あなたのために -貴女のために-

文字数 4,823文字

 深紅(しんく)の巻き髪に閉ざされた横顔を見つめながら、レヴィアの胸は暴れ騒いだ。
 「絆は時間だけでは結ばれない」とジーグは言ったけれど、積み上げた時間が作る関係というものは、確かに存在する。
 自分の知らないアルテミシアが、自分の知らない人たちと過ごしてきた日々。それが透明な壁となって二人を隔てていた。
 それでも今、目の前にいるアルテミシアに寄り添いたい。
 硬く握りしめられた冷たい手を、レヴィアは褐色の手のひらで包み込んだ。
「だから寝巻が

なんだね」
 温かいレヴィアの手に(ほほ)を寄せ、アルテミシアは小さくうなずく。
「ずっと、ずっと一人で(かか)えていたの?嫌でなければ、なるべく話して。僕を“独り”から救い出してくれた貴女(あなた)が、一人にならないで」
 その言葉に、アルテミシアの胸が震えた。若草色の瞳に涙が()まっていく。
「…レヴィ…。“小さくて可愛いレヴィア”だったのに」
「変わっていないよ。外側は大きくなったけれど、中身はあのころのままだよ」
「そんなことないわ」
 涙が一筋、アルテミシアの(ほほ)に流れ落ちた。
「レヴィは、かばってくれたもの。私の心を(ないがし)ろにするなと、言って、くれたもの…」
 アルテミシアは懸命に嗚咽(おえつ)(こら)え、それ以上泣くまいと唇を()みしめている。
 その健気な姿を目にした瞬間、思わずレヴィアは震えるアルテミシアを腕の中に閉じ込めた。
 レヴィアの体温と心音がアルテミシアを包みこんだ。
 その命の(あかし)がアルテミシアの心の(せき)を解き放ち、止まらない涙となって(ほほ)を濡らしていく。
「怖かったの。怖いの。ディデリスが変わってしまうことも、変えてしまう自分もっ。…それでも嫌いにはなれないの。ディデリスもずっと、孤独の中にいた人だから」
 目の前で大切なものを多く失い自分も傷つき、それでも毅然と前を向いていたアルテミシアが、もろく崩れそうに泣いている。
「アルテミシア」
 レヴィアは直向(ひたむき)な声でその名を呼ぶ。
「今日、よくわかった。竜と貴女(あなた)の血にしか価値を求めない人が、いるんだね」
(それから、ただ貴女(あなた)だけを欲しがる人も…)
 赤竜隊長を思い出すと、腹の底から湧き上がる猛烈な嫉妬と怒りに、全身が支配されてしまいそうだ。
「あの人と会うときは、ディアムドの人と会うときは、必ず僕も連れて行って。せめて、矢が届く範囲にいさせて?」
 アルテミシアが涙に濡れた目を上げた。
「今度は、ディデリスに矢を放つ?」
「必要があれば」
 真剣にうなずくレヴィアを見て、若草色の瞳にわずかな笑みが浮かぶ。
「ジーグみたいね」
「うん。今は二人いるから、二度と貴女(あなた)をそんな目には遭わせない。こんなに泣くなんて…。こんなに傷ついていたなんて…」
 アルテミシアの目尻に()まる涙を、レヴィアは親指でそっと(ぬぐ)った。
 その優しい仕草にアルテミシアは目を閉じる。
「傷を持たずに生きる人間などいないわ。私が辛いのは、自分のせいでディデリスに(おきて)を破らせてしまったことなの。情を捨てきれない私が竜騎士などになったから…」
「それは違うよ」
 アルテミシアの自責を、レヴィアは強く否定した。
「ミーシャは悪くない。貴女(あなた)は絶対、悪くない」
 レヴィアを見つめる瞳に、みるみる新しい涙が湧き始める。
「ラシオンが言っていた。“女の子はとても柔らかくて傷つきやすいから、男が力づくで思うままにしては絶対に駄目”だと。それに、情は悪いものばかりではないでしょう?」
「でも情を持つことが怖いの。自分を制御できなくなって、私も貴方(あなた)を痛めつけてしまうかもしれないのよ。竜騎士でいられなくなる以上に、それが怖い。でもレヴィといると、どうしても心が動いてしまうの」
