルテミシア様を甘やかすのですかと、申し上げました。隊長はお小言をおっしゃりはしますが、結局はアルテミシア様のご意向に従うのです。アルテミシア様はトーラを代表する方でもあるのですから、相応 しいお姿というものがあります」
(わーぉ)
ラシオンは口笛を吹く唇の形を作るが、叱られそうだと気づいて思い留まる。
(そこまで、あのふたりに言えるなんてなぁ)
まるで東国の師匠が乗り移ったかのような瞳で、アスタは続けた。
「思い知ったほうがいいのです。そのためには、守られ許されてきた壁を壊すことが必要です」
「思い知る……。お嬢が?」
(こりゃまた強めの言葉だなあ、おい)
すっかり惚れ惚れした心持ちになったラシオンは、思わず口笛を吹く。
「ラシオン」
「……ごめんなさい」
案の定叱られて、ラシオンは後ろ頭をかいた。
「アルテミシア様もそうですが、レヴィア様もです。思い知る、は少し失礼でしたか。ご自覚いただきたいに訂正いたします」
「え、レヴィアも?」
「はい。あのおふたりは、”竜”という特別な存在が間にあるため、互いの関係が不変だと勘違いしておられます。言葉に、行動に出さなくても、いつまでも一緒にいられると」
(どっちが姉弟子だかわからねぇな。お嬢もレヴィアも、アスタに直接何かを言ったりしてねぇだろうに)
ラシオンは心の内でアスタに拍手を送る。
そうしている間に、アルテミシアとメイリはもうすぐそこだ。
アルテミシアの艶姿 に鼻の下を伸ばしたラシオンを見上げ、アスタがその背中をきゅっとつねる。
「いてっ」
「そんな顔、レヴィア殿下に見られたら大変では?」
「お、おう。……命は大事だな」
「ふたりでコソコソ、何を話してるんだ?……なあ、アスタ。もうこの服は脱いでもいいか?」
側へ来るなり、アルテミシアが眉を下げた情けない顔をしながら、トーラ語で妹弟子に訴えた。
「なんだか落ち着かない。みんなが変顔で見る」
「それをおっしゃるなら変な顔、でしょう。しかも、変な顔でもありません。あれは賞賛の顔です。先ほど声をかけてきた男性の、あのデレデレした表情をご覧にならなかったのですか?……あと、ラシオンの変顔も」
「キレイなんかじゃない!メイリ、ほら、約束したろう?」
小柄なメイリの背に隠れるようにしながら、アルテミシアがその肩をぐい、とアスタの前に押し出す。
「えー、えぇとぉ」
その特徴的に跳ねる髪型と溌剌 とした様子で、カーヤイ家の皆から「たてがみちゃん」と呼ばれて可愛がられているメイリが、おろおろしながらアスタを見上げた。
「もう少しこう、簡素な服もいいんじゃない、かな。アスタ」
「メイリまでアルテミシア様を甘やかすの?」
「甘やかすとかじゃないけどさ。アルテミシア様のお気持ちを、」
「ダメです」
まるで教師が生徒に言い聞かせるような態度で、アスタは首を横に振る。
「アルテミシア様はトーラ国騎竜隊副隊長よ。お立場というものがあるわ」
”だったら軍服でいいじゃないかっ」
メイリの後ろで、背中を丸めたアルテミシアが抗議の声を上げた。
「レヴィア様に禁止されていらっしゃるでしょう。体を締め付ける軍服は、まだ傷に障 ると」
「もう治った!だから、レヴィアに取り成してほしいんだ。こんな服のせいだぞ、きっと」
