ドルカの背信 -口火-

文字数 3,378文字

 「赤の惨劇」の発端は、クラディウス・ドルカのつまらない野心であった。
 
 赤竜一族の中でも、サラマリス家の特権と帝国への影響力は群を抜く。
 それは能力の高い竜を育成する竜術を独占しているからだ。
 だから、優れた竜さえ作って所有できれば、サラマリス家と肩を並べることができる。
 上手く育たなかった場合は廃棄すればよい。
 立派な竜を作り出せたのなら、その育成の言い訳などいくらでもできる。
 所詮(しょせん)、竜など人が造りだしているモノだ。
 利用価値さえ高ければ、皇帝陛下も追認の許可を出すだろう。
 
 そう吹き込まれたクラディウスは、サラマリスの双子の血を使って、竜を独自に育てようとした。


「吹き込まれた?……誰に、そんなデタラメを」
 話の途中ではあるが、アルテミシアは聞き返さずにはいられない。
 
 ディアムズの卵を人の血で満たして孵化(ふか)させる以外にも、独自の能力を持つ竜を育てる(すべ)はある。
 だが、それはすべて領袖(りょうしゅう)家に伝わる、門外不出のものだ。

 話の途中ではあったが、ディデリスは嫌な顔もせずにうなずく。
「あのニェベスが、グイド・ドルカと接触したことを吐いた。同じ時期に、黒竜家台帳に記録されたディアムズの卵が紛失していて、ひとりの竜守が処罰を受けているらしい」
「はぁ?……それって、表沙汰になってない案件だよな。トーラの件で調べたときには?」
「いや」
「ったく。黒の奴ら、自分らの不手際を握りつぶしやがったんだな。これで何回目だ?」
 カイが苦り切った顔を歪め、舌打ちをする。

 カイ・ブルムは竜族でも貴族でもなく、一般試験を経て士官学校へ入学し、騎竜の才能を見出されて竜騎士となった人物だ。
 竜家に対しては一定の距離を保ち、一応の敬意を払いながらも「お(いえ)のごたごたを戦場に持ちこむなよ。余計な死人が出るから」と、公言してはばからない豪傑さも持つ。
 もちろん、平民が首座貴族へ向ける言葉としては際どいものがあるが、なにしろディデリスに次ぐ戦果を挙げている傑物だ。
 しかも、赤竜族、領袖家サラマリス当主からも一目を置かれているとなれば、黒竜族もほかの貴族連中も黙らざるを得ない。
 カイの率直で無遠慮な物言いに歯噛みする相手の顔が見たくて、ディデリスは重用してるのではないかと、もっぱらの(うわさ)になるくらいだ。
 
「そういう裏工作ばかりやってるから、現場の士気が上がらないんだよ。……今回もか」
「いつにも増して、巧妙に隠されていた」
 声はあくまで平らかだが、従兄(いとこ)のわずかな表情の変化で、その怒りの深さがアルテミシアには伝わってくる。
「その卵がドルカに渡っていたのね?でも、血を与えて竜化することを、誰がクラディウスに教えたの?ニェベス家の者は知らないでしょう」
 
 ニェベスは黒竜族の一家を名乗っているとはいえ、黒の領袖(りょうしゅう)家マレーバにつながる者はひとりもいない。
 数の多い黒竜を世話する者と、士官学校卒業生以外の竜騎士を養成するという名目で、黒竜族が独自に構えた家に過ぎないのだ。

「あのスチェパ・ニェベスは、元の名をスチェパ・メルクーシという」
「メルクーシといえば、手広い海運業で鳴らしている豪商ですね」
 眉間のしわも深いジーグを一瞥(いちべつ)もせずに、ディデリスはわずかな動作で肯定する。
「そこの放蕩息子が重ねた罪は数知れない。詐欺、暴行、窃盗。その都度、金で揉み消してはいたが、とうとう殺人まで犯してかばいきれなくなった。そこで、メルクーシ当主がマレーバに泣きついた」
「そんな人物が竜族に……。ニェベス家は、竜の世話や騎士育成のためにあるわけではないのね、やはり」
 
 数の多い黒竜に対してはその育成を巡って、「妙な手段を用いているのではないか」と、赤竜族でも絶えず(ささや)かれていた。
 そして、ニェベス家の者の高い死亡率は、帝国の重臣たちの間からも疑問の声が上がっている。
 だが、竜族に与えらえた特権に阻まれ、調査されることなくここまできてしまったのだ。
 黒竜族の算出式は、赤竜族であるアルテミシアやディデリスにはわからない。
 それでも赤竜とそうは違わないはずだ。
 だとすると、赤竜をはるかに超える数の黒竜をそろえるためには、相当量の血が必要となる。