 深紅のまつ毛が震え、涙がひとしずく散った。
「僕が、ミーシャを辛くさせているの?」
 悲しそうなレヴィアの口調に、アルテミシアは強く首を横に振る。
「レヴィのせいじゃないわ。私が未熟だから」
 レヴィアは震えるため息をつく。
「僕を一人ぼっちから救ってくれたのは、ミーシャの情だと思うけれど。でも貴女(あなた)を苦しませてしまうのなら、僕は独りのままでいい」
「そんなことは許されないわ!レヴィは愛されるべき人だもの。それに、貴方(あなた)はもう独りではないでしょう?貴方(あなた)を大切に思う人が周りにたくさんいるわ。私一人離れても、」
「他の誰がいてくれても」
 レヴィアはアルテミシアに最後まで言わせない。
「ミーシャがいなくて、貴女(あなた)と会う前に戻ってしまったようだった。あのころの僕は、わからなかったんだよ。自分の気持ちが。僕の世界には、誰もいなかったから」
 トレキバの森を独り逃げていた。()ごと()ごと。ただその日一日(ひいちにち)を生き延びるためだけに。
 けれど夕暮れの岩場で二人に出会った。初夏の陽射しの中で、アルテミシアが待っていてくれた。
「あれは“寂しい”、だったんだね…」
 独り言のようにレヴィアはつぶやく。
「今、僕の世界にはたくさんの人がいてくれる。僕は幸せだよ。幸せだと思う。でも」
 レヴィアはおずおずと、だが強い瞳でアルテミシアを見つめた。
「ミーシャがいないと、寂しい」
「…レヴィ…」
 若草色の瞳が惑いながら、レヴィアのまなざしを受け止める。
「それに、ミーシャが僕を一方的に痛めつけることなんてないよ。貴女(あなた)は驚くほど短気なところがあるけれど、もし僕を攻撃するなら、必ず理由がある。僕が悪いときはきちんと謝る。だけど僕は悪くないと思ったら」
 レヴィアは少し考え込むように口をつぐんだ。アルテミシアの瞳が尋ねる色を浮かべる。
貴女(あなた)がリズワンと勝負したように、僕も師匠であるミーシャと、勝負をする」
 きっぱりと宣言するレヴィアに、アルテミシアの口元が思わず(ほころ)んだ。
「僕とともにいてくれる人が増えたのは、ミーシャとジーグが導いてくれたから。その師匠がいないと不安になる。僕はちゃんとしている?不快な思いをさせていない?ミーシャは口もきいてくれなかったし…。貴女(あなた)に頼られているメイリが、本当にうらやましくて…」
 うつむいてしまったレヴィアに、アルテミシアの胸は痛んだ。
 見目(みめ)は立派になり仲間も大勢いるけれど、その内には、トレキバでの「小さなレヴィア」がいまだ存在する。レヴィアが背負わされた膨大な孤独の空白は、たった二年程度で埋まりはしないのだ。
 トレキバの小屋で初めて会ったときに、自分を見上げていた丸い大きな瞳。
 触れられると(おび)えて震えていた小さな肩。
 真夜中の畑で、幾度(いくたび)も歌ってくれた細い声。
 そして大きくなったレヴィアは自分をかばい、痛みを遠ざけようとしてくれた。懸命に傷を包もうとしてくれている。
 どのレヴィアの姿も、アルテミシアの胸に切なく温かい感情を湧き出させる。(かたく)なに押さえている重石をずらし、隙間(すきま)から溢れ出していく。 
「レヴィ」
 春風のような声で呼ばれ、レヴィアの瞳が上がる。
「そんな顔をさせてしまうなんて、私は師匠失格ね。どうりでジーグに“そこそこ”と言われてしまうはずだわ。ごめんなさい」
「ミーシャは悪くないよ!」
 慌てて否定するレヴィアの両頬(りょうほほ)を、アルテミシアの指が優しく(つま)んだ。
貴方(あなた)は本当に優秀よ。それが実感できないのなら、師匠としての腕が悪かったのだわ。もう一度やり直しをさせてもらえる?」
 アルテミシアがまた一緒にいてくれる。レヴィアはほっとしてはにかむが、ふとヴァイノの言葉を思い出し、たちまちその表情を曇らせた。