ほとほと困り果てた表情で、アルテミシアは来た道をちらりと振り返る。
「”お食事をしませんか”とか、”スバクルの名所をご案内しますよ”とか。妙にお誘いを受けることが増えた。先ほどの方も”私の領地をご案内したい”って、いきなり言ってきたんだ。初対面なのにだぞ」
鮮やかな戦術。卓越した武術。
そして、命をかけてまで、異形の竜から皆を守った竜騎士。
今、この新しい街では、アルテミシアを知らない者はいないと言ってよいだろう。
ラシオンも、実は陰でアルテミシアを紹介しろと、各方面から言われている。
……もちろん、「そんなことをしたら縁を切るよ」と、レヴィアからきつく申し渡されているのだが。
そこにきての、この姫姿だ。
(こりゃあまた、いろいろせっつかれんだろうなぁ)
ラシオンは諦め交じりのため息をつく。
その横で、アスタは大いに満足げな顔をしていたが、アルテミシアの言葉に目を三角にした。
「お受けする順番も考えなければならないし……。これではいつトーラへ戻れるか」
「断っちゃえばいいじゃないですかっ、そんなもの」
「え、そうなのか?向こうからのお誘いなのに?そんなことをしたら、せっかくのトーラとスバクルの関係が悪化しないか?」
「しません!」
「しねぇよ。国賓として誘ってるわけじゃねんだぞ?お嬢」
声をそろえたアスタとラシオンを前に、アルテミシアは首を傾ける。
「ならば、どうして私なんかを」
「魅力的だからですよぉ。国じゃなくて、
呆れたため息をつきつつ、メイリはアルテミシアを振り返った。
「私を?」
「今さっきだって、カーヤイの男共を、総ナメにしてきたじゃないですか」
「ああ、それだそれ。俺の隊の連中は大丈夫だった?落馬した奴とか」
「続出ですよ。その世話で、スヴァンは昼食をとる暇もないくらいです。戻ってくるのも、夕方くらいになるんじゃないかな。……アスタ、スヴァンから伝言。”いい加減にしないと、デンカに言いつけるぞ”って」
「上等だわ」
しかめっ面をするメイリに、リズワンが降臨しているアスタが胸を反らせる。
「ぜひ、耳に入れてさしあげて」
「ああ、アルテミシア様!どちらへいらっしゃったかと思いましたよ」
突然、弾んだ声がしたかと思うと、ひとりの青年が小走りで近づいてきた。
(さっきのヤツじゃねえか。……命知らずだなぁ)
微妙な顔をするラシオンにも気づかず、青年は不敵な笑顔を見せる。
「これはこれは。新生スバクルの旗手 、カーヤイ公ではありませんか」
(家紋付きの上衣ってことは、領主家の……。あ、こいつ)
ラシオンが値踏みしている間に、青年は肩が触れるほど近くまでアルテミシアに近寄った。
「貴公のご紹介がなくても、ちゃんとアルテミシア様とお近づきになれましたよ。それで、ジュナベッラ 」
青年がアルテミシアの手を取り、両手で包み込む。
「いや、なれなれしすぎ」
恋人に対するような青年の態度に、ラシオンは間に入ろうとするが。
アルテミシアの手をつかんだまま、青年は巧みにラシオンに背を向ける。
「いつ我が領地をお訪ねいただけますか?ちょうど今、槿 の花が見頃です。もしよろしければ、すぐにでもご案内……」
ガチャリ!