「では、そのスチェパは……」
「そう。竜化の(えさ)としてマレーバに引き取られた。そして、いざというときになって逃げ出した」
「まさか!……くっ」
 アルテミシアが大きな声を上げ、傷に響いたのか、息を詰めて顔をしかめた。
「暗示儀式は?血を大量に提供させれば生き長らえないとはいえ、相当

を使うでしょう?」
「本人の自白によると、散々快楽薬物や酒などに溺れてきた体には、大して効かなかった、ということらしい」
「そんな……。ならば、さらなる暗示をかけられたはずね。それをあなたから強制解除されなのなら、スチェパは今ごろ……」
「いや、”耐性がある”と言うだけあって、アレを使っても死んではいない」
「……それはそれで哀れね」
「あんな奴に同情を?」
「同情はしない。だからといって、死ぬほうが楽だということには、変わりはないでしょう」
「そうだな」
「そう。アレで死ねないのね。……私たちと同じね」
 目を閉じて、深く長いため息を吐き出したアルテミシアを、ディデリスが無言で見つめる。
「……スチェパは逃げ出して、それで?」
「竜化方の要を知ったスチェパは、黒龍家に取引を迫った。秘匿を守る交換条件として、竜騎士の資格とその特権を寄越せと」
「そんなことを言い出す人間を、なぜシルヴァ様は放置したのかしら。スチェパがニェベスに入ったのは、いつごろなの?」
 顔色を悪くしたアルテミシアの額に、ディデリスのひんやりとした手が当てられた。
「少し休むか?」
「大丈夫よ、続けて」
 しばらくアルテミシアと見つめ合ったのち、ディデリスは再び重い口を開く。
「スチェパがマレーバに入ったのは、赤の惨劇の半年ほど前。黒竜騎士の名をもらい、しばらくは特権を笠に遊び回っていたようだ」
「ああ、そういえば……」
 それはもう、アルテミシアには遠い帝国時代の記憶だ。
「態度の悪い黒竜騎士がいると、聞いていたけれど。それが、そうだったのね」
「その時期は、本当にいろんなことが重なったよな」
 (うな)るようなため息がカイから漏れた。
「久しぶりに、イハウの大規模侵攻もあったし」
「私が第三隊を任された、すぐあとでしたね」
「グイドの縁談を断ったのも、そのころでしたっけ?」
「ええ。……でも、グイド自身が望んだわけではないかと」
「そうですか?けっこうヤケクソな態度取ってましたよ」
「それ、は……」
「まあ、奴が何を考えてたかなんて、もうわかりませんけどね」
「……そうですね」
 あっさりと引いてくれたカイに、アルテミシアはほっとする。
「一番の痛手は、よりによって、第二隊長であるお前が療養所送りに……。怒るなよ。そこを避けては通れないんだ。事実から目を背けるな」
 にらみ上げるディデリスに、カイは冷静なまなざしを返した。
 
 ここまで面と向かって意見する人間をディデリスが許し、「契約者」としてそばに置いている。
 それは本当に嬉しいことだとアルテミシアは思う。
 孤独を強いられるサラマリスに、どんな形であれ、信頼できる相手がいるのだから。
 けれど、ディデリスが「療養所送り」になった

を、話題にしてほしくなかった。
 思い出せば、いつもは忘れたふりをしている傷がうずきだすから。
 
 怖くて、哀しくて、悔しくて。
 告げられる感情と行為の隔たりが、嫌で嫌でたまらなくて。
 
 水に流すことを選んだのは自分だし、ディデリスが慕わしい兄であることも変わらない。
 帝国騎竜隊長という立場で、他国間の(いさか)いに手を出すためには、たとえ竜族の不始末が絡んでいるとはいえ、相当の根回しが必要だったはずだ。
 自分のためにかけつけてくれた。
 戦ってくれた。
 嬉しいと思う反面……、それでも

が消えることはない。

「こっちがゴタゴタしている(すき)に、スチェパも勝手できたんだろう。だけど、どこでドルカの野心をスチェパは嗅ぎつけたんだろうなぁ?」
 しきりに首をひねるカイの視線から逃れるように、極上の翡翠(ひすい)の目が伏せられる。
「グイドだ」
「私が、縁談を断ったから……?」
「違う。俺が、扱いを間違えたのだろう」
 ディデリスの(くら)く後悔する瞳が、何もない空間をただ見つめていた。
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