(弟じゃなく、男に見てもらう…)
「あの、でもそれは…」
 以前だったら、何も考えずに聞けただろう。そもそも気にもしなかったに違いない。
 だがアルテミシアへの気持ちを自覚してしまった今は、どうしても言葉に出せなかった。
―一緒にいてくれるのは、弟の面倒をみるように?ただの弟子として?―
 とは。
 仕出かしたことは到底許せないが、ディデリス・サラマリスは、秀麗な大人の男だった。
 クラディウスに抜いた剣は疾風のようでいて猛々しく、稲妻のように卓上に突き立てられた。自信に満ちた態度と見事な話術で、場を支配する力があった。強靭(きょうじん)であり上品なその姿は、翡翠(ひすい)の瞳を持つ(ひょう)のようだった。
 そして二人の間には、帝国で築いた二人だけの過去がある。そこにレヴィアはいない。
 それをまざまざと感じている今、「レヴィアは弟だよ」とアルテミシアから言われてしまうのが怖かった。
 黙り込んでしまったレヴィアの両頬(りょうほほ)を、アルテミシアは指で軽く持ち上げる。
「小さくて可愛いレヴィアだったころからずっと、貴方(あなた)は私を助けてくれたわ。自分は何ひとつ欲しがらないで、与えてばかりいる。そんな貴方(あなた)に寂しい思いはもうさせない。不安など取り払ってあげる。そして必ず、レヴィアを守るわ」
 このまま大勢の人との絆で空白が埋っていけば、いつか「小さなレヴィア」は消えていくだろう。レヴィアが自分を必要としなくなるまでは、彼の隣にいよう。
 アルテミシアはそう決心した。
 レヴィアの言葉が、温もりが、アルテミシアの傷を再び包み込んでくれた。
 そのいじらしい姿を見れば、どうしても情が湧く。それでも竜騎士として彼を守りたい。
 レヴィアの可愛い笑顔が、二度と消えてしまわないように。
 (おきて)破りの結末がどんなものであろうとも、自分の身ひとつで(あがな)おう。彼を守るためならばそれは怖くない。
 恐れていたのはレヴィアを傷つけることであったが、彼の言葉で(うれ)いはなくなった。
 すでにレヴィアは優秀な竜騎士だ。自分との勝負で負けはしないだろう。
 理由はわからない。だがアルテミシアには、レヴィアに勝つ自分が思い描けなかった。そして、それでいいとも思っている。
 いつの間にか(まど)う様子が消えているアルテミシアを前に、レヴィアの胸は渇望する想いに支配された。
 アルテミシアから「レヴィアを守る」と言ってもらえることは嬉しい。だが自分もアルテミシアを支えたいのだ。
 あんな風に泣かせたくない。眠れない夜を過ごさせたくない。
―強くなる。貴女(あなた)を守れる男になる―
 そう伝えたい。
 だが今はまだ、その想いを口にする資格が自分にあるとは思えなかった。
「僕はたくさんミーシャからもらっているよ。人の温かさも、優しさも。美味しいも、楽しいも。その中で一番はアルバスだよ。本当にありがとう」
 想いの代わりに、レヴィアは心からの感謝をアルテミシアに伝える。
 アルテミシアに晴れ晴れとした笑顔が浮かんだ。
「そうね、アルバスは本当にレヴィを慕っているわ。貴方(あなた)と距離を置いていたとき、竜舎に行くたびにアルバスに(つつ)かれたの。レヴィをいじめるなって。あまりに(ひど)いときにはロシュが間に入ってくれて、あわや二頭で大ゲンカになるところだったわ」 
 レヴィの目が丸くなる。
「そんなことがあったの」
「そう」
 そしてアルテミシアはトーラ語に戻った。
「とんだ淑女もあったもんだ。あんなに美しいくせに鼻っ柱が滅法(めっぽう)強い。怒っているときは話も聞いてくれない。頑固で、はねっ返りで」
「ミーシャみたいだね」
「えぇっ?!」
 二人は目を見交わし、同時に笑い出した。
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