妙に大きな物音が青年の言葉をかき消して、そこにいた者たちの視線が、一斉に療養所の表扉に向けられた。
うまく眠れない夜もあるらしく、深夜にもかかわらず、外でぼんやりしている姿も、たびたび目撃されていた。
日中は、明るい笑顔を絶やさないアルテミシアなのに。
星影にたたずむ儚いその姿は、見た者を不安にさせるものだった。
そのため、起きて動けるようになってからはジーグを筆頭に、レヴィア隊の誰かが必ずアルテミシアに付き添い、ひとりにしないよう心を配っていたのだが。
終戦協定の締結と、関係各国の合議が行われる日も迫ってくれば、当事者のジーグやレヴィアも仕事に駆り出されてしまう。
また、アガラム王国との間ではスライが、チェンタ族長国との間ではリズワンが、その幅広い人脈を駆使して調整を取り仕切っていた。
だから、最近のアルテミシアの護衛は愚連隊に任せられていて、常に誰かがそばにいる。
それはそれで、彼女自身は楽しそうではあるのだが……。
「従者殿の監督があったら、あの恰好は許されたかねぇ」
ラシオンとアスタが見守るなか、装飾品を扱う店から出てきたひとりの青年が、でれっとした笑顔でアルテミシアに声をかけている。
(え、やべぇんじゃねぇの、あれ)
ラシオンは思わず辺りを見回して、ほっと胸をなでおろす。
(よーし、ジーグもレヴィアもいないな)
あの青年の命は保証されたようだ。
……取りあえず、今は。
「ジーグ隊長は」
アルテミシアを見守りながら、満足そうにアスタはうなずく。
「あの服をお見せした際、大変苦い顔をされていました。アルテミシア様も”こんなのは嫌だ”とおっしゃっていました」
(ジーグの指導が入ったのか。じゃあ、お嬢はなんでその服を着てるんだ?)
ラシオンがアスタに尋ね顔を向けた。
「ですが」
返されたのは、きっぱりと厳しいアスタのまなざし。
「いつまでアルテミシア様を甘やかすのですかと、申し上げました。隊長はお小言をおっしゃりはしますが、結局はアルテミシア様のご意向に従うのです。アルテミシア様はトーラを代表する方でもあるのですから、
(わーぉ)
ラシオンは口笛を吹く唇の形を作るが、叱られそうだと気づいて思い留まる。
(そこまで、あのふたりに言えるなんてなぁ)
まるで東国の師匠が乗り移ったかのような瞳で、アスタは続けた。
「思い知ったほうがいいのです。そのためには、守られ許されてきた壁を壊すことが必要です」
「思い知る……。お嬢が?」
(こりゃまた強めの言葉だなあ、おい)
すっかり惚れ惚れした心持ちになったラシオンは、思わず口笛を吹く。
「ラシオン」
「……ごめんなさい」
案の定叱られて、ラシオンは後ろ頭をかいた。
「アルテミシア様もそうですが、レヴィア様もです。思い知る、は少し失礼でしたか。ご自覚いただきたいに訂正いたします」
「え、レヴィアも?」
「はい。あのおふたりは、”竜”という特別な存在が間にあるため、互いの関係が不変だと勘違いしておられます。言葉に、行動に出さなくても、いつまでも一緒にいられると」
(どっちが姉弟子だかわからねぇな。お嬢もレヴィアも、アスタに直接何かを言ったりしてねぇだろうに)
ラシオンは心の内でアスタに拍手を送る。
そうしている間に、アルテミシアとメイリはもうすぐそこだ。
アルテミシアの
「いてっ」
「そんな顔、レヴィア殿下に見られたら大変では?」
「お、おう。……命は大事だな」
「ふたりでコソコソ、何を話してるんだ?……なあ、アスタ。もうこの服は脱いでもいいか?」
側へ来るなり、アルテミシアが眉を下げた情けない顔をしながら、トーラ語で妹弟子に訴えた。
「なんだか落ち着かない。みんなが変顔で見る」
「それをおっしゃるなら変な顔、でしょう。しかも、変な顔でもありません。あれは賞賛の顔です。先ほど声をかけてきた男性の、あのデレデレした表情をご覧にならなかったのですか?……あと、ラシオンの変顔も」
「キレイなんかじゃない!メイリ、ほら、約束したろう?」
