ドルカの背信 -口火-

エピソード文字数 2,381文字

 「赤の惨劇」の発端は、クラディウス・ドルカのつまらない野心であった。
 赤竜一族の中でも、サラマリス家の特権と帝国への影響力は群を抜く。
 それは能力の高い竜を育成する竜術のためだ。優れた竜さえ所有できれば、サラマリス家を凌駕(りょうが)できる。
 上手く育たなかったディアムズなどは殺してしまえばよい。
 立派な竜を作り出せたのなら、その育成の言い訳などいくらでもできる。
 所詮(しょせん)竜など偶然の産物だ。皇帝陛下も追認の許可を出すだろう。
 そう吹き込まれたクラディウスは、サラマリスの双子の血を使って、竜を独自に育てようとした。

「吹き込まれた?」
 アルテミシアが聞き返す。
「…誰に?」
 そんなデタラメを。
 確かに独自の能力を持つ竜を育てる(すべ)はある。だが事はそれほど簡単でも単純でもない。
「浅はかなことを」
 アルテミシアは深く嘆く。
「ニェベスがドルカに接近したことがわかっている。その時期に、黒竜家台帳に記録されたディアムズの卵が紛失し、竜守が一人処罰を受けていた」
「当時そんな報告はなかったな。…黒の奴らめ。自分らの不手際を握りつぶしたんだな」
 カイ・ブルムは竜族出身ではない。赤竜軍に所属してはいるが、竜家に対しては公平な目をもって接する人物だ。
 その男が、珍しいほどの不快感を露わにしていた。
「巧妙に隠されていた失態だ。探るのに随分苦労した」
 声はあくまで平坦だ。だが従兄(いとこ)のわずかな表情の変化で、その怒りの深さがアルテミシアには伝わる。
「それがドルカに渡っていたということ?」
 苦々しくディデリスがうなずく。
「でも、血を与えて竜化することを、誰がドルカに教えたの?ニェベス家の者は知らないでしょう?」
 ニェベスは黒竜一家とはいえ、血族ではない。
 数の多い黒竜を世話する者と、士官学校卒業生以外の竜騎士を養成するために、黒竜族が独自に構えた家に過ぎない。
「あのスチェパ・ニェベスは、元の名をスチェパ・メルクーシという」
「メルクーシといえば、手広い海運業で鳴らしている豪商ですね」
 ジーグの(まゆ)が寄せられる。
 ディデリスが(あご)を埋めるようにうなずく。
「そこの放蕩息子が犯した罪は数知れない。詐欺、暴行、窃盗。その都度、金で揉み消していたが、とうとう殺人まで犯してかばいきれなくなった。そこでメルクーシ当主がマレーバに泣きついた」
「そんな人物が竜族に…。ニェベス家は、竜の世話や騎士育成のためにあるわけではないのね、やはり」
 数の多い黒竜に対してはその育成を巡って、「妙な手段を使っているのではないか」という(うわさ)が、赤竜族内でも絶えなかった。そして黒竜末家ニェベスの者の高い死亡率は、竜族ではない重臣たちからも疑問の声が上がっていたほどだ。
 黒竜の算出式はわからない。
 だが赤竜とそう違わないものを用いているのなら、あの数の竜を常に(そろ)えるためには、一人の血を絞りきるか、膨大な人数から提供させることが必要になる。
「では、そのスチェパは…」
「そう。竜化の(えさ)としてマレーバに引き取られた。そしていざというときになって逃げ出した」
「まさか!」
 アルテミシアが大きな声を上げ、傷に響いたのか顔をしかめた。
「暗示儀式は?血を大量に提供させれば生き長らえないとはいえ、相当強い物を使うでしょう?」
「本人の自白によると、散々快楽薬物や酒などに溺れてきた体には、大して効かなかった、ということらしい」
「逃げ出して、それで?」
「竜化方の要を知ったスチェパはマレーバに取引を迫った。秘匿を守る交換条件として、竜騎士の資格とその特権をよこせと」
「そんなことを言い出す人間を、なぜシルヴァ様は生かしておいたのかしら。スチェパがニェベスに入ったのは、いつごろなの?」
 竜に敬意も愛情もない人間が、その秘密をもって力を得る。
 竜族が最も恐れ、回避しようとしてきた事態だ。
 アルテミシアの顔色が悪い。
「少し休むか?」
 アルテミシアの額に、ディデリスのひんやりとした手が当てられる。
「大丈夫よ、続けて」
 従兄妹(いとこ)はしばらく見つめ合い、軽いため息とともに、ディデリスは再び口を開いた。
「スチェパがマレーバに入ったのは、赤の惨劇の半年ほど前。黒竜騎士として任命されて、しばらくは特権を笠に遊び回っていたようだ」
「ああ、そうね…」
 もう遠い帝国での竜騎士時代をアルテミシアは思い出す。
「大層不良な黒竜騎士がいると、(うわさ)になっていたわね。マレーバ隊長は、なぜご処罰をなさらないのかと。それが、そうだったのね」
「その時期はいろんなことが重なったな」
 大きな、大きなため息をカイが吐き出した。
「久しぶりに、イハウの大規模侵攻もあったし」
「その少し前、ドルカが私にグイドとの縁談を持ってきたわ」
「それから間もなく、第二隊長であるお前が大怪我で療養所送りになり…。怒るな。そこを避けては通れない。事実なんだ。目を背けるな」
 きつい目をしてにらむディデリスを、カイが冷静に見下ろしていた。
 ここまで面と向かって意見できる人間をディデリスが許し、そばに置いている。
 アルテミシアは嬉しく思う一方で、「あの夜」をいったん思い出してしまうと、いまだに心は委縮し、痛んだ。
 額に当てられたディデリスの手が妙に重く感じる。
「だけど、どこでドルカの野心をスチェパは嗅ぎつけたんだ?」
 彫像のような顔が、カイの視線から逃れるように背けられた。
「グイドだ」
 アルテミシアが息を飲む。
「私が、縁談を断った、から…?」
「違う。俺が、扱いを間違えたのだろう」
 ディデリスの(くら)く後悔する瞳が、アルテミシアに向けられた。
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