竜騎士たちの孤独 -1-

文字数 3,400文字

 竜の存在を感じる。
 レゲシュ陣営の奥の奥。
 隠されている。
 いや、解き放たれた。
 間違いかと思うほど微かだが、五感ではないところで確信があった。

の仔だ……)

 ロシュを走らせるアルテミシアの目の前には、胸に巣食って離れない光景が広がっていく。
 
 すべてが炎に包まれていた。
 すべてを喰らい尽くす炎が、人の気配が絶えた屋敷を、轟音とともに飲み込んでいった。 
 
 泣き叫んでいた幼い声が耳に(よみがえ)る。
 あの夜に受けた背中の傷が(うず)き、知らず奥歯を噛みしめた。

「竜に後れを取るな!」
 ジーグが進軍の号令を放つ。
「リズ、頼んだぞ!」
「なるべくお断りだけどねっ」
 涼しげな眼を細めてジーグを見送ったあと、リズワンは緊張に硬くなっているアスタを振り返る。
「正念場だよっ。腹を(くく)りな!」
「はい!」
 力強くうなずくアスタを含めた弓兵の一団が、雪崩(なだれ)を打って丘を駆け下りていった。  

 いつの間にか。
 待ち受けるレゲシュ軍側の陣形が整え直されている。
「へぇ」
 アルテミシアから低いつぶやきが漏れた。
 
 今までの支離滅裂なものではない。
 明らかに竜を迎え撃つ兵の陣形だ。
 しかも、赤竜の弱点を考慮し尽くした、緻密な兵の配置。

(帝国の者が加わった)

 手綱(たづな)を握るアルテミシアの手に力が入る。
「放て!」
 レゲシュ軍将官の怒号を合図に、弓兵一群が一斉に弓を引き絞り、無数の矢がロシュとアルテミシアに襲いかかってきた。

ピュィ、ピィ!

 指笛の指示に、ロシュはアルテミシアを守るように稲妻模様の羽を広げて、矢を(はじ)き返していく。
 しなやかで頑丈な竜の羽に阻まれた矢が、ただの小枝のように、大地に空しく落ちていった。
 ロシュが羽を収めると、手ぐすね引く様子のレゲシュ軍勢が、アルテミシアの目に飛び込んでくる。

(……いた……)

 鮮緑(せんりょく)の瞳に炎が宿った。
 アルテミシアの鋭い指笛が戦場を切り裂き、前傾姿勢になったロシュが速度を上げて走る。
『グイド』
 敵軍に幼馴染みの姿を見つけたアルテミシアには、不思議と驚きはなかった。
 ずっと消えることのなかった淡い疑惑が、諦めの確信に変わっていく。
『アルティだアルティだアルティだ』
 赤黒斑(あかくろまだら)の羽を持つ竜に乗り、レゲシュ軍の中央に陣取っていたグイドが、にやぁっとだらしのない笑みを浮かべた。
『会いたかったよ、消えちゃうんだもの、あの日ちょっと目を離した(すき)に、君さえ手に入れば』
 締りのないグイドの唇から放たれた冴えた指笛に、斑竜(まだらりゅう)が猛然とアルテミシアに突進し始める。
『俺は見てもらえるんだぁぁっ』
 グイドとアルテミシアは同時に剣を抜き去り構え、その背後でレゲシュ、トーラ両軍から、地鳴りのような喚声(かんせい)が上がった。

 平原を埋め尽くす両軍兵士たちが、荒れ狂う海の大波のようにぶつかり合っていく。

 ガツっ!