小柄なメイリの背に隠れるようにしながら、アルテミシアがその肩をぐい、とアスタの前に押し出す。
「えー、えぇとぉ」
その特徴的に跳ねる髪型と
「もう少しこう、簡素な服もいいんじゃない、かな。アスタ」
「メイリまでアルテミシア様を甘やかすの?」
「甘やかすとかじゃないけどさ。アルテミシア様のお気持ちを、」
「ダメです」
まるで教師が生徒に言い聞かせるような態度で、アスタは首を横に振る。
「アルテミシア様はトーラ国騎竜隊副隊長よ。お立場というものがあるわ」
”だったら軍服でいいじゃないかっ」
メイリの後ろで、背中を丸めたアルテミシアが抗議の声を上げた。
「レヴィア様に禁止されていらっしゃるでしょう。体を締め付ける軍服は、まだ傷に
「もう治った!だから、レヴィアに取り成してほしいんだ。こんな服のせいだぞ、きっと」
ほとほと困り果てた表情で、アルテミシアは来た道をちらりと振り返る。
「”お食事をしませんか”とか、”スバクルの名所をご案内しますよ”とか。妙にお誘いを受けることが増えた。先ほどの方も”私の領地をご案内したい”って、いきなり言ってきたんだ。初対面なのにだぞ」
鮮やかな戦術。卓越した武術。
そして、命をかけてまで、異形の竜から皆を守った竜騎士。
今、この新しい街では、アルテミシアを知らない者はいないと言ってよいだろう。
ラシオンも、実は陰でアルテミシアを紹介しろと、各方面から言われている。
……もちろん、「そんなことをしたら縁を切るよ」と、レヴィアからきつく申し渡されているのだが。
そこにきての、この姫姿だ。
(こりゃあまた、いろいろせっつかれんだろうなぁ)
ラシオンは諦め交じりのため息をつく。
その横で、アスタは大いに満足げな顔をしていたが、アルテミシアの言葉に目を三角にした。
「お受けする順番も考えなければならないし……。これではいつトーラへ戻れるか」
「断っちゃえばいいじゃないですかっ、そんなもの」
「え、そうなのか?向こうからのお誘いなのに?そんなことをしたら、せっかくのトーラとスバクルの関係が悪化しないか?」
「しません!」
「しねぇよ。国賓として誘ってるわけじゃねんだぞ?お嬢」
声をそろえたアスタとラシオンを前に、アルテミシアは首を傾ける。
「ならば、どうして私なんかを」
「魅力的だからですよぉ。国じゃなくて、
アルテミシア様を
誘ってるんですってば」呆れたため息をつきつつ、メイリはアルテミシアを振り返った。
「私を?」
「今さっきだって、カーヤイの男共を、総ナメにしてきたじゃないですか」
「ああ、それだそれ。俺の隊の連中は大丈夫だった?落馬した奴とか」
「続出ですよ。その世話で、スヴァンは昼食をとる暇もないくらいです。戻ってくるのも、夕方くらいになるんじゃないかな。……アスタ、スヴァンから伝言。”いい加減にしないと、デンカに言いつけるぞ”って」
「上等だわ」
しかめっ面をするメイリに、リズワンが降臨しているアスタが胸を反らせる。
「ぜひ、耳に入れてさしあげて」
「ああ、アルテミシア様!どちらへいらっしゃったかと思いましたよ」
突然、弾んだ声がしたかと思うと、ひとりの青年が小走りで近づいてきた。
(さっきのヤツじゃねえか。……命知らずだなぁ)
微妙な顔をするラシオンにも気づかず、青年は不敵な笑顔を見せる。
「これはこれは。新生スバクルの
(家紋付きの上衣ってことは、領主家の……。あ、こいつ)
ラシオンが値踏みしている間に、青年は肩が触れるほど近くまでアルテミシアに近寄った。
「貴公のご紹介がなくても、ちゃんとアルテミシア様とお近づきになれましたよ。それで、
青年がアルテミシアの手を取り、両手で包み込む。
「いや、なれなれしすぎ」
恋人に対するような青年の態度に、ラシオンは間に入ろうとするが。
アルテミシアの手をつかんだまま、青年は巧みにラシオンに背を向ける。
「いつ我が領地をお訪ねいただけますか?ちょうど今、
ガチャリ!
妙に大きな物音が青年の言葉をかき消して、そこにいた者たちの視線が、一斉に療養所の表扉に向けられた。