 竜の頑丈な(くちばし)同士がぶつかるのと同時に、グイドの両手剣がアルテミシア目がけて振り下ろされた。
 だが、グイドの剣先は無人の(くら)の上で、虚しく空を裂いただけ。
 舌打ちする横顔に、ロシュの(くちばし)が叩きつけられ、切れた唇から血をにじませたグイドの顏が上向きになる。
『そこにいたのかあ』
 とび色の瞳に、空を背にして斬りかかってくるアルテミシアが映り、瞬時に体制を立て直したグイドは両手剣を横に構えた。
 諸手の短剣と両手剣がぶつかり合い、派手な金属音とともに、ふたりの間に火花が散る。
 グイドの顏を蹴り上げてくるりと後転をすると、アルテミシアは再びロシュに騎乗した。
「グルゥゥ」
 濁った声でうなり、首をふり立てた斑竜(まだらりゅう)の腹に、ロシュの蹴りが炸裂する。
「キィーっ!」
 甲高く鳴きながら、羽根を散らした斑竜(まだらりゅう)が一、二歩下がった。
『すごい蹴りだねぇ、アルティの竜はすごいねぇ』
 両手剣を振り上げるグイドがヘラヘラ笑う。
『でもさいーのー?この仔殺しちゃってだって、フェティだよこの仔、フェティなんだよ、君の妹なんだよー』
『え?……っ!』
「クルっ」
 一瞬、攻撃の手が止まるが、ロシュが巧みにグイドをいなす(すき)に、アルテミシアは両手の短剣を構え直した。
『ったく、ちょこまかと君の竜はすごいねぇ、それだけ大きいのに速いねぇ、特別だよねぇ、でもこの仔も特別だよ?だってフェティの血で育ったんだから』
 斬りかかってきた短剣をわざと頬に受け、血を流しながら。
 グイドは懐かしそうにアルテミシアに微笑みかける。
『フェティを食べたんだから、あの夜フェティに噛みついて、食べちゃったんだから』
『あの、夜……。食べた……?』
『そーだよー』
 声を震わせるアルテミシアに、薄気味悪いほど朗らかな笑顔でグイドがうなずいた。
『そーあの夜、君の屋敷が燃えた夜、君が消えた夜、大きくなりきらない竜仔に、もう一度サラマリスの血をもらいに行ったんだよね、だけどフェティには薬が足りなかったみたいで起きちゃって、泣かれて竜仔がコーフンして、噛みついちゃったんだ』
 グイドを凝視するアルテミシアの腕が下がっていく。
「リズ!」
 ジーグの大音声と同時にリズワンの大弓が(うな)りを上げ、アルテミシアに槍を向けたレゲシュ兵の背に、矢が突き刺さった。
「ぐはぁっ」
 すぐ隣で崩れ落ちる兵士にも気づかず、アルテミシアの目がグイドから斑竜(まだらりゅう)へと移る。
『それでさ食べちゃったんだよ、フェティの腕を!そしたらみるみる大きくなってね、サラマリスの血ってすごいね、揮発息も桁違(けたちが)いだったよ、フェティは大泣きしてたけどすぐ炎に巻かれたから、長くは苦しまなかったよきっと!』
 グイドが早口でまくし立てる声が、言葉がアルテミシアを縛っていく。
 
 何を言われているんだろう。
 いや、わかっている。
 グイドは本当のことを言っている。
 あの無残な夜の出来事を。
 妹の死に(ざま)を、楽しそうにその口から垂れ流している。
 
 アルテミシアの世界からすべての音が遠ざかり、すべての景色が霧散していった。
 濁った黒緑色の目玉を(せわ)しなく動かしている、斑竜(まだらりゅう)だけが視界いっぱいに広がる。
『……フェティ?』
 斑竜(まだらりゅう)の瞳がピタリと止まった。
「グル、……クルルゥ!」
 アルテミシアにまっすぐ顔を向けた斑竜(まだらりゅう)が、のどをそらして、澄みきった声を上げる。
『さすがだね!君の声はわかるんだ、さあアルティ、君も食べられちゃって、腕がいいかな足かな?俺のモノになったら戦う必要はない、体は全部はいらないよ、髪と瞳があればいい、そしたら俺は見てもらえるからねぇぇぇ!』
 グイドから距離を取るロシュの鞍上(あんじょう)で、アルテミシアはあの夜、意識が途切れる寸前で聞いた低いつぶやきを思い出した。

――これで、ずっと見てもらえるよね――
 
 そうか。
 そう、言っていたんだ。
 ああ、本当に。
 あれはグイドだったのだ。

『……フェティ……?』
「クルゥ」
 凶悪な顔に似合わない甘え鳴きをする斑竜(まだらりゅう)に、アルテミシアの視線は釘付けとなっている。
 グイドが目の前で剣を振りかぶったが、それでもアルテミシアは微動だにしない。

 戦場でその名を呼ぶな、前に出るなと言われているが、レヴィアはもう見ていられなかった。
 こんな(すき)だらけのアルテミシアなど、見たことがない。
「ミーシャ!」

(絶対おかしい。何かあったんだ)

 レヴィアが手綱(たづな)を引いた、そのとき。
『噴け!』
 武器がぶつかり合い、怒号入り混じる戦場を艶のある美声が貫き、激しい炎が吹き荒れた。
 尾を焼かれた斑竜(まだらりゅう)が大きく()け反り、その(くら)からグイドが跳ね飛んでいく。
 恐れをなして逃げる騎馬が次々とロシュにぶつかり、御しきれなかったアルテミシアの手が手綱(たづな)から離れた。
「クルルルルゥー!」
 場違いなほど美しい鳴き声が、混乱する戦場に流れていく。
『やっぱりねぇぇ!来ると思ったよ、来るしかないよねぇー!』
 小柄な赤竜が躍り込んでくるのを見たグイドの目が、異様にきらめいた。
 素早く立ち上がると、地面にうずくまるアルテミシアを見つけて、ニヤぁと笑う。

(このままじゃ、ミーシャがっ)

 視線の向こうで、狂気の竜騎士がアルテミシアに走り迫っていた。
 レヴィアは焦るが、小柄な赤竜の噴いた炎に右往左往している騎馬や兵士(はば)まれ、馬を回すことすら、ままならない。

『立て!』
 再び聞こえた美声に、アルテミシアが瞬時に反応した。
『構え!』
 短剣を握る両手が上がる。
『行け!!』
 つむじ風のようにぶつかり合ったアルテミシアとグイドの剣から、猛烈に激しい曲を奏でるような金属音が鳴り渡った。
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